柳楽優弥の生い立ち|家族と若い頃、子役デビューからカンヌ受賞まで

柳楽優弥の肖像イラストに、生い立ちや家族・若い頃、子役デビューからカンヌ受賞までの見出しを配したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
やぎらゆうや
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
1990年3月26日
芸能活動開始
2002年
俳優デビュー
2004年
デビューのきっかけ
芸能事務所への応募

柳楽優弥さんは、映画『誰も知らない』で俳優デビューし、14歳でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞した俳優です。

1990年3月26日に生まれ、東京都東大和市で育ちました。

子どもの頃から俳優を目指していたと思われがちですが、実は歌って踊るアイドルの仕事にも憧れていました。

12歳で芸能事務所に所属し、初めて出演した映画で世界的な評価を受けた一方、その後は演技への悩みから俳優活動を離れ、アルバイトを経験した時期もあります。

今回は、そんな柳楽優弥さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界入りのきっかけ、子役デビューから俳優としての転機までをご紹介します。

柳楽優弥の生い立ち|東京都東大和市で過ごした幼少期

柳楽優弥さんは、1990年3月26日に東京都東大和市で生まれました。

東大和市は東京都の多摩地域に位置し、都心とは異なる住宅地や公園が広がる街です。

地元・東大和市で過ごした子ども時代

柳楽さんの幼少期を知るうえで興味深いのは、子どもの頃から映画やテレビ番組を楽しんでいたことです。

2021年の週プレNEWSのインタビューでは、幼い頃に観た映画や、好きだったテレビ番組について振り返っています。

最初はアニメを観ることが多かったそうですが、小学生になると大人向けの映画やテレビドラマにも興味を持つようになりました。

また、2024年の『VOGUE JAPAN』のインタビューでは、人生で最初に覚えていることとして、小学1年生の頃の担任の先生が好みのタイプだったという、少し照れくさい思い出を明かしています。

幼い頃の記憶として学校の先生を挙げるところにも、当時の柳楽さんの素顔が感じられます。

サッカーやテレビに親しんだ少年時代

柳楽さんは子どもの頃からサッカーが好きで、所属事務所の公式プロフィールでも特技の一つに挙げています。

2008年のスポーツニッポンでは、かつて俳優かサッカー選手かというほどサッカーが好きだったことが紹介されました。

映画出演をきっかけに芸能界で知られるようになりましたが、それ以前はスポーツにも夢中になる少年だったのです。

テレビでは『SMAP×SMAP』などのバラエティー番組も楽しんでいました。

特に、アイドルがコントに挑戦する姿が面白かったそうです。

『週刊プレイボーイ』のインタビューでは、同番組からお笑いへの影響を強く受けたことも語っています。

俳優として活動する前から、演技だけでなく、歌や笑いを含めた幅広いエンターテインメントに関心を持っていました。

柳楽優弥の家族|母親とのエピソードと芸能界入りへの後押し

柳楽優弥さんの家族については、母親とのやり取りや、家族で映画を観に行った思い出などが本人の発言から分かっています。

特に母親は、柳楽さんが芸能界へ入る際の大切な相談相手でした。

家族で観た映画『タイタニック』の思い出

小学生の頃、柳楽さんは家族と一緒に映画『タイタニック』を観に行きました。

それまでアニメ映画を観ることが多かった柳楽さんにとって、大人向けの物語を楽しめたことが印象に残ったそうです。

2021年8月4日公開の週プレNEWSのインタビューでは、当時の思い出について次のように語っています。

家族で一緒に見に行ったので印象に残っています。

出典:週プレNEWS「角田陽一郎×柳楽優弥(俳優)『影響を受けたのは「スマスマ」のコントとモテるカッコいい監督』」(2021年8月4日)

