PROFILE
人物プロフィール
映画やドラマで存在感を見せてきた河合優実さんですが、子どものころから女優を目指していたわけではありません。
東京・練馬で三姉妹の長女として育ち、最初に夢中になった表現は芝居ではなくダンスでした。
高校でもダンス部で舞台に立っていましたが、進学先はぎりぎりまで一般大学を考えていたといいます。
そこから高校3年生の夏に観たミュージカルをきっかけに進路を変え、自ら芸能事務所へ応募しました。
河合さんが女優になるまでには、家庭で親しんだ映画や音楽、長く続けたダンス、高校時代の舞台経験がありました。
今回は、そんな河合優実さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、女優として最初の仕事や新人時代をご紹介します。
河合優実の生い立ち|東京・練馬で育った子ども時代
河合優実さんは2000年12月19日生まれで、東京都出身です。
本人は地元を東京都練馬区と明かしており、幼いころから映画や音楽が身近にある環境で育ちました。
道端の石や葉っぱが気になると動かなくなった幼少期
幼いころの河合さんには、気になるものを見つけるとその場から離れなくなる一面があったそうです。
母親から聞いた話では、道端の石や葉っぱが気になると足を止め、幼稚園の運動会でも地面に引かれた白線をじっと見続けて先生に戻されることがあったといいます。
本人は大きくなってからその映像を見て、幼い自分の様子に驚いたそうです。
一方、小中学生になるにつれて学級委員やリーダーなど、人前に立つ役を任されることも増えていきました。
幼少期は一つのものへ強く意識を向ける子どもだった一方、成長すると学校では人前に立つ機会も多かったと本人が振り返っています。
小学3年生ごろに始めたダンスが最初の表現活動に
河合さんが長く続けることになるのが、小学3年生ごろに始めたダンスです。
ヒップホップやロック、ジャズ、コンテンポラリーなど、さまざまなジャンルを経験しました。
中学時代には一度ダンスから離れた時期もありましたが、高校進学を機に再び本格的に踊るようになります。
後に俳優になったあとも、河合さんはダンスについて自身の表現の根にあるものとして話しています。
体で表現して、笑ったり泣いたりしてもらうという経験が根っこにあります
出典:日刊スポーツ「河合優実『サマーフィルムにのって』『由宇子の天秤』で新人賞」(2022年2月24日)
人前で身体を使って何かを届ける経験は、芝居を始めるよりずっと前から続いていました。
河合優実の家族|医師の父・看護師の母と三姉妹
河合さんの生育家族については、本人自身がインタビューで具体的に語っています。
父親、母親、河合さん、2人の妹という家庭で、河合さんは三姉妹の長女として育ちました。
映画好きの父と歌・演劇が好きな母のいる家庭
父親は医師、母親は看護師です。
地元は練馬です。両親は父が医師で、母は看護師。
出典:Web LEON「業界最注目の女優・河合優実は何がスゴイのか?」(2022年3月19日)
父親は映画が好きで、自宅でもよく作品を観ていたため、河合さんも隣で一緒に映画を見ることが多かったそうです。
家には本やDVDがあり、三谷幸喜さんの作品や洋画、北野武監督やクエンティン・タランティーノ監督の作品などにも触れていました。
母親は歌が好きで、社会人演劇を経験した時期もあったと河合さんは明かしています。
父親の映画、母親の音楽や演劇が、日常の中にある家庭でした。
三姉妹の長女として育ち、妹をきっかけにダンスへ
河合さんには2人の妹がいます。
ダンスを始めた背景にも妹とのつながりがあり、妹が通っていたダンススクールをきっかけに自身も習うようになったと伝えられています。
その後は学校でもダンスを続け、高校では部活動として本格的に取り組むようになりました。
家族が芸能界へ入るよう直接勧めたというより、映画や音楽、舞台に触れられる家庭の中で育ち、本人自身が表現することへ近づいていった流れです。
「ハーフ」と本人が語った事実と国籍・本名情報の境界
河合さんについては「国籍」「ハーフ」「本名」といった言葉も多く検索されています。
本人は2022年のCREAのインタビューで、自身がハーフであることを明かしています。
ただし、その発言の中では、どこの国にルーツがあるのか、父親と母親のどちらが外国にルーツを持つのかまでは説明していません。
