PROFILE
人物プロフィール
2026年、宮下今日子さんはTBS系日曜劇場『VIVANT』第2シーズンで、秘密諜報組織シンシーの責任者・樊林杏(ハン・リンシン)を演じました。
印象的な長い三つ編み姿で知った人も多い一方、宮下さんのキャリアの中心にあるのは、3歳から続けてきたクラシックバレエと、1998年から積み重ねてきた舞台経験です。
大学では被服を学び、就職活動を考えていた3年生のときに、観劇でもらったチラシからNODA・MAPのオーディションへ応募しました。
演技経験のない大学生が、そのオーディションをきっかけにプロの女優として舞台へ立つことになります。
今回は、そんな宮下今日子さんの生い立ちや家族、学生時代、バレエとの関係、NODA・MAPで女優になったきっかけ、新人時代の転機などをご紹介します。
宮下今日子の家族と生い立ち|世田谷の祖父母宅に通った子ども時代
宮下今日子さんは1975年8月14日生まれ、東京都出身です。
本人は世田谷区で生まれ育ったことを明かしており、子どものころは家のすぐ近くに祖父母が暮らしていました。
本人が具体的に語っている家族の記憶として、特に多く残っているのが祖父母と過ごした日々です。
祖父は油絵の画家、祖母は茶道と琴の先生
祖父は油絵を描く画家で、祖母は茶道と琴を教えていました。
小学生だった宮下さんは学校の行き帰りにも祖父母の家へ寄り、絵を描いたり、お茶や琴に触れたりしていたそうです。
ほかにもピアノなど複数の習い事を経験しており、幼いころから身体だけではなく、音や造形を含むさまざまな表現が身近にありました。
その中で、本人が自分からやりたいと思って始めたものがクラシックバレエでした。
OPENERSの対談では、幼いころは身体が小さく、両親もバレエを長く続けるとは思っていなかったという話も出ています。
それでも小学校高学年になる前には、本人の意識はすでに「長く続けたいもの」へ変わっていました。
唯一自分の意思で始めて、すぐ夢中になりました。
出典:SHIPS「OWN STANDARD Vol.03 KYOKO MIYASHITA」
たくさんあった習い事の一つではなく、自分の意思で選び、その後も長く続いたのがバレエだったことが分かります。
3歳からクラシックバレエに夢中|小学3年生ごろに本格的な教室へ
NODA・MAPの公式プロフィールには、宮下さんが3歳からクラシックバレエを始めたことが記されています。
最初は地元の教室で習っていましたが、小学3年生ごろには、より本格的に学べるバレエ教室へ移りました。
2017年のOPENERSの対談では、小学校3〜4年生のころには「一生バレエをやっていたい」と考えるほど夢中になっていたと振り返っています。
華やかな本番だけが好きだったわけではありません。
本番よりお稽古が好きで楽しいんです
出典:OPENERS「米山庸二×宮下今日子 特別対談『素敵に年齢を重ねるために』|M・A・R・S」(2017年5月10日)
毎日同じ動きを重ね、すぐにはできないものを少しずつ身につける時間そのものが好きだったようです。
中学2年生になると、それまで小柄だった身体が急に伸びたことも本人が明かしています。
一方で、中学生のころには、バレエだけで生活していくことの難しさも現実的に感じるようになっていました。
それでもバレエそのものを嫌いになったわけではなく、生活の中から簡単には切り離せない存在として残っていきます。
宮下今日子の学歴と学生時代|日本女子大学で被服を学ぶ
宮下今日子さんの学歴で、公式資料からはっきり確認できるのが日本女子大学です。
NODA・MAPが1998年の『ローリング・ストーン』公演時に掲載したプロフィールにも、その年に日本女子大学を卒業したことが記されています。
大学で学んだのは被服で、学生時代にはファッションに関わるアルバイトもいくつも経験していました。
宮下今日子さんの中学・高校の校名は、本人の公式プロフィールには記載されていません。明星学園の卒業生ページにも同姓同名の「宮下今日子」さんが掲載されていますが、1975年卒業のフリーライターで、1975年生まれの女優・宮下今日子さんとは別人です。