映画の公開は1997年で、柳楽さんが小学校低学年だった頃の出来事です。

本人は、大人向けのストーリーに入り込めたことがうれしかったと振り返っています。

家族との外出の思い出として映画館での体験が残っていることは、柳楽さんの映画好きの一面を知る具体的なエピソードです。

なお、父親や兄弟姉妹の人数、職業などについては、本人の発言だけから詳しい家族構成を断定できる情報は限られています。

柳楽さん自身が語っている家庭での出来事としては、映画を観に行った思い出や、芸能事務所への応募を母親に相談した話があります。

母親に相談して芸能事務所への応募を決める

柳楽さんが芸能界に興味を持ったとき、その思いを相談したのが母親でした。

2026年10月7日に行われた映画『RYUJI 竜二』のジャパンプレミアでは、人生で大きな選択だった出来事として、芸能事務所へ応募したことを挙げています。

その際、母親に相談して事務所への応募を決めたと明かしました。

当時は俳優という仕事だけを目指していたわけではなく、歌やダンスへの憧れもありました。

芸能界に入りたいという思いを母親に伝え、実際に応募という行動を起こしたことが、柳楽さんの進路を大きく変えました。

この選択から間もなく、是枝裕和監督の映画『誰も知らない』との出会いが訪れます。

柳楽優弥の中学時代|芸能界に憧れたきっかけ

柳楽優弥さんが芸能界に入ったのは2002年、12歳のときです。

中学生だった柳楽さんは、友人の活動や好きなテレビ番組をきっかけに、自分も芸能の仕事をしてみたいと考えるようになりました。

ドラマに出演した友人を見て芸能界に興味を持つ

芸能界入りのきっかけの一つは、友人が芸能活動をしていたことでした。

2020年9月放送の『TOKIOカケル』では、友人が昼のテレビドラマに出演していたことを振り返っています。

身近な友人がテレビに出演している姿を見て、自分も人を楽しませる仕事がしたいと考えたそうです。

当時は『SMAP×SMAP』のコントなども好んで見ており、俳優の仕事とアイドルの仕事の両方に関心を持っていました。

最初から映画俳優として有名になることを具体的に思い描いていたわけではなく、テレビの中で人を楽しませる存在への憧れが出発点でした。

最初はアイドルにも憧れ、別の事務所にも応募

実は柳楽さんは、スターダストプロモーションへ入る前に、当時のジャニーズ事務所にも応募していました。

2020年の『TOKIOカケル』で初めて明かした話によると、ジャニーズJr.のオーディションで書類審査を通過していたそうです。

しかし、審査結果の通知が届くまでには約1年かかりました。

その間にスターダストプロモーションへの所属が決まり、映画『誰も知らない』の撮影も始まっていました。

アイドル事務所の書類審査に通過した頃には、すでに俳優としての仕事が動き始めていたのです。

2026年4月の『A-Studio+』でも、通知を受け取ったときには映画の撮影中だったと振り返っています。

憧れの存在として名前を挙げていたのは、TOKIOの長瀬智也さんでした。

俳優として世界的な賞を受賞することになる柳楽さんですが、少年時代には歌って踊る仕事への道も考えていたのです。

2026年10月には、当時の夢を振り返って次のように話しています。

もともとは歌って踊りたかったんです

出典:ORICON NEWS「柳楽優弥『本当は歌って踊りたかった』 デビュー秘話を告白」(2026年10月7日)

