PROFILE
人物プロフィール
NHK連続テレビ小説『虎に翼』や『舞いあがれ!』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』など、数々の作品に出演してきた俳優・川島潤哉さん。
テレビドラマでその姿を知った人も多いかもしれませんが、俳優として歩み始める前には、バスケットボールやバンド活動に打ち込んだ学生時代がありました。
東京都立大学を卒業した後も音楽活動を続け、24歳ごろから演劇の世界へ進んだ川島さんは、小劇場や劇団で経験を重ねながら、自作自演の一人演劇にも取り組んできました。
さらに、高校時代に親しくしていた後輩と、およそ19年の時を経て映画の撮影現場で再会するという出来事も経験しています。
川島潤哉さんの生い立ちや家族、学生時代、俳優になるまでの道のりをたどっていきます。
川島潤哉の生い立ち|東京都で生まれた幼少期
川島潤哉さんは、1979年5月12日生まれ、東京都出身の俳優です。
身長は180cmで、所属事務所の公式プロフィールには、特技として日本舞踊(藤間流)、ベース演奏、バスケットボールが挙げられています。
後に俳優として活動する川島さんですが、その経歴をたどると、演技のほかにも音楽やスポーツに関わってきたことが分かります。
特にベース演奏とバスケットボールは、高校時代の具体的なエピソードが残っている活動です。
一方、東京都内のどの地域で幼少期を過ごしたのか、小学生のころに何をして遊んでいたのかといった詳しい生活の様子については、明確な情報が限られています。
日本舞踊についても特技として確認できますが、何歳から習い始めたのかまでは明らかではありません。
幼少期の詳しいエピソードは多くありませんが、高校時代になると、当時を知る人物によって川島さんの姿が具体的に語られています。
川島潤哉の家族|生まれ育った家庭と家族との日常
川島潤哉さんの生育家族については、両親の職業や兄弟姉妹の構成、幼少期に家族と過ごした具体的な思い出など、詳しく確認できる情報は限られています。
その一方で、結婚後の家族との日常については、川島さん自身がインタビューで話したことがあります。
本人が語った妻と子どもとの日常
2019年1月20日に公開されたSHIPSのインタビューでは、川島さんが休日の服装や普段持ち歩くバッグについて語っています。
休日の過ごし方について聞かれた川島さんは、次のように答えていました。
「休日は子供と公園に行くので、リラックスできるカジュアルスタイルが多いですね」
出典:SHIPS「SHIPS any, anyone.」(2019年1月20日)
また、仕事の際に使っていたバッグについては、妻からのプレゼントだと明かしていました。
そのバッグを約3年間愛用していたという川島さんは、仕事で必要なものが台本くらいだったため、持ち歩きやすい大きさが気に入っていたそうです。
妻から贈られたバッグを使い続け、休日には子どもと公園へ出かける。
俳優としての仕事から少し離れた、川島さんの普段の暮らしが伝わってくるエピソードです。
なお、このインタビューだけでは、子どもの人数や年齢、妻との出会いなどの詳しい家族構成までは分かりません。
川島潤哉の高校時代|バスケ部主将と文化祭でのバンド活動
川島潤哉さんの学生時代について、詳しい思い出を語っている人物がいます。
映画『AWAKE』を監督した山田篤宏さんです。
山田監督は2020年12月3日、自身のnoteに川島さんとの高校時代からの関係を振り返った文章を公開しています。
そこには、映画の撮影現場で共に仕事をするずっと前の、先輩と後輩としての姿が記されていました。
バスケ部でキャプテンを務めた高校時代
山田監督によると、川島さんは高校の1学年上の先輩でした。
山田さんが高校1年生のとき、川島さんは2年生で、2人は同じバスケットボール部に所属していたそうです。
当時の川島さんは、バスケットボール部のキャプテンを務めていました。
山田監督の回想によると、3年生が引退した後のチームには指導するコーチがおらず、キャプテンだった川島さんを中心に練習を進めていたといいます。
特に印象に残っていたのが、伊豆大島で行われた合宿でした。
朝から夜までバスケットボールの練習が続いたという合宿は、後輩だった山田さんにとって記憶に残る出来事だったようです。
川島さんがどのポジションを担当していたのか、試合でどのような成績を残したのかは分かりませんが、部員をまとめる立場にあったことは当時の後輩の証言から確認できます。
文化祭でベースを演奏していた頃
高校時代の川島さんが熱中していたのは、バスケットボールだけではありませんでした。
山田監督は、川島さんが文化祭でバンドのベースを演奏していたことも覚えていました。
山田さん自身も当時からバンドを組んでおり、2人は音楽の話をすることがあったそうです。
