PROFILE
人物プロフィール
藤原大祐(ふじわら・たいゆ)さんは、ドラマ『柚木さんちの四兄弟。』で主演を務め、シンガーソングライターとしても活動する俳優です。
2003年10月5日に東京都で生まれ、幼いころからピアノやスポーツに親しみ、海外へ出かける機会も多い家庭で育ちました。
父親の名前から一文字を受け継いだ名前の由来や、母親と毎年のように訪れていた海外での思い出など、家族についてもさまざまなエピソードを語っています。
一方、もともとは俳優を目指していたわけではなく、中学3年生ごろに増えたスカウトと、母親の知人がつないだ縁をきっかけに芸能界へ入りました。
高校時代には学業と撮影を両立しながら演技を学び、配信ドラマや映画での主演を経て、2024年にはテレビドラマ初主演を果たしています。
今回は、そんな藤原大祐さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界入り、俳優デビューまでの経歴をご紹介します。
藤原大祐の生い立ち|東京都で育った幼少期
藤原大祐さんは、2003年10月5日に東京都で生まれました。
幼いころから友達と外で遊ぶことが好きで、ピアノにも早くから親しんでいたそうです。
幼いころから活発で、友達と公園で遊んでいた
子どものころは活発な性格で、よく公園へ出かけて遊んでいたといいます。
公園で初めて会った子とも友達になり、そのなかには大きくなってからも交流が続いている人がいるそうです。
2023年の『大學新聞』のインタビューでは、幼少期を振り返り、外遊びを通じて多くの友人に恵まれたことを話していました。
学校の勉強にも興味はあったものの、本人によると、決して真面目一辺倒の子どもではなかったとのこと。
2024年の『ちゃおプラス』では、小学生のころは少しふっくらしていて、成長期に背が伸びたことも明かしています。
また、藤原家では子どもの挑戦を頭ごなしに止めることが少なく、本人が興味を持ったことを経験できる環境だったそうです。
僕の家では、あまり『これはダメ』というのがなかったので
出典:ちゃおプラス「藤原大祐さんがちゃおに初登場!」(2024年6月8日)
小学生時代にはプロサッカー選手になることも真剣に考え、毎日のようにボールを追いかけていました。
2歳半からピアノを習い始めた
藤原さんがピアノを始めたのは、わずか2歳半のころでした。
最初はピアノ教室のグループレッスンに通い、そこで出会った先生のことがとても好きだったそうです。
ピアノは親に無理やり続けさせられた習い事ではなく、本人が音色そのものを気に入り、楽しんで取り組んでいたものでした。
2024年の『ちゃおプラス』でも、ピアノの練習を嫌だと思ったことはほとんどなかったと話しています。
幼いころから鍵盤に触れてきた時間は長く、後に自分で曲を作ったり、歌ったりする活動も始めました。
ただし、最初からシンガーソングライターを目指してピアノを習っていたわけではありません。
子どものころは、純粋に音楽を楽しむ習い事の一つだったようです。
幼少期から多くの国を訪れていた
藤原さんの子ども時代には、もう一つ特徴的な経験がありました。
それは、幼少期から何度も海外旅行をしていたことです。
父親の仕事の関係で外国を訪れることもあれば、母親と二人で旅行に出かけることもありました。
2026年4月の『地球の歩き方』のインタビューでは、子どものころの旅行について次のように話しています。
年に5、6ヵ国は旅行していたと思います。
出典:地球の歩き方「藤原大祐 Interview ~MY TRAVEL STORY~」(2026年4月10日)
更新前のパスポートは、出入国スタンプを押す場所がなくなるほどページが埋まっていたそうです。
なかでもパリには5〜6回訪れており、両親から聞いた忘れられない思い出があります。
赤ちゃんだった藤原さんが、初めて自分の足で立った場所がパリだったというのです。
