PROFILE
人物プロフィール
『コード・ブルー』『リーガル・ハイ』『逃げるは恥だが役に立つ』など、数々のドラマや映画で知られる新垣結衣さん。
1988年6月11日に沖縄県で生まれ、2001年にファッション誌『nicola(ニコラ)』のモデルとして芸能活動を始めました。
芸能界へ入るきっかけを作ったのは、ファッションが好きだったお姉さんです。
新垣さん自身は当初、モデルにも女優にも強い憧れを持っていたわけではありませんでした。それでも撮影の楽しさを知り、沖縄と東京を行き来する生活を経て、2005年にはドラマで女優デビューを果たします。
今回は、そんな新垣結衣さんの沖縄での生い立ちや家族、学生時代、芸能界入りのきっかけ、モデルから女優になるまでの歩みをご紹介します。
新垣結衣の生い立ち|沖縄で過ごした子ども時代
新垣結衣さんは、1988年6月11日、沖縄県に生まれました。
後に全国で知られる女優となりますが、子どもの頃は写真を撮られることが苦手だったといいます。
沖縄で生まれ育った幼少期
幼少期を過ごしたのは、自然豊かな沖縄県です。
新垣さんは3人姉妹の末っ子として育ちました。上には2人の姉がおり、本人が後年語った芸能界入りのエピソードにも姉が登場します。
子どもの頃からテレビや音楽に親しみ、沖縄から活躍するアーティストにも憧れを抱いていました。
一方、人前で積極的に自分をアピールするタイプだったわけではありません。
2005年7月、まだ17歳だった新垣さんは、幼い頃の写真について、あまり笑っている写真がないと振り返っています。
カメラを向けられると恥ずかしくなってしまう少女が、後に雑誌の表紙を何度も飾ることになります。
SPEEDへの憧れと幼い頃の夢
小学生の頃に憧れていたのが、沖縄出身の女性4人組グループSPEEDでした。
SPEEDは沖縄アクターズスクール出身のメンバーによって結成され、1990年代後半に大きな人気を集めたグループです。
新垣さんも、沖縄アクターズスクールのオーディションに挑戦した経験があります。
2017年の『Smart FLASH』では、小学生時代に3回受験したものの合格には至らず、最後の小学6年生のときには最終審査まで進んだと紹介されています。
ただし、この挑戦がそのまま芸能界デビューにつながったわけではありません。
実際に芸能活動を始めるのは、中学生になってから応募した別のオーディションでした。
写真を撮られるのが苦手だった少女時代
新垣さんは2005年7月1日公開のタレントデータバンクのインタビューで、モデル応募前の自分について話しています。
「恥ずかしがりやだったんです。」
出典:タレントデータバンク「<新垣結衣>インタビュー」(2005年7月1日)
この頃は、プロのモデルとして写真を撮られる自分を具体的に想像していたわけではなかったようです。
ところが、中学1年生で参加したモデルオーディションの最終審査で、その印象が変わりました。
プロのスタッフに衣装やメイクを整えてもらい、カメラマンに撮影してもらう経験が、初めて写真を撮られることを楽しいと感じるきっかけになったのです。
新垣結衣の家族|父親・母親と2人の姉との関係
新垣結衣さんの家族について、芸能界入りに直接関わった人物として知られているのが姉です。
本人が語ったエピソードからは、モデル活動を始める前の家庭でのやり取りや、東京で仕事をするようになってからの家族との関係が見えてきます。
三姉妹の末っ子として育った家庭
新垣さんは、2人の姉がいる三姉妹の末っ子です。
姉妹の中でも、ファッション誌を愛読していた姉が、後に新垣さんのモデル活動を後押ししました。
父親や母親の仕事については、さまざまな情報が紹介されていますが、本人の生い立ちを説明するうえでは、実際に語られた家族との出来事が重要です。
2005年のインタビューでは、オーディション合格を家族に伝えたときの反応についても振り返っています。
家族も新垣さん本人も、まさか合格するとは思っていなかったそうです。
中学生の娘がモデルとして活動することになった知らせは、本人にとっても家族にとっても予想外の出来事でした。
姉が撮影したオーディション応募写真