15歳のロンドンでミュージカルと自由な舞台表現に触れる
女優になる前の宮下さんにとって、10代の大きな体験の一つが15歳の夏に訪れたロンドンでした。
現地には叔母が暮らしており、それまでバレエを中心に舞台を見ていた宮下さんは、ロンドンで初めてミュージカルを観劇しました。
さらに現地のバレエスタジオで、ミュージカルなどに出演するプロのパフォーマーたちと同じ場でレッスンを受ける機会もありました。
日本でクラシックバレエを習っていたときに感じていた緊張感とは違い、そこで目にした表現者たちは自由で格好よく見えたと振り返っています。
バレエだけを見ていた15歳の少女が、ロンドンでミュージカルや異なる表現のあり方に触れた経験でした。
2026年のCHANTO WEBでは、息子の反抗期について聞かれた際、自分自身は大人への反発がかなり強い10代だったとも話しています。
バレエに打ち込む一方で、学校生活では大人や先生に反発する時期もあったというのが、宮下さんの学生時代のもう一つの顔でした。
後年の本人提供写真には中学生、高校生のころの姿も残っていますが、そこから学校名まで特定できるわけではありません。
検索すると同姓同名の別人の学校情報が出てくるため、「宮下今日子 高校」の情報は人物を取り違えないことが特に重要です。
バレリーナの道を離れ、日本女子大学とファッションの世界へ
バレエは好きでも、プロのバレリーナとして生計を立てることは難しいと、中学生のころから感じていました。
20歳ごろには一度バレエを完全にやめますが、数か月後には地元の教室へ戻り、仕事にするためではなく自分のためにレッスンを続けるようになります。
進学した日本女子大学では被服学科で服について学び、舞台とは別の方向にも強い興味を持っていました。
学生時代にはファッション週刊紙『WWD JAPAN』の仕事を手伝い、伊勢丹の販売促進部でもアルバイトを経験しています。
伊勢丹では海外文化を紹介する催事やファッションイベントにも関わり、当時まだ若かったデザイナーたちの服を間近で見る機会がありました。
さらに、渋谷の「MUSEUM for SHIPS」が入っていたビルの上階にある会社で事務のアルバイトをしていた時期もあり、出勤前にSHIPSの店内を見るのが習慣だったそうです。
このころの宮下さんは、演劇の専門教育よりも、バレエと服、観劇をそれぞれ好きなものとして持っていた大学生でした。
『WWD JAPAN』では電話対応も担当していましたが、社名をうまく発音できず苦戦したことを、後年のインタビューで笑いながら振り返っています。
大学生活の終盤まで、宮下さんが俳優になるための養成所へ通っていたわけでも、子どものころから女優を目標にしていたわけでもありませんでした。
むしろ大学3年生になると、周囲と同じように就職活動を始める時期が近づいていました。
就職活動前に受けたNODA・MAP|大学3年生で初めての演技へ
宮下今日子さんが演劇の世界へ入るきっかけは、大学3年生のときに見つけた一枚のチラシでした。
就職活動を考えなければならない時期でしたが、何をすればいいのか決めきれずにいたころ、観劇でもらったチラシの束にNODA・MAPのフルキャストオーディションの案内が入っていました。
舞台を見ることは以前から好きでしたが、この時点で演技経験はありませんでした。
観劇でもらった一枚のチラシからオーディションに応募
就職活動へ進む前に、まずはこのオーディションを受けてみようと考えたのが最初の一歩でした。
応募を後押しした理由には、舞台そのものへの興味だけではなく、大学で学んでいた服への関心もありました。
当時、宮下さんは衣装デザイナーのひびのこづえさんが好きで、NODA・MAPに出ればその衣装を着られるかもしれないという期待もあったそうです。
約30人を採用するフルキャストオーディションに合格し、それまで演技をしたことのなかった大学生が、野田秀樹さんの舞台に立つことになりました。
2017年の対談でも、宮下さん自身がこのNODA・MAPを「最初のお芝居体験」として振り返っています。