それまでハイハイをしたりベビーカーに乗ったりしていたのに、突然立ち上がり、ベビーカーを押し始めたと両親から教えられたそうです。
藤原家では、赤ちゃんのころに初めて立ったパリが家族の思い出の場所になっています。2007年にパリで撮影された幼少期の写真も、本人提供の資料として紹介されています。
藤原大祐の家族|父親・母親・兄弟との関係
藤原さんの家族は、父親と母親、そして本人の3人です。
両親は海外での経験や習い事を後押しする一方、本人が何をしたいのかを自分で考えることも大切にしていたそうです。
父親の名前から受け継いだ「祐」の一文字
「大祐」という名前には、父親とのつながりが込められています。
2020年3月の『TVガイドWeb』で、藤原さんは自分の名前が本名であることを明かしたうえで、名前の由来を説明しました。
父の名前に“祐”が付いていて、それより大きくなるっていう意味がまずあって
出典:TVガイドWeb「藤原大祐☆配信ドラマ『中3、冬、逃亡中。』で闇を抱えた少年を熱演」(2020年3月18日)
父親と同じ「祐」の字を使いながら、さらに大きく育ってほしいという願いが込められていたのです。
また、外国人にも呼んでもらいやすい名前にしたいという考えもあったそうです。
「大祐」は「たいゆう」ではなく「たいゆ」と読みます。
2020年の『CanCam.jp』では、本人も名前の読み方を覚えてもらえるとうれしいと話していました。
父親の仕事について具体的な会社名や職業は明らかになっていませんが、仕事に伴って外国を訪れた経験があることは本人が語っています。
父親との思い出としては、後にゴルフを教わったことなども紹介されています。
一方、家庭で受けた教育については、目標を具体的に考える習慣が印象的です。
藤原さんによると、5歳ごろには親から、紙の真ん中に大きな目標を書き、そこから必要なことを枝分かれさせて考えるよう教わっていました。
小学校に入るころには将来を見据えて考えることを促され、本人は世界に影響を与えられる人物になりたいと考えていたそうです。
当時の夢の一つは発明家でした。
何もないところから新しいものを生み出す仕事に憧れていたといいます。
母親との海外旅行とジャズピアノを始めたきっかけ
母親とは、幼いころから二人で海外へ出かける機会がありました。
特にタイは親子にとってなじみ深い場所で、芸能活動を始める前は年末に一緒に訪れるのが恒例だったそうです。
母親が辛いものを好きだったことや、年末のタイが暖かく過ごしやすかったことも、繰り返し旅行した理由だったと話しています。
そして、藤原さんがジャズピアノを始めるきっかけを作ったのも母親でした。
もともと通っていたピアノ教室では、好きだった先生が転勤することになりました。
そのとき母親からジャズピアノをやってみることを勧められ、体験レッスンへ行ったそうです。
そこで出会った先生も好きになり、ジャズピアノを続けることになりました。
2025年の『シネマトゥデイ』では、母親自身がジャズを演奏していたわけではないことも明かしています。
身近にあった新しい選択肢を母親が提案し、本人が実際に体験して好きになったという経緯でした。
兄弟はおらず、両親と育った一人っ子
藤原さんには兄弟姉妹がいません。
本人が一人っ子であることを明言しています。
2025年2月の『シネマトゥデイ』のインタビューでも、家族について尋ねられた際に兄弟はいないと答えていました。
本人はそのインタビューで、自分は普通の家庭で育ったと思うと冗談交じりに話しています。
家族との具体的な思い出として語られるのは、両親から受けた教育や、海外で一緒に過ごした時間、習い事を選ぶ際のやり取りなどです。
こうした経験を重ねながら、学校生活でも自分の好きなことに打ち込んでいきました。
藤原大祐の学歴と学生時代|小中学校から大学進学まで
藤原さんは東京都で学校生活を送り、小学生のころはサッカー、中学生になるとバスケットボールに熱中しました。
学生時代にはオーストラリアとアメリカで学ぶ経験もあり、高校生になってから芸能活動を始めています。