2023年6月11日、TOKYO FM『木村拓哉 Flow』に出演した新垣さんは、モデルオーディションへ応募した日のことを詳しく語りました。
姉が読んでいたのは、当時の中学生に人気だったファッション誌『nicola』です。
誌面でモデルオーディションの募集を見つけた姉は、自分では応募条件が合わないことから、妹に応募を勧めました。
しかも、単に応募を勧めただけではありません。
姉は新垣さんに着る服や立つ場所を指示し、インスタントカメラで応募用の写真を撮影。その写真を履歴書に貼り、応募したといいます。
当時の新垣さんは、ファッションに強い関心があったわけではなく、姉が読んでいた雑誌も普段は読んでいませんでした。
2023年のラジオでは、モデルになりたいと思って応募したわけではなかったことを説明しています。
「姉が『応募するよ』って言って。」
出典:TOKYO FM「木村拓哉 Flow」第二百五十四回(2023年6月11日)
この応募をきっかけに、新垣さんは書類審査、面接、最終審査へと進んでいきました。
沖縄と東京を行き来した頃の家族との生活
モデルオーディションに合格しても、新垣さんはすぐに沖縄を離れたわけではありません。
中学校の3年間は沖縄で生活しながら、週末になると東京へ向かい、撮影に参加していました。
2023年の『木村拓哉 Flow』では、東京へ通うたびに飛行機を利用していたことも話しています。
学校のある平日は沖縄、撮影のある週末は東京という生活が続きました。
また、2015年2月20日のシネマトゥデイのインタビューでは、15歳頃を振り返り、仕事で東京に通いながらストレスをため、家族に気持ちをぶつけてしまうこともあったと明かしています。
仕事は楽しかったものの、思春期ならではの悩みも抱えていたそうです。
モデル活動の楽しさと、学校や家庭で過ごす日常との間で、少しずつ生活が変化していきました。
新垣結衣の小学校・中学校時代|沖縄での学校生活
新垣結衣さんは沖縄で小学校から中学校までを過ごしました。
中学1年生でモデル活動を始めましたが、学校では同級生と過ごし、部活動にも少しだけ参加した経験があります。
小学生時代の習い事と学校生活
小学生時代の新垣さんが興味を持っていたものの一つが、音楽やダンスでした。
沖縄出身のSPEEDに憧れ、沖縄アクターズスクールのオーディションにも挑戦しています。
ただ、アクターズスクールへの受験経験と、実際にスクールへ通ってレッスンを受けた経験は同じではありません。
確認できるのはオーディションへの挑戦であり、同スクールの出身者として扱うことはできません。
小学校や中学校の具体的な学校名についても複数の情報が出ていますが、本人や学校などの確かな資料で裏づけられる範囲を超えて断定することはできません。
小学生の頃に芸能界へ関心を持ち、その後、中学校へ進んでから実際にモデル活動を始めたという流れが確認できます。
中学生で始まった沖縄と東京の往復生活
2001年、13歳になる年に『nicola』のモデルオーディションでグランプリを受賞した新垣さん。
中学生として沖縄の学校へ通いながら、東京での撮影に参加する生活が始まりました。
2023年のラジオで語ったところによると、中学3年間は沖縄に暮らし、週末を利用して東京へ通っていたそうです。
当時、沖縄から東京への移動には飛行機を使う必要がありました。
撮影が終われば沖縄へ戻り、また学校生活を送る。モデルとして活動するために、早くから二つの場所を行き来していたのです。
部活動や友人と過ごした学生時代
中学校の部活動については、2005年のインタビューでバドミントン部に約1か月所属していたと話しています。
この話が出たのは、女優デビュー作でアクションに挑戦した経験を聞かれたときでした。
新垣さんは自分の運動経験について、長く部活動を続けていたわけではないことを説明しています。
また、『nicola』で知り合ったモデル仲間との交流も、10代の大切な時間になりました。
2005年のインタビューでは、地方在住のモデルが多く、普段はなかなか会えなかったものの、撮影を通じて仲良くなったことを話しています。