1998年『ローリング・ストーン』でプロデビュー|八嶋智人らとの出会い
NODA・MAP第5回公演『ローリング・ストーン』は、1998年4月4日から5月13日まで上演されました。
公演当時のNODA・MAP公式プロフィールには、宮下さんがその年に日本女子大学を卒業し、『ローリング・ストーン』が女優としてのプロデビュー作になることが明記されています。
NODA・MAPが明記している1998年の『ローリング・ストーン』が、プロの女優として確認できる出発点です。
一部の過去プロフィールには「1996年より演劇活動開始」とする表記もありますが、本人はNODA・MAPのオーディションを最初の演技経験と話しており、NODA・MAP公式も1998年の同作をプロデビュー作としています。
この舞台は仕事の始まりだけでなく、後の人間関係という意味でも大きな場所になりました。
同じ公演には八嶋智人さんも出演しており、二人はここで出会います。
2025年の夫婦インタビューでは、八嶋さんも1998年の野田秀樹さんの舞台が二人の出会いだったと話しており、その後2002年に結婚しています。
公演当時の二人は、同じ舞台に立つ先輩と大学生の新人という関係でした。
八嶋さんはWeb eclatの対談で、宮下さんが約30人いた若い役者の中で大学生の最年少だったと振り返っています。
二人はその後2002年に結婚し、息子が一人いますが、二人の出会いそのものが宮下さんの女優デビューの現場と重なっていました。
宮下さんは、同じ舞台で阿部サダヲさんやキムラ緑子さんとも出会ったと振り返っています。
ただし、オーディションに受かったことで、そのまま順調に女優として歩き始めたわけではありませんでした。
初舞台でセリフがゼロに|宮下今日子の新人時代と木野花との出会い
『ローリング・ストーン』はプロデビュー作になりましたが、演技未経験だった宮下今日子さんにとって、稽古は簡単なものではありませんでした。
最初は3〜4個ほどあったというセリフが、稽古を重ねるうちに一つずつ減っていったと本人は振り返っています。
最終的にはゼロになりました(笑)
出典:SHIPS「OWN STANDARD Vol.03 KYOKO MIYASHITA」
プロデビュー作で、用意されていたセリフがなくなる。
それでも、この一作で演劇から離れることにはなりませんでした。
うまくできなかったから「このままでは終われない」
OPENERSの対談では、『ローリング・ストーン』の舞台について、思うようにできず、終盤にはけがもして、本人の感覚では良いところがほとんどなかったと話しています。
もともとは学生時代の思い出になるくらいの気持ちで受けたオーディションでした。
ところが、周囲に迷惑をかけたまま終わるのが嫌で、その後も自分から別のオーディションを受けるようになります。
最初の舞台でうまくできなかったことが、演劇をやめる理由ではなく、もう一度挑戦する理由になりました。
宮下さんの公式プロフィールを見ると、1998年にはNODA・MAPに続いてサードステージのワークショップ公演で一人芝居を経験し、翌1999年にはKOKAMI@networkなどの舞台へ出演しています。
出演作を一気に増やすことよりも、実際の現場で演技を覚えていく新人時代でした。
1999年にはKOKAMI@network『ものがたり降る夜』や『フランシスコX』に出演し、2000年には鴻上尚史さんの『プロパガンダ・デイドリーム』へ進んでいます。
その後も野田秀樹さん、鴻上尚史さん、長塚圭史さん、岩松了さんなど、異なる演出家の現場を経験していきました。
一つの劇団に所属して同じ方法を身につけるのではなく、作品ごとに違う要求へ対応することも、宮下さんの舞台キャリアの特徴です。
木野花の言葉を受け、舞台経験を積み重ねる
演劇を続け始めたころの宮下さんに大きな影響を与えた人物が、俳優で演出家の木野花さんです。
それまで周囲との差ばかりを意識し、自分に何が足りないのかを整理できないまま稽古をしていた時期がありました。