小学生時代はサッカーに熱中し、オーストラリアにも滞在
小学校に入ってから始めたサッカーでは、プロ選手になることを本気で目指していたそうです。
主なポジションは、ピッチの中央付近で攻守をつなぐボランチでした。
当時は東京都選抜に入るという目標を立て、練習や試合に取り組んでいました。
しかし、目標としていた選抜入りを果たすことはできず、中学校へ進むときに別のスポーツへ挑戦することにしました。
小学生時代には、オーストラリアのブリスベンで約2週間、現地の学校に通うプログラムにも参加しています。
現地ではホームステイをしながら学校へ通い、日本とは違う生活を体験しました。
2026年の『地球の歩き方』のインタビューでは、滞在先で朝食に出されたハッシュドポテトがおいしく、何日も食べ続けていたという思い出を語っています。
最初は喜んで食べていたものの、4日目ごろにはさすがに飽きてしまったそうです。
海沿いでバーベキューをしたことや、広々とした公園が多かったことも記憶に残っているといいます。
この滞在でオーストラリアが気に入り、その後も旅行でブリスベンやシドニーを訪れました。
中学校ではバスケ部に入り、ロサンゼルスへ短期留学
中学校ではバスケットボール部に入りました。
バスケに興味を持ったきっかけは、親戚から譲ってもらった井上雄彦さんの漫画『SLAM DUNK』だったそうです。
部活には背が高く、プレーもうまい憧れの先輩がいて、その先輩を目標に練習していました。
本人によると、強豪といえるほどのチームではなかったものの、充実した時間を過ごせたとのことです。
そして中学3年生のときには、アメリカ・ロサンゼルスで約1か月の短期留学を経験しました。
参加したのは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)が留学生向けに開講していた英語学習プログラムです。
UCLAの正規の大学生として入学したわけではなく、短期プログラムに参加し、寮で共同生活を送りながら授業を受けていました。
留学は、両親から夏休みの過ごし方を尋ねられたことをきっかけに決まったそうです。
オーストラリアへの滞在とは異なり、一人で海外へ向かうのは初めてだったため、出発前には緊張もあったといいます。
現地ではブラジルやヨーロッパ、東南アジアなど、さまざまな国から集まった学生たちと学びました。
同じ授業を受けていた学生たちと親しくなり、彼らが音楽を流しながら歩くグループに加わったこともあったそうです。
最初は周囲の学生の体格や雰囲気に圧倒されたものの、数日後にはグループの先頭を歩いていたと振り返っています。
この留学では、英語を学ぶだけでなく、国籍の違う人たちと同じ部屋で暮らし、交流する経験を重ねました。
ロサンゼルス留学中には、学生仲間と肩にスピーカーを掛けて音楽を流しながら歩いていたそうです。高校の文化祭でも自分のスピーカーで音楽を流していたという話があり、学生時代から音楽を身近に楽しんでいました。
高校時代は友人に支えられながら仕事と学業を両立
高校へ進学した藤原さんは、2019年から芸能活動を始めました。
撮影や仕事で学校へ行けない日もあり、学業との両立は簡単ではなかったそうです。
欠席した日の授業内容は、友人が送ってくれたノートを見ながら確認し、勉強や課題に取り組んでいました。
2023年の『大學新聞』では、高校生活について率直に振り返っています。
出席日数もギリギリのラインで何とか卒業できたので
出典:大學新聞「第59号 俳優・藤原大祐さん」(2023年7月31日)
高校時代の友人や先生、仕事関係者への感謝も口にしていました。
高校ではゴルフ部に入ったものの、仕事のため一度も活動に参加できなかったとも話しています。
一方、文化祭では自分のスピーカーを二つ持ち込み、校内を歩きながら音楽を流していたそうです。
撮影で忙しい日々のなかでも、学校の友人たちとの時間を楽しんでいました。
2022年に大学進学|青山学院との関係は?