モデル同士でホテルに宿泊する撮影もあり、夜遅くまで話が尽きなかったそうです。
同世代のモデルたちと過ごす撮影現場は、学校とは違った友人関係が生まれる場所でもありました。
新垣結衣の芸能界入り|姉の勧めでニコラモデルに
新垣結衣さんが芸能界へ入ったのは、2001年の『nicola』モデルオーディションでグランプリを受賞したことがきっかけです。
それまで芸能界への関心はあったものの、ファッションモデルになることを強く希望していたわけではありませんでした。
中学1年生でモデルオーディションに応募
応募写真を撮影したのは姉でしたが、実際に審査を受けたのは新垣さん自身です。
書類審査を通過し、面接へ進み、最後の審査まで残りました。
2005年のインタビューによると、審査が進むにつれて、新垣さんの中でもやってみたいという気持ちが高まっていったそうです。
最初は気が進まなかったオーディションでしたが、実際の審査を経験する中で、少しずつ気持ちが変わっていきました。
最終審査で初めて知った撮影の楽しさ
最終審査では、プロのスタッフが衣装やメイクを整え、カメラマンが撮影を担当しました。
それまで写真を撮られることが苦手だった新垣さんにとって、初めて本格的なモデル撮影を体験する機会でした。
2023年の『木村拓哉 Flow』では、当時の撮影を楽しんだ後、次のような気持ちで帰ったと振り返っています。
「あー、いい思い出ができたな!」
出典:TOKYO FM「木村拓哉 Flow」第二百五十四回(2023年6月11日)
そして、後日届いた知らせはグランプリ受賞でした。
モデルになりたいと強く願っていたわけではないのに、合格を知ったときには涙が出たといいます。
撮影の楽しさを知ったことと、選ばれた喜び。その二つが重なって、モデル活動が始まりました。
2001年のグランプリから人気モデルへ
グランプリ受賞後、新垣さんは『nicola』の専属モデルとして活動を始めました。
『nicola』は新潮社が発行する中学生向けファッション誌で、当時は多くの少女たちがモデルに憧れていました。
2023年の『木村拓哉 Flow』では、雑誌への登場3冊目で表紙に起用され、2005年の卒業までに表紙を15回飾ったという記録も紹介されています。
雑誌での活動期間は約3年半に及びました。
『nicola』時代の新垣さんの姿は、当時撮影を担当した写真家・中村路人さんが公開した写真にも残されています。
撮影を重ねるうちに、モデル仲間や編集部のスタッフとの関係も深まりました。
撮影がない日にスタッフから連絡が来ると、現場へ遊びに行くこともあったそうです。
『nicola』時代の愛称
新垣結衣さんの愛称「ガッキー」は、モデル時代から親しまれてきた呼び名です。女優として広く知られる前から、ファッション誌の読者にはおなじみの存在でした。
中学校を卒業する頃には、モデルの仕事を続けながら、次の活動へ進む時期を迎えていました。
新垣結衣の高校時代|沖縄を離れて東京へ
中学校の3年間を沖縄で過ごした新垣さんは、2004年、高校進学を機に東京へ生活の拠点を移しました。
それまでのように週末だけ東京へ通う生活ではなく、学校も仕事も東京で行うことになりました。
高校進学を機に上京した15歳の頃
中学卒業後、15歳で上京した新垣さん。
高校に通いながら、雑誌やCMなどの芸能活動を続けました。
高校については日出高等学校(現在の目黒日本大学高等学校)の出身として紹介されることがあります。
ただし、本人が直接語った学校名を確実に確認できる資料は限られるため、校名よりも、本人の証言が残る当時の生活をたどることができます。
2015年2月20日のシネマトゥデイのインタビューでは、15歳の頃を思い出し、思春期ならではの悩みを抱えていたと振り返っています。
「ザ・思春期(笑)。」
出典:シネマトゥデイ「『くちびるに歌を』新垣結衣 単独インタビュー」(2015年2月20日)
沖縄の家族と暮らしていた生活から、東京で仕事と学校を両立する生活へ。
高校進学は、新垣さんにとって生活環境が大きく変わる出来事でした。
仕事と学校生活の両立で抱えた悩み
高校時代にはモデルの仕事に加えて、テレビドラマやCMなどへの出演も増えていきました。