芸能事務所への応募について本人が語った映像では、少年時代に考えていた進路を、俳優になった後の立場から振り返っています。

2002年、12歳でスターダストプロモーションに所属

柳楽さんは2002年、12歳でスターダストプロモーションに所属しました。

友人への憧れから始まった芸能界への興味が、実際の仕事につながることになります。

ただし、事務所に入ったことと、俳優として演技を始めたことは区別する必要があります。

事務所に所属した柳楽さんは、間もなく映画のオーディションに参加しました。

その作品が、是枝裕和監督の『誰も知らない』でした。

柳楽優弥の俳優デビュー|『誰も知らない』で初めて演技を経験

柳楽優弥さんの俳優人生は、映画『誰も知らない』のオーディションから始まりました。

演技経験がほとんどない少年が、初めて参加した映画のオーディションで主演に選ばれたのです。

是枝裕和監督のオーディションで主演に抜擢

『誰も知らない』は、是枝裕和監督が長年構想を温めていた作品です。

1988年に実際に起きた事件を着想源とし、母親が家を出たあとに残された子どもたちの生活を描いています。

柳楽さんが演じたのは、4人きょうだいの長男・福島明です。

母親の不在によって幼い弟妹の面倒を見ることになった少年という、難しい役どころでした。

是枝監督は、オーディションで柳楽さんの目に強く引かれたと語っています。

2004年7月の完成披露会見でも、最初に見たときの印象的な瞳が起用の理由だったことを明かしました。

『誰も知らない』は柳楽さんが初めて演技を経験した映画であり、映画デビュー作となった作品です。

主演を任されることになったものの、その撮影方法は一般的な映画とは少し異なっていました。

台本を渡されない撮影で始まった俳優生活

『誰も知らない』の撮影では、子どもたちに事前に台本を覚えさせる方法を取っていませんでした。

是枝監督は現場で子どもたちに状況や言葉を伝え、その場で生まれる自然な反応を撮影しました。

柳楽さんにとって、これが最初の本格的な演技経験でした。

一般的な演技の訓練を十分に受けたあとで映画に参加したのではなく、撮影の現場で演じることを経験していったのです。

撮影は長期間にわたって行われました。

2004年の完成披露会見では、撮影開始時から柳楽さんの身長が約20センチ伸びていたことも話題になっています。

主人公の少年が成長していく姿と、撮影期間中に実際に成長していった柳楽さんの姿が、同じ映像の中に収められました。

こうした独特の撮影経験は、映画公開後の柳楽さんにとって、別の意味でも大きな出来事になります。

次の作品では台本を読み、セリフを覚え、監督の演出に応えるという、それまでとは異なる方法で演技をする必要があったからです。

『クニミツの政』の放送を経て映画『誰も知らない』が公開

柳楽さんの俳優デビューには、少し複雑な時系列があります。

最初に撮影へ参加した映画は『誰も知らない』ですが、映画が公開される前にテレビドラマへ出演していました。

2003年に放送されたフジテレビ系ドラマ『クニミツの政』です。

この作品では、坂上晋作という少年を演じています。

『誰も知らない』は長期撮影に加えて公開まで時間がかかったため、俳優として最初に撮影した映画より、テレビドラマの出演作が先に世に出ることになりました。

そして2004年8月7日、映画『誰も知らない』が日本で劇場公開されました。

柳楽さんの子役時代を代表する作品は『誰も知らない』ですが、初めての撮影仕事と最初に放送された出演作は、このように異なります。

Netflix公式が紹介した『誰も知らない』の投稿には、子役時代の柳楽さんが演じた明と、母親役のYOUさんに関する作品の場面が取り上げられています。

柳楽優弥が14歳でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞

2004年5月、柳楽優弥さんの名前が日本だけでなく海外にも広く知られる出来事が起こりました。

第57回カンヌ国際映画祭で、14歳にして最優秀男優賞を受賞したのです。

これは当時、同映画祭の男優賞では史上最年少の受賞であり、日本人俳優としても初めての快挙でした。

学校の試験で帰国し、母親から受賞を知らされる

カンヌ国際映画祭に出席した柳楽さんですが、学校の試験があったため、授賞式前に日本へ帰国していました。

そのため、受賞の瞬間を映画祭の会場で迎えたわけではありません。

授賞式が行われた時間には眠っていたそうです。

受賞を知ったのは、母親に起こされたときでした。

2004年5月23日に東京で開かれた記者会見では、受賞について次のように話しています。

おれがこんなすごい賞を取るなんて信じられない。

出典:四国新聞社「『うれしくてたまらない』/男優賞受賞の柳楽君が会見」(2004年5月23日)

会見当時の柳楽さんは中学3年生でした。

映画初出演から間もない少年が、世界的な映画祭で名だたる俳優たちと並んで評価されたのです。

受賞をきっかけに、多くの人が柳楽さんを知るようになりました。

ただ、本人にとっては、受賞した時点で俳優として必要なことをすべて身につけていたわけではありませんでした。

大きな評価と自分の演技の間で感じた戸惑い

初めての映画で大きな賞を受けたことは、その後の柳楽さんに強い影響を与えました。

周囲からは大きな期待を寄せられましたが、本人は自分の演技について悩むことが増えていったそうです。

2021年のMOVIE WALKER PRESSのインタビューでは、デビュー時について次のように振り返っています。

僕は特殊なデビューをしてしまった

出典:MOVIE WALKER PRESS「柳楽優弥、30代で次なる飛躍へ。コロナ禍で芽生えた『自分の声にも耳を傾けていきたい』との想い」(2021年1月3日)