河合優実さん本人が「ハーフ」と語ったことは確認できますが、具体的な相手国や父母の国籍は本人発言から特定できません。また「孫優実」を本名とする情報も見られますが、本人や所属先が本名として明示した公式プロフィールとは分けて考える必要があります。
そのため、外見やネット上の情報だけから「韓国とのハーフ」「中国とのハーフ」などと国籍やルーツを決めることはできません。
高校時代にダンスへ打ち込み「表現する仕事」を意識
河合さんは高校進学の際、ダンスを続けられる環境を重視して学校を選び、東京都立国際高等学校へ進学しました。
国際学科で学びながらダンス部に所属し、公演や文化祭などで何度も舞台に立っています。
ダンス部の舞台で人に何かを届ける喜びを知る
高校にはダンスや演劇を好む生徒が多く、学校行事でもダンスや歌などを披露する機会がありました。
河合さん自身も文化祭や体育祭、宿泊行事など、人前に出る機会があるたびに踊ったり歌ったりしていたと振り返っています。
ダンス部の公演では、長く練習して作り上げたものを披露したあと、見ていた友人や後輩が涙を流す場面もありました。
自分たちが作ったものによって目の前の人の感情が動く経験を重ねるうち、表現に関わる仕事を意識するようになります。
ただ、このころから明確に「女優になる」と決めていたわけではありません。
映像や舞台など何らかの形で表現に関われたらいいという段階から、少しずつ考えが変わっていきました。
高校時代から「山口百恵に似ている」と言われていた
高校時代には、友人から歌手の山口百恵さんに似ていると言われることも多かったそうです。
後に映画『少女は卒業しない』のインタビューで高校の卒業式を振り返った際には、式のあとに行われた出し物についても話しています。
友人とユニットを組んでダンスを披露し、自身は山口百恵さんを意識して「プレイバック part2」を歌いました。
河合さんの高校では卒業式後にもダンスや音楽の出し物があり、本人も歌とダンスを披露していました。
後に「山口百恵に似ている」と話題になる以前から、身近な同級生の間ではすでにそう言われていたことになります。
一般大学を考えていた高校3年生までの進路
舞台に立つことは好きだったものの、高校3年生になっても進学先については一般大学を考えていました。
大学で普通に勉強しながら、表現に関わる道を探す選択肢も考えていたそうです。
それまで本格的に芝居を学んだ経験があったわけでもなく、幼いころから俳優を目指して準備していたわけでもありません。
進路が大きく変わったのは、高校3年生の夏でした。
『コーラスライン』を観て芸能界へ|自ら事務所に応募
高校3年生の夏、河合さんのクラスでは文化祭で『コーラスライン』をテーマにした劇を作っていました。
その準備のために本物のブロードウェイミュージカル『コーラスライン』を観たことが、具体的な行動へ移るきっかけになります。
高校3年生の夏「この世界に懸けよう」と決めた瞬間
文化祭の準備中、河合さんは受験勉強を数日止めて、渋谷で上演されていた『コーラスライン』を観に行きました。
そこで、舞台に立つ人たちを目の前にして、それまでぼんやりしていた気持ちが一気に固まります。
こっちの世界に懸けよう
出典:CREA「いま最も注目の俳優・河合優実 デビュー3年、駆け抜けた足跡を辿る」(2022年5月24日)
観劇後、河合さんは早いうちに表現の世界で生きられるようになろうと考え、自ら芸能事務所を探して応募しました。
その中で出会ったのが、俳優事務所の鈍牛倶楽部です。
スカウトされるのを待っていたのではなく、自分で事務所を探し、自分から応募して芸能界への入口を作っています。
進路を変え、演劇を学べる大学へ進学
『コーラスライン』を見るまでは、一般大学へ進学してからオーディションを受けることも考えていました。
しかし、俳優の道へ進むと決めたことで進路も変更し、日本大学芸術学部演劇学科で演技を学ぶ道を選びます。
本人が後にテレビ番組で説明したところでは、在学したのは演劇学科の演技コースでした。
高校まではダンスが表現活動の中心だったため、大学では芝居を専門的に学びながら、芸能活動も同時に始めることになります。
高校3年生の夏に『コーラスライン』を観劇 → 自ら事務所へ応募 → 一般大学志望から演劇を学べる大学へ進路変更という順序で、俳優になる道が具体化していきました。
2019年に芸能活動を始め、映像の現場へ