仕事が忙しくなるにつれ、学校へ通える時間は限られていきます。
高校3年生の頃には、卒業できるかどうか分からないほど出席や課題の状況が厳しくなっていたと、後年のインタビューで明かしています。
授業に出られなかった分を補うため、時間がある日は学校に残ってレポートを書いていました。
放課後の教室で一人、課題に向き合う日々。
周囲の生徒が帰った後の教室で、寂しさを感じることもあったそうです。
担任教師に支えられた高校卒業までの日々
そんな高校生活で印象に残っている人物として、新垣さんが挙げたのが高校3年生の担任教師でした。
担任は英語を教えるベテランの女性教師で、普段の授業では厳しい面もあったといいます。
しかし、放課後に新垣さんが一人でレポートを書いていると、教室へ顔を出して進み具合を気にかけてくれました。
2015年のインタビューでは、先生が声をかけてくれたことを思い出し、次のように語っています。
「それを心の支えに、無事卒業しました(笑)。」
出典:シネマトゥデイ「『くちびるに歌を』新垣結衣 単独インタビュー」(2015年2月20日)
2007年には高校を卒業しました。
在学中に女優としての仕事が増え、卒業した年には映画初主演も経験することになります。
大学進学よりも、その後は本格的な芸能活動へ進んでいきました。
新垣結衣の女優デビュー|モデルから演技の仕事へ
新垣結衣さんは2001年にモデルとして芸能界入りしましたが、女優としてのデビューはその4年後です。
2005年、テレビ朝日の特撮ドラマ『Sh15uya(シブヤフィフティーン)』で本格的な演技の仕事を始めました。
自分から女優を目指したわけではなかった
モデルとして活動していた新垣さんですが、当初から女優になることを目標にしていたわけではありません。
2023年の『木村拓哉 Flow』では、事務所からオーディションに行くと伝えられ、作品やCMの選考を受けるようになった経緯を説明しています。
ドラマや映画に特別な思い入れがあったというよりも、芸能事務所に所属して仕事をする中で、自然に演技の世界へ進んでいったそうです。
印象的なのは、同じ『nicola』出身のモデルが、雑誌を卒業した後に別の夢へ進むと聞いて驚いたという話です。
新垣さんは、自分にとっては芸能活動を続けることが自然な選択になっていたと振り返っています。
モデル卒業後にはほかの道もあると知ったことは、当時の本人にとって意外な発見だったようです。
2005年『Sh15uya』で初めてドラマのヒロインに
2005年1月から放送された『Sh15uya』は、架空の渋谷を舞台にした特撮ドラマです。
新垣さんはヒロインのエマを演じました。
演技経験が十分ではない段階で、いきなり重要な役を任されることになったのです。
2005年のタレントデータバンクのインタビューでは、出演が決まったときの驚きを率直に語っています。
「私で良いんですか!?」
出典:タレントデータバンク「<新垣結衣>インタビュー」(2005年7月1日)
それまでの演技経験はCM撮影などに限られており、ドラマでは多くのせりふに加えてアクションも求められました。
マネージャーから台本を何度も読むよう助言され、その言葉を参考にしてせりふを覚えたそうです。
また、ワイヤーを使うアクションにも挑戦しました。
高い場所が苦手だった新垣さんは、アクション監督やスタッフの支えを受けながら撮影に取り組んだと話しています。
初めての本格的な演技の現場は、台本の読み方からアクションの基礎まで学ぶ場所になりました。
『ドラゴン桜』で広がった女優としての仕事
同じ2005年、新垣さんはTBS系ドラマ『ドラゴン桜』にも出演しました。
演じたのは、山下智久さん演じる矢島勇介の恋人、香坂よしのです。
派手なメイクやファッションが特徴の女子高校生で、役に合わせて髪を染めたことも当時のインタビューで明かしています。
『Sh15uya』で特撮ドラマのヒロインを経験した後、学園ドラマで異なるタイプの少女を演じることになりました。
さらに、バラエティー番組『落下女』にも出演し、芸人たちと共演しています。
2023年の『木村拓哉 Flow』では、当時は高校生で、アドリブの多いコントに戸惑いを感じたと振り返りました。