バスケットボール部の先輩と後輩だった2人は、音楽という別の共通点でもつながっていました。
また、山田監督の手記には、川島さんが文化祭でコントを披露していたという思い出も残されています。
バスケットボール、バンド、文化祭でのコント。
後に舞台で一人演劇を行う川島さんは、高校時代にも人前で何かを表現する活動に参加していたのです。
川島潤哉の大学時代|東京都立大学卒業後も続けたバンド活動
高校卒業後、川島潤哉さんは東京都立大学へ進学しました。
2019年のSHIPS公式インタビューに掲載されたプロフィールでも、東京都立大学を卒業したことが紹介されています。
ただし、大学で所属した学部・学科や研究していた分野については、詳しい情報が確認できていません。
東京都立大学での学生生活と卒業
川島さんは高校時代から音楽に親しんでいましたが、その関心は大学時代にも続いていました。
所属事務所のプロフィールにもベース演奏が特技として記されており、音楽は学生時代だけで終わった活動ではありません。
SHIPSのプロフィールでは、東京都立大学卒業後、バンド活動と並行して演劇を始めたという経歴が紹介されています。
大学を卒業してすぐに俳優の仕事だけに進んだのではなく、音楽活動と演劇の両方に関わっていた時期があったのです。
高校時代の後輩を誘って組んだ3人組バンド
大学時代の音楽活動についても、山田篤宏監督が当時の出来事を振り返っています。
山田さんが大学生だったころ、川島さんから一緒にバンドを組まないかと誘われたそうです。
集まったのは、川島さん、山田さん、そして高校時代からの知り合いだったドラマーの3人でした。
バンドでは、川島さんがベースとボーカル、山田さんがギターを担当しました。
3人は代々木のスタジオノアで練習を行い、アメリカのパンクロックバンド・MxPxの曲などを演奏していたといいます。
オリジナル曲の制作も考えていたものの、その後、山田さんはバンド活動から離れていきました。
高校のバスケットボール部で知り合った先輩と後輩が、卒業後には同じバンドで演奏していたことになります。
このころの2人に、後に映画監督と俳優として再び仕事をする機会が訪れますが、それまでには長い時間が流れることになりました。
川島潤哉が俳優になるまで|24歳で始めた演劇と劇団コマツ企画
東京都立大学を卒業した川島潤哉さんは、バンド活動を続けながら演劇を始めました。
俳優としての経歴では、24歳ごろに演劇の世界へ進んだと紹介されています。
1979年生まれの川島さんにとって、24歳は2003年から2004年にかけての時期にあたります。
高校時代には文化祭でコントを披露していましたが、それが直接のきっかけで俳優を目指したのか、別の出来事を経て演劇に興味を持ったのかまでは明らかになっていません。
ただし、2004年にはすでに小劇場の舞台に出演していたことが、当時の公演記録に残されています。
音楽活動と並行して始めた演劇
川島さんの俳優としての出発点を知るうえで重要なのは、演劇の開始と、劇団への正式な所属が別の時期だったことです。
大学卒業後にバンド活動と並行して演劇を始めた川島さんは、2005年に劇団コマツ企画へ所属する前から舞台に出演していました。
芸能事務所からのスカウトや、大規模なオーディションでの受賞をきっかけに活動を始めたという確かな記録はありません。
川島さんの初期活動をたどると、まず小劇場の公演記録が現れます。
2004年には王子小劇場の舞台へ出演
2004年10月28日から31日にかけて、王子小劇場ではコマツ企画の公演『悶絶ハムレッツ!!〜みんな悩んで大きくなった〜』が上演されました。
当時の公演記録には、出演者の一人として川島潤哉さんの名前が残っています。
この公演は、川島さんが演劇を始めて間もないころの活動を確認できる貴重な記録です。
ただし、これ以前に出演した舞台がなかったとまでは断定できないため、この作品を「人生初の舞台」とはせず、2004年に確認できる出演歴として位置づけられます。
2005年に劇団コマツ企画へ所属
2005年、川島さんは劇団コマツ企画に所属しました。
その後は劇団の公演に参加し、舞台俳優として経験を積んでいきます。
所属事務所の経歴では、コマツ企画での活動が2010年まで続いたことが紹介されています。
一つの作品に出演するだけでなく、継続的に舞台へ立つようになった時期でした。
そして川島さんは、劇団で活動しながら、出演者が一人だけの舞台を自ら企画するようになります。
演じるだけでなく、自分で作品を作り、舞台に立つ。
この活動は、後に「孤天」「コテン」と呼ばれる一人演劇へと続いていきました。
川島潤哉の一人演劇「コテン」|自作自演の舞台づくり
川島潤哉さんの俳優としての経歴を語るうえで、劇団コマツ企画と並んで欠かせないのが一人演劇「孤天/コテン」です。