柳楽さんは、演じるということを十分に知らないまま大きな賞を受け、その評価に見合う俳優にならなければならないと考えるようになったそうです。

『誰も知らない』で受けた是枝監督の演出は特殊なものでした。

その後、別の監督から違う方法で演技を求められると、どのように応えればよいのか戸惑うことがありました。

2019年のシネマトゥデイの記事でも、カンヌ受賞後に異なる演出方法へ対応できず、悩んでいた時期が紹介されています。

世界的な評価を受けたことと、自分自身が演技に自信を持てることは、柳楽さんにとって別の問題だったのです。

柳楽優弥の高校時代|堀越高校での学校生活と初期の主演作

中学生でカンヌ国際映画祭の男優賞を受賞した柳楽優弥さんは、高校進学後も俳優活動を続けました。

高校は、芸能活動を行う生徒も多く通う堀越高校です。

堀越高校で出会った友人や豊田エリー

堀越高校では、俳優や芸能界で活動する同世代の人たちと学校生活を送りました。

2020年の『TOKIOカケル』では、高校時代の友人としてHey! Say! JUMPの薮宏太さんや俳優の若葉竜也さんの名前を挙げています。

一緒にカラオケへ行くこともあり、TOKIOの楽曲『宙船』を歌っていたことも明かしました。

柳楽さんは、2005年のシネマトゥデイのインタビューでも、中学時代から友人とカラオケへ行くことが好きだったと語っています。

学校は学校だし、仕事は仕事です。

出典:シネマトゥデイ「『星になった少年 Shining Boy & Little Randy』柳楽優弥インタビュー」(2005年7月11日)