藤原さんは高校卒業後の2022年春に大学へ進学しています。
これは本人が2022年11月の『日刊スポーツ』のインタビューで語っていることです。
進学には両親からの提案もあったといい、大学生活と俳優の仕事を両立する道を選びました。
ただし、当時は出演作品の撮影などで忙しく、大学にはあまり通えていないと話しています。
気になる進学先については、検索上では青山学院大学の名前が挙がることがあります。
しかし、本人が青山学院大学に進学したと明言した発言や、学校側が在籍を公表した資料は確認できず、大学名までは断定できません。
同様に、出身小学校・中学校・高校の具体的な学校名についても、本人の発言だけで確実に特定できる情報は限られています。
確かなのは、高校を卒業したあとも学ぶ道を選び、俳優活動を続けていたことです。
藤原大祐の芸能界入り|スカウトと母親の知人がつないだ縁
藤原さんが芸能界に入ったのは2019年、高校1年生のころでした。
それ以前から何度もスカウトされていましたが、実際に所属したアミューズとの出会いは、少し違った経緯によるものでした。
中学3年生でスカウトが急増、竹下通りでは片道4回
藤原さんは幼いころからスカウトを受けた経験があり、3歳のときにはアミューズから声をかけられたこともあったそうです。
その後、中学生になってから声をかけられる機会が増え、特に中学3年生ごろには急にスカウトが多くなりました。
身長が伸びた時期と重なっており、本人によると、受け取った名刺は数十枚にもなったといいます。
2020年の『MANTANWEB』では、中学3年生のときには週に10回ほど声をかけられたこともあったと話していました。
さらに、原宿の竹下通りを歩いていた際には、片道だけで4回スカウトされたこともあります。
2020年9月の『マイナビニュース』で、そのエピソードが本当かどうか尋ねられると、本人は事実だと答えていました。
ただし、スカウトを受けることが多かったからといって、すぐに芸能界へ入ろうとしていたわけではありません。
それまで映画は好きでよく観ていたものの、芸能界は自分が入る場所というより、画面を通して見る世界だと感じていたそうです。
小学生のころにはアナウンサーに憧れた時期もあり、俳優一筋で将来を考えていた少年ではありませんでした。
母親の知人を通じてアミューズのオーディションへ
芸能界入りのきっかけを作ったのは、母親とその知人でした。
母親が知り合いにスカウトを受けた話をすると、その人がアミューズ側と連絡を取り、藤原さんの写真を見せたそうです。
この話は、本人が詳しく知らないうちに進んでいました。
やがて事務所側からレッスンを受けてみないかという連絡があり、藤原さんは指定された場所へ向かいます。
そこで行われていたのがオーディションでした。
つまり、街頭で声をかけたスカウト会社へそのまま入ったわけではなく、母親の知人を介してアミューズと出会ったのです。
当初は話が勝手に進んでいたことへの驚きもあったそうですが、その後は本人が自分の意思で進路を決めていきました。
初めてのお芝居で楽しさを知り、俳優の道を選択
オーディションでは、それまでほとんど経験のなかった演技に取り組みました。
実際に演じてみると、想像していなかった楽しさがあったそうです。
『マイナビニュース』の2020年9月のインタビューでは、芸能界入りの決め手について、次のように答えています。
実際に芝居をしたことが一番のきっかけです。
出典:マイナビニュース「“美少年”藤原大祐の素顔 歌やピアノを武器に『世界的なアーティストになれたら』」(2020年9月11日)
『大學新聞』のインタビューでも、オーディション後に何度かレッスンを受け、演じる楽しさを実感したと振り返っています。
俳優になることの難しさも感じていましたが、せっかく得た機会を無駄にしたくないという思いが生まれたそうです。
そして最終的には、自分の意思でアミューズに所属し、俳優の道へ進むことを決めました。
街中で繰り返しスカウトされるようになった少年が、初めて演技の面白さに触れたことで、実際に芸能界へ入ることになったのです。