テレビドラマや映画ではさまざまな役を演じる川島さんですが、一人演劇では、自分で作品を作って演じる活動にも取り組んできました。
本人が企画について紹介した文章には、次のような説明があります。
「自作自演の一人芝居、一人演劇です。」
出典:川島潤哉本人による「コテン」公演案内(2021年)
自分で文章を書き、自分で演じることが、この企画の基本になっています。
2006年の個人企画「人展」で試した一人演劇
2006年には、川島さんによる個人企画「人展」の公演告知が残されています。
同年10月20日から22日にかけて、新宿のシアターPOOで開催された『人展 ~第二回~』は、一人で舞台に立つ表現者たちが参加する企画でした。
出演者には、役者だけでなく、朗読や漫画など異なる表現に取り組む人々も名を連ねています。
川島さんはこの時期、さまざまな一人表現を舞台上で見せる企画を手がけていました。
その後、川島さん自身が一人で演じる公演も重ねていきます。
「孤天」から「コテン」へ続く創作活動
所属事務所の公演歴には、2009年の一人演劇「孤天」第2回公演『ボクダンス』などが掲載されています。
その後も2010年、2011年、2013年、2017年と、一人演劇の作品を発表してきました。
2020年6月には、コテン『恍惚のパエリア』を千歳船橋のAPOCシアターで上演しています。
川島さん本人の公式Xでは、この公演を無観客・無配信の独演として行うことが告知されていました。
2021年には、コテン『花に嵐の短編集』にも取り組んでいます。
この企画では、複数の短い一人演劇を映像作品として制作し、川島さん自身が脚本や音楽などにも関わりました。
舞台の状況を利用した映像作品として、従来とは異なる上演方法に取り組んだ作品でした。
一人で舞台に立つだけでなく、作品の内容や見せ方も自ら考えてきたことが分かります。
テレビドラマや映画では共演者と物語を作る一方、一人演劇では、自分自身が中心となって作品を成立させる活動を続けてきました。
川島さんの俳優としての歩みには、こうした小劇場を出発点とした創作活動があります。
川島潤哉の映画デビュー|小劇場から『曲がれ!スプーン』へ
劇団コマツ企画や一人演劇で活動していた川島潤哉さんは、2000年代後半からテレビドラマや映画にも出演するようになりました。
舞台での活動を続けながら、映像作品へも仕事の場を広げていった時期です。
映画デビュー前に出演したテレビドラマ
所属事務所の出演歴には、2008年のフジテレビ系ドラマ『Room Of King』第9話への出演が記録されています。
このころには、劇場の舞台だけでなく、テレビドラマにも出演していました。
ただし、2008年の『Room Of King』が川島さんにとって最初のテレビ出演だったかどうかについては、それ以前の出演歴も含めた区別が必要です。
映画デビューより前にドラマ出演の記録があることは、川島さんの活動をたどるうえで大切な点です。
2009年『曲がれ!スプーン』で映画デビュー
川島潤哉さんの映画出演歴で、最初の作品として紹介されているのが、2009年公開の『曲がれ!スプーン』です。
本広克行監督が手がけた同作は、2009年11月21日に公開されました。
舞台作品を原作とする映画で、超能力をめぐる人々の集まりが物語の中心となっています。
川島さんはこの作品への出演を通じて、映画という新たな表現の場にも活動を広げました。
2004年には小劇場の出演記録があり、2005年に劇団へ所属。そして2009年に映画デビューを迎えています。
川島さんは、初めから映画を中心に活動していたのではなく、舞台での経験を積んだ後に映像作品にも出演するようになった俳優です。
『ゲゲゲの女房』『ロボジー』などへ広がった活動
2010年には、NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に出演しました。
さらに2012年には、矢口史靖監督の映画『ロボジー』にも出演しています。
山田篤宏監督は後年、映画『ロボジー』のポスターなどを通じて、かつての高校の先輩である川島さんが俳優として活動していることを知ったと振り返っています。
高校時代には同じバスケットボール部に所属し、卒業後には一緒にバンドを組んだ2人でしたが、その後は長く連絡を取っていませんでした。
川島さんが舞台や映像作品で仕事を重ねている間、山田さんも映画制作の道を歩んでいました。
やがて、その2つの道が一本の映画で交わることになります。
映画『AWAKE』で高校時代の後輩と約19年ぶりに再会
川島潤哉さんの経歴には、高校時代からの人とのつながりが、思いがけない形で仕事につながった出来事があります。
その舞台となったのが、2020年12月25日公開の映画『AWAKE』です。