木野さんから、できないことを一つずつ明確にしてクリアしていくという考え方を教わり、演劇への向き合い方が変わったと宮下さんは話しています。
別のインタビューでは、木野さんからとにかく場数を踏むことを勧められ、出られそうな場所へ積極的に出るようになったことも明かしています。
一気に先輩へ追いつこうとするのではなく、自分にできていないことを一つずつ埋めていく。
幼いころからバレエで続けてきた「できない動きを稽古で身につける」時間と、演劇の新人時代に求められた積み重ねには似たところがあります。
宮下さんは後に木野さんを、自分にとっての「芝居のお師匠さん」と表現しています。
公式プロフィールには、2004年のFlowers BonBon『Party』や2011年の『春すぎて』など、木野さんが演出を手がけた舞台への出演も残っています。
新人時代に受けた助言が、その後も続く仕事上の関係へと重なっていきました。
バレエの身体性を武器に舞台から映像へ|宮下今日子の転機
宮下今日子さんはNODA・MAPでのデビュー後、舞台を中心に経験を重ねました。
そのキャリアでは、台詞劇だけに活動を限定せず、幼いころから続けてきたバレエの身体性を生かせる作品にも参加しています。
小野寺修二さんや井手茂太さんら、演劇とダンス、マイムを行き来する表現者との仕事も増えていきました。
演劇・ダンス・マイムを横断する舞台女優へ
宮下さんの公式プロフィールには、ストレートプレイだけではなく、ダンスや身体表現を軸にした舞台歴も並んでいます。
2009年には井手茂太さんが振付・演出を務めるイデビアン・クルー『挑発スタア』、同年には小野寺修二さんによる『あらかじめ』にも出演しました。
2012年と2013年にはIwaki Ballet Companyの公演にも出演しており、女優になった後もバレエを舞台上の仕事として手放していません。
OPENERSのプロフィールでは、演劇とダンス、マイムが融合するフィジカルシアター的な舞台にも多く出演していると紹介されています。
3歳で始めたクラシックバレエは、女優になる前だけの経歴ではなく、俳優として舞台に立つ身体の使い方にも残りました。
一方で、テレビドラマには1999年ごろから出演歴があり、『やまとなでしこ』『天体観測』『相棒』など映像作品にも少しずつ活動を広げています。
舞台中心で長く活動してきた宮下さんにとって、2026年の『VIVANT』は映像との向き合い方を改めて考える仕事になりました。
『VIVANT』樊林杏役で改めて感じた舞台と映像のつながり
2026年の『VIVANT』第2シーズンで演じたのは、中国の秘密諜報組織シンシーの責任者・樊林杏(ハン・リンシン)です。
長い三つ編みの髪型は宮下さん自身が提案したもので、役の印象を形づくる大きな要素になりました。
中国語やアゼルバイジャン語、日本語を使う難しい台詞に加え、スピードのある長回しにも取り組んでいます。
やりがいしかない。
出典:TBS NEWS DIG「VIVANT【独自インタビュー】宮下今日子(ハン リンシン役)“三つ編み” は自ら提案『毎回 “長い三つ編み” にしてもらうたびにアガル~(笑)』」(2026年9月14日)
この役について本人は、共演者へ小手先の工夫では太刀打ちできないと考え、全身でぶつかる意識だったとも話しています。
長年の舞台経験を持つ宮下さんが、大規模な映像作品の現場で「舞台と映像は根本では変わらない」と感じたことも、この仕事で得た変化の一つでした。
TBSの公式インタビュー映像では、宮下さん本人が樊林杏役の役作りや、堺雅人さん、阿部寛さんとの撮影を振り返っており、実際のメイキング映像も確認できます。
1998年の初舞台では演技経験がなく、稽古の中でセリフがなくなったところから始まりました。
そこから舞台へ出続け、バレエ、演劇、ダンス、マイムを行き来しながら経験を重ね、2026年には樊林杏という大きな役で映像作品の現場に立っています。
『VIVANT』での撮影は、舞台と映像を別々の技術として切り分けていた宮下さんが、その根本に共通するものを実感した仕事になりました。
