藤原大祐の俳優デビュー|高校生で始まった芸能活動
アミューズに入った藤原さんは、高校へ通いながら仕事を始めました。
最初のCM出演から間もなく、映画の撮影やドラマ出演も経験し、10代でさまざまな役を演じることになります。
2019年に芸能活動開始|『栄光ゼミナール』のCMに出演
藤原さんが芸能活動を始めたのは2019年です。
初期の仕事には、学習塾『栄光ゼミナール』のWEB CMがありました。
『大學新聞』のプロフィールでも、2019年に同CMでデビューしたと紹介されています。
ただし、芸能活動の開始と、俳優として初めて演じた仕事は区別する必要があります。
藤原さんが最初に本格的な演技の撮影を経験したのは、2019年秋に撮影された映画『愛のまなざしを』でした。
万田邦敏監督によるこの映画では、仲村トオルさんが演じる主人公の息子・祐樹役を担当しています。
2021年の『TV LIFE web』のインタビューによると、映画の出演を決めるオーディションにも、初めての現場にも、緊張より楽しみが大きかったそうです。
撮影前にはリハーサルの時間が設けられ、仲村トオルさんと父子の関係性について話し合う機会もありました。
監督からは、会話中の手や体の動きを意識するよう求められ、自然な演技の難しさを感じたといいます。
映画の撮影は2019年でしたが、劇場公開は2021年11月です。
そのため、出演作品を公開年だけで並べると、最初の演技経験が後の出来事のように見えてしまいます。
2021年には『シネマトゥデイ』のインタビューにも登場し、18歳当時の姿を映像で見ることができます。
実際には、映画の撮影を経験したあと、2020年のドラマ出演へ進んでいました。
2020年にドラマ出演|『中3、冬、逃亡中。』で難役に挑戦
2020年には、テレビドラマ『女子高生の無駄づかい』への出演がありました。
同年には、dTVチャンネルで配信されたドラマ『中3、冬、逃亡中。』にも出演します。
演じたのは、中学3年生の少年・井野翔太です。
翔太は家庭内でつらい経験を重ね、重大な事件を起こして逃亡するという、複雑な背景を抱えた人物でした。
藤原さん自身とは考え方も表情も大きく異なる役だったため、役作りにはかなり苦労したそうです。
普段はよく笑う性格でしたが、撮影中は役の気持ちに近づくため、共演者との会話を控え、一人で過ごす時間を増やしていました。
台本を何度も読み込み、『凶悪』『悪人』『怒り』などの映画も参考にしたと、2020年の『TVガイドWeb』で語っています。
当初は役を十分に理解できるか不安もあったものの、撮影を進めるうちに少しずつ演じることが楽しくなったそうです。
特に印象的なのは、撮影前にすべてを決めておくのではなく、現場で相手の演技や雰囲気を受け取りながら表現することを学んだという話です。
経験の浅い時期から、自分とは大きく異なる役柄に向き合っていました。
『おじさんはカワイイものがお好き。』などで出演を重ねる
2020年8月には、読売テレビ・日本テレビ系ドラマ『おじさんはカワイイものがお好き。』に出演しました。
藤原さんが演じたのは、眞島秀和さん演じる小路三貴の甥・仁井真純です。
それまでに演じた陰のある役柄とは対照的に、明るい笑顔を見せる人物でした。
本人も2020年の『マイナビニュース』で、『中3、冬、逃亡中。』と『おじさんはカワイイものがお好き。』の役柄の振り幅が大きかったことを喜んでいます。
『おじさんはカワイイものがお好き。』の出演が決まったのは、新型コロナウイルス感染症の影響で仕事の先行きが見えにくかった時期でした。
マネージャーから出演決定の連絡を受けたときは、驚きが大きかったそうです。
同年10月には、TBSドラマ『恋する母たち』にも出演しました。
さらに、アミューズ所属の若手俳優たちによる『SUPER HANDSOME LIVE』では、歌やダンスを披露するステージにも立っています。