この作品で監督を務めた山田篤宏さんは、かつて川島さんと同じ高校のバスケットボール部に所属していた後輩でした。
2人は卒業後にバンドも組んでいましたが、やがて交流が途絶え、それぞれの道を歩んでいました。
山田篤宏監督が川島潤哉を起用した経緯
山田監督は2020年12月、自身のnoteで『AWAKE』のキャストについて振り返り、川島さんを起用するまでの経緯を詳しく語っています。
山田さんは高校時代の先輩が俳優になったことを知っていましたが、映画の役を任せることを考えるようになったのは、後年になってからでした。
きっかけの一つとなったのは、2017年公開の映画『武曲 MUKOKU』です。
山田監督はこの作品に出演していた川島さんの姿を見て、自分が準備していた映画『AWAKE』の登場人物に合うのではないかと考えたそうです。
『AWAKE』の脚本は2017年ごろには書かれており、川島さんが演じることになる山崎新一という人物も、すでに物語の中に存在していました。
つまり、山田監督は単に昔の知り合いだからという理由で川島さんを誘ったのではなく、俳優としての川島さんの姿を見て、自分の映画の役に合うと考えたのです。
映画『AWAKE』の公式Xでも、川島さんが演じた山崎新一という役が紹介されています。
2019年の再会から映画『AWAKE』への出演へ
山田監督が川島さんと再会したのは、2019年のことでした。
映画『AWAKE』の衣装合わせの場で、2人は久しぶりに顔を合わせました。
山田監督によると、最後に電話で話してから、およそ19年が経過していたといいます。
高校時代には川島さんがバスケットボール部の先輩で、山田さんは後輩でした。
大学時代には同じバンドのメンバーとして音楽を演奏していました。
それから長い時間が流れ、再会したときには山田さんが映画監督、川島さんが出演俳優になっていたのです。
山田監督は、久しぶりに再会したときの気持ちを、自身の文章の中で次のように振り返っています。
「めっちゃ照れた」
出典:山田篤宏「映画『AWAKE』キャスト回想録4 〜番外編・川島くんとぼく〜」(2020年12月3日)
これは川島さん本人の発言ではなく、久しぶりに先輩と再会した山田監督の言葉です。
高校時代のバスケットボール部、大学時代のバンド活動、そして映画の撮影現場。
別々の道を歩んだ2人が、長い年月を経て一つの作品に参加しました。
学生時代の後輩が監督した映画に、俳優となった川島さんが出演した。
『AWAKE』への出演は、学生時代から続く人間関係と、川島さんが積み重ねてきた俳優としての経験が交わった出来事でした。
『鎌倉殿の13人』から『虎に翼』へ|映像作品で重ねた経験
小劇場や一人演劇を出発点に活動してきた川島潤哉さんは、その後も映画やテレビドラマへの出演を重ねていきました。
特に2020年代には、NHKの大河ドラマや連続テレビ小説で演じた役を通じて、川島さんの姿を目にする機会が増えました。
大河ドラマで演じた中原親能と片桐且元
2022年、川島さんはNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演し、中原親能を演じました。
鎌倉幕府の成立と権力争いを描いた同作で、中原親能は源頼朝に仕えた御家人の一人として登場します。
そして2023年には、大河ドラマ『どうする家康』で片桐且元を演じました。
片桐且元は豊臣家と徳川家の間に立つ人物で、物語の後半にも関わる歴史上の武将です。
異なる時代を舞台にした2つの大河ドラマで、それぞれ歴史上の人物を演じました。
『舞いあがれ!』『虎に翼』で演じた人物たち
川島さんは、大河ドラマだけでなく、連続テレビ小説にも出演を重ねています。
2010年の『ゲゲゲの女房』に続き、2020年度の『エール』、同年度の『おちょやん』などにも出演しました。
2022年度後期の『舞いあがれ!』では、リュー北條を演じています。
リュー北條は、歌人・梅津貴司の創作活動に関わる編集者として登場する人物です。
続く2024年度前期の『虎に翼』では、反町忠男を演じました。
このように川島さんは、舞台での一人演劇から映画、テレビドラマ、歴史作品、連続テレビ小説まで、さまざまな形の演技に取り組んできました。
高校時代にはバスケットボール部のキャプテンを務め、文化祭でベースを演奏していた川島さん。
東京都立大学を卒業した後も音楽活動を続け、20代で演劇を始めると、劇団コマツ企画や自作自演の舞台で経験を積み、映像作品へと活動を広げていきました。
その歩みの中には、高校時代の後輩と約19年ぶりに再会し、映画監督と俳優として共に作品を作ったという出来事もありました。
川島潤哉さんの俳優としての経歴は、学生時代の音楽やスポーツ、小劇場での活動、一人演劇での創作を経て築かれてきたものです。
