このインタビューでは、学校の友人と過ごす時間が楽しいとも話していました。

堀越高校で出会った人物の一人が、後に結婚することになる豊田エリーさんです。

豊田さんは柳楽さんの高校の先輩でした。

柳楽さんは学校で豊田さんを見て一目ぼれし、共通の知り合いを通して連絡先を教えてもらったと語っています。

2016年の『おしゃれイズム』では、17歳の頃に最初のプロポーズをしたという思い出も明かしました。

二人は2010年1月に結婚しています。

10代から俳優の仕事で大きな注目を集めていた一方、学校には友人との交流や将来の伴侶との出会いもありました。

『星になった少年』などで主演を重ねた10代

柳楽さんは2005年公開の映画『星になった少年 Shining Boy & Little Randy』で主演を務めました。

この作品は、象使いを目指した少年の実話をもとにした物語です。

柳楽さんは役作りのため、日本で3週間、タイで2週間にわたり象に乗る訓練を受けました。

2005年のインタビューでは、最初は象に乗ることを簡単に考えていたものの、実際の訓練は大変だったと振り返っています。

水浴びの訓練中には、象が体を揺らしたため川に落ちてしまったこともあったそうです。

『誰も知らない』とは異なり、今度は台本を読み、役を理解しながら撮影を進めました。

最初から役になりきるのは難しく、撮影を続けるうちに少しずつ主人公になっていく感覚があったと話しています。

その後も2006年の『シュガー&スパイス 風味絶佳』、2007年の『包帯クラブ』などで主演を重ねました。

10代のうちにカンヌ受賞作以外の映画でも主演を経験し、さまざまな役柄に取り組むことになったのです。

一方で、作品ごとに異なる演出や求められる技術と向き合うなかで、俳優としての悩みも深まっていきました。

柳楽優弥の20代|俳優活動を離れた時期とアルバイト経験

華やかな受賞歴を持つ柳楽優弥さんですが、10代後半には俳優活動を減らした時期があります。

2008年頃から体調面の問題や仕事への悩みによって活動を一時的に休み、その後、演技の現場へ戻りました。

演技への悩みが深まった10代後半

2008年12月のシネマトゥデイのインタビューでは、柳楽さんは俳優を辞めることまで考えた時期について話しています。

若い頃から大きな評価を受けた一方、自分の仕事の進め方や俳優としての在り方について考え込んでいたそうです。

この時期には、映画出演だけでなく小説の制作にも取り組みました。

2008年には、自ら考えた原案をもとに、作家の井上凛さんが執筆に協力した小説『止まない雨』を発表しています。

本人は、映画を観ているうちに物語を思いつき、もともとは映像作品にしたいと考えていたことを明かしました。

その後、2009年の『戦慄迷宮3D』、2010年の『すべては海になる』などで映画出演を重ね、俳優としての仕事に戻っていきました。

ただ、出演を再開したことで、演技への悩みがすぐになくなったわけではありませんでした。

自分の経験を広げるため、柳楽さんは映画やドラマの現場とは異なる仕事にも挑戦するようになります。

洗車や飲食店のアルバイトで社会経験を積む

20代前半の柳楽さんは、自動車販売店で洗車のアルバイトを経験しました。

2016年の『おしゃれイズム』では、20歳頃に数か月間、自動車ディーラーの裏で洗車をしていたことを明かしています。

その後は居酒屋でも働きました。

俳優としての経歴を持ちながら、接客や洗車といった仕事を実際に経験していたのです。

アルバイトは、演技の仕事から完全に離れるためというより、社会経験を積むための取り組みでもありました。

2021年のMOVIE WALKER PRESSのインタビューでは、当時は経験したことが俳優の仕事にも役立つと信じながら働いていたと振り返っています。

アルバイト先で俳優の仕事について考えることもあったそうです。

また、映画『許されざる者』の顔合わせには、アルバイト先から向かったことも明かしています。

監督から質問があるかと聞かれたときには、自分が役に選ばれるのかを直接尋ねたそうです。

役が決まればアルバイトを辞めることになるため、本人にとっては切実な質問でした。

俳優の仕事とアルバイトを行き来していたこの時期に、柳楽さんは新しい演出家や監督との出会いを経験します。

蜷川幸雄との出会い|舞台で演技を学び直した転機

柳楽優弥さんが俳優としての大きな転機に挙げているのが、蜷川幸雄さんと李相日さんの作品です。

2012年の舞台『海辺のカフカ』と2013年の映画『許されざる者』では、それまでとは異なる厳しい演出を受けました。

2012年『海辺のカフカ』で初めて舞台に立つ

2012年、柳楽さんは蜷川幸雄さんが演出する舞台『海辺のカフカ』で初舞台を踏みました。

村上春樹さんの小説を原作とした舞台作品で、柳楽さんは主人公の田村カフカを演じています。

映画やテレビドラマと異なり、舞台では客席へ届く声の出し方や、舞台上での体の使い方が求められます。

柳楽さんも蜷川さんから声の小ささを指摘されるなど、厳しい指導を受けました。

それでも、演技の技術を身につけたいという思いで稽古に取り組んだそうです。

2021年のシネマトゥデイのインタビューでは、蜷川さんに『海辺のカフカ』の主演として選ばれたことが、演技の世界へ戻るうえで大きな出来事だったと振り返っています。

『海辺のカフカ』は、柳楽さん自身が俳優としての再出発につながったと語る作品です。

初舞台で厳しい演出を経験したあと、翌年には映画で別の監督から指導を受けることになります。

2013年『許されざる者』で李相日監督の指導を受ける

2013年、柳楽さんは李相日監督の映画『許されざる者』に出演しました。

渡辺謙さん、柄本明さん、佐藤浩市さんらが出演する作品で、柳楽さんはアイヌ出身の青年・五郎を演じています。

舞台『海辺のカフカ』で声が小さいと指摘された柳楽さんは、この映画の現場では反対に声が大きいと注意されたそうです。

2021年のインタビューでは、異なる現場で正反対の指摘を受けた経験を笑い交じりに振り返っています。

俺はどうしたらいいんだ!

出典:MOVIE WALKER PRESS「柳楽優弥、30代で次なる飛躍へ。コロナ禍で芽生えた『自分の声にも耳を傾けていきたい』との想い」(2021年1月3日)

監督ごとに求められる演技の違いに直面しながらも、柳楽さんは一つずつ課題に向き合っていきました。

2013年9月のcinemacafe.netのインタビューでは、撮影前から悩みを抱えていたことを明かしています。

李監督の現場では厳しい言葉を受けることも多く、役をどう演じればよいのか考え続けたそうです。

撮影が終わった日、李監督から花束とともに労いの言葉をかけられたことが、とてもうれしかったと振り返っています。

また、撮影後には特定のシーンについて監督からよかったと言われたことも、大切な思い出になりました。

映画が公開された頃のインタビューでは、次のようにも語っています。

間違いなく、この作品をきっかけに前に進むことができていると感じています

出典:cinemacafe.net「柳楽優弥インタビュー『実力なんてない…』ともがいた時間/『許されざる者』」(2013年9月10日)