2020年2月に開催された『15th Anniversary SUPER HANDSOME LIVE「JUMP↑with YOU」』では、当時16歳で最年少出演を果たしました。
撮影現場だけでなく、観客の前で歌い、踊るという経験も重ねていったのです。
藤原大祐の転機|初主演作品と音楽活動への挑戦
高校時代から続けてきた俳優活動は、2022年に新しい段階へ進みました。
配信ドラマと映画で主演を経験したほか、幼いころから親しんできた音楽でも自分の作品を発表するようになります。
2022年『神様のえこひいき』『追想ジャーニー』で主演
2022年3月、藤原さんはHuluオリジナルドラマ『神様のえこひいき』で主演を務めました。
桜田ひよりさんとのダブル主演で、藤原さんは天野弥白役を演じています。
この作品は、登場人物の心と体が入れ替わる設定を通じて、恋愛や自分らしさを描く物語です。
藤原さんは役を演じるため、桜田さんと座り方や話し方などの細かな動作について話し合い、実際に動きを確認し合ったそうです。
2022年3月の『MANTANWEB』では、身体の動きが演技へ与える影響について、新しい発見があったと語っています。
同じ年の11月には、映画『追想ジャーニー』で映画初主演を果たしました。
映画では、過去を振り返りながら自分自身と向き合う青年を演じています。
それまで共演者の一人として作品に加わることが多かった藤原さんにとって、主演という立場で作品全体に関わる経験となりました。
2022年の『日刊スポーツ』のインタビューでは、自分に期待しているという率直な気持ちを明かしていました。
2022年は、配信ドラマでの主演と映画初主演を経験した年でした。
2023年にTiU名義で音楽メジャーデビュー
俳優の仕事を続ける一方、藤原さんは音楽活動にも踏み出しました。
音楽アーティストとして活動を始めたのは2022年10月で、当初は「TiU(ティーユー)」という名前を使っていました。
本人の音楽公式サイトによると、2023年10月4日に1st EP『SHOW TiME』でメジャーデビューしています。
EPには『HAPPY HUMAN』『POP SHOW』などの楽曲が収録されました。
藤原さんは歌うだけでなく、作詞や作曲にも取り組んでいます。
幼少期から続けてきたピアノや、ジャズピアノで学んだ音楽の楽しさを、今度は自分の作品として表現するようになりました。
2024年5月には、音楽活動の名義をTiUから藤原大祐へ変更しました。
俳優と音楽活動の名前をそろえ、同じ名前で二つの表現活動を続ける形になったのです。
子どものころに習い始めたピアノが、本人の名前で音楽を届ける活動へと広がりました。
2024年『柚木さんちの四兄弟。』でテレビドラマ初主演
そして2024年、藤原さんはNHK夜ドラ『柚木さんちの四兄弟。』でテレビドラマ初主演を務めました。
この作品は、両親を亡くした四人兄弟が、互いを支えながら暮らす日々を描いた物語です。
藤原さんが演じたのは、四兄弟の長男である柚木隼(ゆずき・はやと)でした。
隼は23歳の新米教師で、三人の弟たちを支える一家の大黒柱です。
それまで学生役を演じることが多かった藤原さんにとって、教師という立場の役は新しい挑戦でした。
2024年3月にアミューズが発表した本人コメントにも、その驚きが表れています。
つい最近まで中高生を演じていたのに今回はまさかの教師側ということで。
出典:アミューズ「藤原大祐 ドラマ初主演! NHK夜ドラ『柚木さんちの四兄弟。』一家の大黒柱&教師役に初挑戦!」(2024年3月)
さらに今回は、三人の弟を世話する兄として、家庭での立ち振る舞いや兄弟との距離感も表現する必要がありました。
弟たちを演じたのは、大野遥斗さん、山口暖人さん、永瀬矢紘さんです。
『柚木さんちの四兄弟。』は2024年5月から7月にかけて放送され、藤原さんは全32話を通して四兄弟の長男を演じました。
2019年に初めて映画の撮影現場に立ってから約5年。
高校生役などを重ねてきた藤原さんは、2024年、家族を支える教師役としてテレビドラマ初主演を果たしました。