それでも、共演者たちが支えてくれたことを覚えており、その経験は後にコメディー作品へ取り組む際にも生かされていると話しています。
モデルからドラマ、バラエティーへと活動が広がった2005年は、女優としての歩みが始まった年でした。
新垣結衣の若い頃|ポッキーCMから映画主演へ
2005年に女優デビューを果たした新垣さんは、翌2006年からさらに広く知られるようになります。
テレビCMや連続ドラマへの出演を重ね、2007年には映画初主演も経験しました。
2006年『ポッキー』CMで注目を集める
2006年、新垣さんは江崎グリコ『ポッキー』のCMに出演しました。
ORANGE RANGEの楽曲に合わせて元気に踊る姿が話題となり、「ガッキー」の愛称が幅広い世代に知られるきっかけの一つになりました。
この年には日本テレビ系ドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』にも出演し、長瀬智也さん演じる主人公が通う高校の生徒、梅村ひかりを演じています。
モデルとして知られていた新垣さんが、CMやテレビドラマを通して、女優としても注目されるようになっていきました。
2007年『恋するマドリ』で映画初主演
2007年8月18日、新垣さんが主演した映画『恋するマドリ』が公開されました。
大九明子監督の長編映画で、松田龍平さんや菊地凛子さんらと共演しています。
『恋するマドリ』は、新垣結衣さんにとって映画初主演作です。
主人公は、一人暮らしを始めたばかりの若い女性・ユイ。
引っ越し先で出会った人々との交流を通して成長していく物語です。
2007年8月14日のシネマトゥデイのインタビューでは、撮影を続ける中で、演技への向き合い方に変化があったことを話しています。
最初は芝居をしようと意識して動いていたものの、撮影を重ねるうちに役と自分との境界が自然になっていったそうです。
10代でモデルから女優へ進んだ新垣さんが、主演として映画一本を通して役を演じる経験を重ねました。
『恋空』のヒットと新人俳優賞受賞
同じ2007年11月には、映画『恋空』が公開されました。
新垣さんは三浦春馬さんと共演し、主人公の田原美嘉を演じています。
携帯小説を原作とした恋愛映画で、若い世代を中心に大きな注目を集めました。
2007年11月12日のシネマトゥデイのインタビューでは、つらい経験を重ねる美嘉という役と向き合ったことについて語っています。
それまでの明るく元気なイメージとは異なり、悲しみや苦しさを抱えた人物を演じる作品でした。
映画出演を通じて、新垣さんは第31回日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞しています。
2005年のドラマデビューから約3年。
『恋するマドリ』で映画初主演を果たし、『恋空』で広く注目を集めたことは、女優としてのキャリアにおける大きな節目になりました。
新垣結衣の転機|コード・ブルーから逃げ恥まで
『恋空』で注目を集めた後も、新垣さんはさまざまなドラマや映画に出演しました。
中でも『コード・ブルー』『リーガル・ハイ』『逃げるは恥だが役に立つ』は、異なる役柄に取り組んできた歩みが見える作品です。
『コード・ブルー』で長く演じた白石恵
2008年、新垣さんはフジテレビ系ドラマ『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』に出演しました。
演じたのは、フライトドクターを目指す医師白石恵です。
山下智久さん、戸田恵梨香さん、比嘉愛未さん、浅利陽介さんらと共演し、救命救急医療の現場を舞台にした物語へ参加しました。
シリーズは2010年に第2シーズン、2017年に第3シーズンが放送され、2018年には劇場版も公開されています。
長い期間をかけて同じ役を演じ続けたことで、若手医師だった白石の成長も作品の中で描かれていきました。
『コード・ブルー』は、新垣さんが10代で出演した学園ドラマや恋愛映画とは異なる、医療現場を舞台にした代表作となりました。
『リーガル・ハイ』でのコメディーへの挑戦