河合さんは2019年2月、a flood of circleの楽曲「Center Of The Earth」のミュージックビデオに出演し、役者としての活動を始めました。
これが河合さんの役者デビューとして紹介されている最初期の仕事です。
同じ時期には、俳優になると決めてから観に行った映画『あみこ』も、その後の仕事につながる出会いを生みました。
上映館で河合さんを見かけた写真家・映像作家の芝山健太さんが後にSNSを通じて連絡し、自主映画への出演を持ちかけます。
知らない相手から突然連絡が届いたため、そのまま信用したわけではありませんでした。
とりあえず確かめないと
出典:CINEMAS+「俳優・河合優実と映画監督・山中瑶子が語り合う」(2023年8月10日)
実際に相手や企画を確かめて出演へ進み、2019年の自主映画『よどみなく、やまない』が映画初出演作となりました。
同年にはTBS系『インハンド』第4話にも出演し、地上波テレビドラマの現場も経験しています。
芸能界へ入ったことと、女優として映像作品へ出演し始めたことはほぼ同時期ですが、最初から大きな役で始まったわけではなく、MV、自主映画、ドラマと異なる現場を重ねていきました。
大学中退を経て女優の現場へ|新人時代の転機
高校卒業後の河合さんは、大学で演技を学びながら、外では俳優としてオーディションや撮影に参加する生活へ入りました。
ところが入学から間もなく仕事が増え、さらに大学の授業環境も大きく変わります。
演劇学科で学びながら俳優の仕事を始める
大学では演劇学科の演技コースに在籍し、演技を専門的に学びました。
一方、学外ではオーディションを受け、『喜劇 愛妻物語』『佐々木、イン、マイマイン』など映画への出演も重なっていきます。
2019年には舞台『some day』にも出演しており、後のインタビューではこの舞台に立った経験を自分にとっての「原風景」や「原点」として振り返っています。
もともと高校まで長く続けていたダンスも観客の目の前で表現するものであり、映像だけでなく舞台で身体を使う仕事にも早い時期から触れていました。
仕事とコロナ禍をきっかけに「現場で学ぶ」道を選択
大学生活と俳優活動を並行していた河合さんですが、大学2年生になるタイミングで新型コロナウイルスの流行が始まりました。
演技を実践する授業までオンラインになり、身体を使って学ぶ演技コースでは難しさを感じたと後に説明しています。
同じころには俳優としての仕事も増えていました。
現場で勉強していこうかなと思って
出典:日刊スポーツ「河合優実、大学の演劇学科・演技コースを中退した理由を明かす」(2024年10月13日)
大学を中退し、学校と仕事を両立する生活から、俳優の現場そのものを学ぶ場所にする道へ切り替えました。
大学進学そのものを後悔したという話ではなく、大学で演劇に触れた経験は、その後の芝居や言葉への向き合い方について本人が振り返る場面もあります。
進学して学ぶことと、実際の撮影現場で仕事をすることの両方を経験したうえでの中退でした。
『由宇子の天秤』『サマーフィルムにのって』で新人賞へ
新人時代の大きな転機となったのが、映画『由宇子の天秤』と『サマーフィルムにのって』です。
『由宇子の天秤』では、瀧内公美さん演じる主人公と深く関わる高校生・小畑萌を演じました。
『サマーフィルムにのって』では、映画作りに取り組む高校生グループの一人、ビート板役を担当しています。
この時期の出演作での演技が評価され、河合さんは第43回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第95回キネマ旬報ベスト・テン新人女優賞、第64回ブルーリボン賞新人賞などを受賞しました。
ブルーリボン賞のインタビューでは、受賞を母親へ知らせたときの反応についても話しており、子どものころから身近にいた家族が新人時代の喜びを共有する存在として再び登場します。
2019年に役者の仕事を始めてから約3年で、複数の新人賞を受けるところまで進みました。
小学生で始めたダンス、高校の舞台、『コーラスライン』を観た高校3年生の夏、自分で申し込んだ事務所、大学と撮影現場を行き来した新人時代を経て、河合さんは女優として仕事を続ける場所を作っていきました。
幼いころから決めていた職業ではありませんでしたが、高校で「表現する側」へ気持ちが動いてからは、自分で応募し、会いに行き、現場へ出るという行動を重ねていったことが、河合優実さんの女優としての始まりでした。