蜷川幸雄さんの舞台と李相日さんの映画で厳しい指導を受けた経験を、柳楽さんは後年も大きな転機として挙げています。

柳楽優弥の再ブレイク|『アオイホノオ』から主演男優賞へ

2010年代に入ると、柳楽優弥さんは映画だけでなくテレビドラマや舞台でも異なる役柄を演じるようになりました。

特に2014年から2016年にかけては、コメディー作品への主演や映画賞の受賞など、俳優としての活動に新しい動きが生まれています。

2014年『アオイホノオ』で連続ドラマ初主演

2014年、柳楽さんはテレビ東京系ドラマ『アオイホノオ』で連続ドラマ初主演を務めました。

島本和彦さんの漫画を原作とした作品で、柳楽さんは主人公の焔モユルを演じています。

このドラマでは、漫画家を目指す青年の熱意や焦りを、コミカルな表現を交えて演じました。

監督を務めたのは福田雄一さんです。

柳楽さんにとって、それまでのシリアスな映画作品とは異なる芝居に取り組む機会になりました。

2014年のORICON NEWSのインタビューでも、デビュー10周年を迎えた柳楽さんは、仕事に対する気持ちの変化を語っています。

カンヌ受賞の印象だけにとどまらず、連続ドラマの主演としてコメディーに挑戦したことは、俳優としての役柄の幅が広がった出来事でした。

2016年『ゆとりですがなにか』で新たな役柄に挑戦

2016年には、日本テレビ系ドラマ『ゆとりですがなにか』に出演しました。

脚本は宮藤官九郎さんで、岡田将生さんや松坂桃李さんらが出演する作品です。

柳楽さんが演じたのは、道上まりぶという人物でした。

まりぶは複雑な事情を抱えながらも、強い存在感を示す役柄です。

この作品で柳楽さんは、第4回コンフィデンスアワード・ドラマ賞の助演男優賞と、第89回ザテレビジョンドラマアカデミー賞の助演男優賞を受賞しました。

映画で主演を務めるだけでなく、連続ドラマで助演として評価されたことも、俳優としてのキャリアを考えるうえで重要な出来事です。

『ディストラクション・ベイビーズ』で主演男優賞を受賞

同じ2016年、柳楽さんは真利子哲也監督の映画『ディストラクション・ベイビーズ』に主演しました。

演じたのは、通行人に次々とけんかを仕掛ける青年・泰良です。

言葉による説明が少ない役柄で、表情や体の動きを通して人物を表現する場面も多くありました。

同作には菅田将暉さん、小松菜奈さん、村上虹郎さんらも出演しています。

柳楽さんはこの作品で、第38回ヨコハマ映画祭主演男優賞と、第90回キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞を受賞しました。

14歳でカンヌ国際映画祭の男優賞を受けてから12年後、再び映画主演の演技が高く評価され、国内の主要映画賞を受賞したのです。

10代には大きな受賞歴と自分の演技の間で悩んだ柳楽さんでしたが、舞台やさまざまな映画の現場を経験し、20代半ばで再び主演男優賞を手にしました。

『浅草キッド』でビートたけし役に挑戦

2021年には、Netflix映画『浅草キッド』で若き日のビートたけしさんを演じました。

監督は劇団ひとりさんで、大泉洋さんが師匠の深見千三郎を演じています。

物語では、浅草の劇場で芸人として修業する若き日のたけしさんと、師匠との関係が描かれます。

柳楽さんはビートたけしさんの人物像に近づくため、話し方や表情、体の動きに加えて特殊メイクにも取り組みました。

Netflix公式は、特殊メイクへのこだわりや撮影の裏側について、劇団ひとり監督らの話を紹介しています。

柳楽さんは少年時代から『SMAP×SMAP』などのお笑いに親しみ、歌やダンスにも憧れていました。

その後、映画でのデビュー、舞台での経験、コメディードラマへの主演を経て、今度は日本のお笑い界を代表する人物の若い頃を演じることになりました。

『浅草キッド』では、芸人の世界に足を踏み入れた青年の姿を、柳楽さん自身が俳優として積み重ねてきた経験を通して表現しています。