2012年には、フジテレビ系ドラマ『リーガル・ハイ』に出演しました。
堺雅人さん演じる古美門研介とコンビを組む新人弁護士、黛真知子を演じています。
正義感が強く融通の利かない黛と、毒舌で型破りな古美門の掛け合いが作品の大きな特徴でした。
2013年には続編『リーガルハイ』も放送されています。
新垣さんは後年、2005年のコント番組『落下女』について、アドリブへの戸惑いや共演者の支えを振り返っています。
その経験が、コメディーを含む作品に取り組む際にも役立っていると本人は話していました。
『リーガル・ハイ』は、テンポの速いせりふや表情の変化を伴う役を演じた、キャリアの重要な一作となりました。
『逃げるは恥だが役に立つ』で主演女優賞を受賞
2016年、新垣さんはTBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』に主演しました。
演じたのは、大学院を卒業したものの就職先が見つからず、家事代行の仕事を始める森山みくりです。
星野源さん演じる津崎平匡と契約結婚をするという設定から、仕事や家事、恋愛、結婚について描かれたドラマでした。
主題歌「恋」に合わせて出演者が踊る「恋ダンス」も広く知られ、作品は大きな反響を呼びました。
新垣さんは、この作品で第91回ザテレビジョンドラマアカデミー賞主演女優賞を受賞しました。
さらに2017年には、東京ドラマアウォードの主演女優賞も受賞しています。
授賞式では、みくりという役から新しい考え方を教えてもらったと語りました。
当時の授賞式での本人の言葉や姿は、MANTAN TVが公開した映像でも確認できます。
2001年にモデルとして芸能活動を始め、2005年に女優デビューした新垣さん。
その約15年後、主演ドラマで複数の演技賞を受けるまでになりました。
新垣結衣が『正欲』で見せた新たな役柄と受賞
数々の主演作を重ねた新垣さんは、2023年公開の映画『正欲』にも出演しました。
これまで演じてきた役とは異なる難しさを抱えた人物に向き合い、2024年には映画賞で初めて助演女優賞を受賞しています。
2023年『正欲』への出演
2023年11月10日に公開された映画『正欲』は、朝井リョウさんの同名小説を岸善幸監督が映画化した作品です。
新垣さんは、ショッピングモールで販売員として働く桐生夏月を演じました。
誰にも言えない秘密を抱えながら暮らす人物で、稲垣吾郎さん、磯村勇斗さんらと共演しています。
2023年11月10日公開の映画.comのインタビューでは、企画段階から作品に関心を持ち、監督と話し合いを重ねながら出演を決めた経緯を明かしています。
演じる夏月が抱える感情についても、具体的な参考になるものが少なく、想像を重ねる必要があったそうです。
さらに、若い頃は撮影が終わっても役の感情から切り替えられないことがあった一方、経験を重ねるにつれて切り替えられるようになったと語っています。
『正欲』では、役について考え続けながらも、仕事としての切り替えを意識して撮影に取り組んでいました。
2024年の日本映画批評家大賞助演女優賞
2024年、新垣さんは映画『正欲』で第33回日本映画批評家大賞の助演女優賞を受賞しました。
映画『正欲』の公式Xでも、受賞が発表された際に新垣さんの演技を紹介しています。
5月22日に行われた授賞式では、映画賞で助演女優賞を受けるのは初めてだと喜びを語っています。
この作品で多くのことを学んだと振り返り、共演者や制作陣と過ごした時間についても話しました。
2005年の『Sh15uya』では、初めてのドラマ出演でヒロインを任され、驚きながら台本やアクションに取り組んでいた新垣さん。
『恋するマドリ』や『恋空』で映画主演を経験し、『コード・ブルー』『リーガル・ハイ』『逃げるは恥だが役に立つ』では異なる役柄に挑戦してきました。
そして2024年、『正欲』で初めて映画賞の助演女優賞を手にしました。
姉がインスタントカメラで撮った一枚の応募写真から始まった芸能活動は、モデル、ドラマ、映画と仕事の幅を広げ、長い年月をかけて女優としての経験を積み重ねる歩みとなったのです。
















