PROFILE
人物プロフィール
中村アンさんは、1987年9月17日生まれ、東京都出身の女優・モデルです。
東京・深川の下町で育ち、新潟県佐渡島にルーツを持つ両親のもと、弟と妹に囲まれて子ども時代を過ごしました。
中学・高校時代は目白学園に通い、高校からチアリーディングに熱中。大学でも競技を続け、全国大会に出場しています。
大学2年生のときにモデルオーディションでグランプリを獲得しましたが、すぐには芸能界入りせず、一般企業への就職も考えていました。
その後、2009年に芸能活動を始め、モデルやバラエティー番組で経験を積んでから女優業へ進出。2018年のドラマ『ラブリラン』で連続ドラマ初主演を果たしました。
子ども時代の家族との思い出、チアリーディングに打ち込んだ学生生活、就職活動を経て芸能界を選んだ理由、女優になるまでの道のりを、本人の言葉とともにたどります。
中村アンの生い立ち|東京の下町・深川で育った幼少期
中村アンさんは1987年9月17日、東京都で生まれました。
育ったのは東京都江東区の深川エリア。神社や寺院、昔ながらの商店が残る下町で、子ども時代を過ごしています。
東京都江東区で生まれ、深川の街で過ごした子ども時代
中村さんにとって、深川は大人になってからも親しみのある場所です。
2015年には、自身の公式Xで地元の深川がテレビ番組で紹介されたことに触れ、緑が多く交通の便も良い街だと紹介しています。
その投稿では、昔から親しんでいる甘味処「いり江」のあんみつにも言及していました。
日刊ゲンダイでも2015年、深川の甘味処「いり江」を子どもの頃から利用している店として紹介されています。
モデルとして活動を始め、仕事で各地へ出かけるようになってからも、幼い頃に通った店への愛着は残っていました。
幼い頃の性格と自立を求められた経験
中村さんの幼少期を知るうえで欠かせないのが、家庭で大切にされていた自立の考え方です。
2025年の朝日新聞withnewsのインタビューでは、母親から自分の力で生きられる女性になるよう育てられたと振り返っています。
例えば、中学受験の際には、初めて訪れる受験会場から一人で帰宅するよう母親に言われたことがありました。
知らない場所でも自分で道を考え、帰宅する。まだ小学生だった中村さんにとって、受験だけでなく、日常の行動でも自分で判断することが求められていたようです。
社会人になる際にも、母親から一人暮らしを勧められたといいます。
実際に芸能活動を始めてからは一人暮らしも経験し、仕事と生活の両方を自分で支えるようになりました。
ただ、子どもの頃から女優を夢見ていたわけではありません。
むしろ、安定した職業に就くことを考える家庭で育ち、大学では一般企業への就職活動にも取り組んでいます。
中村アンの家族|佐渡島出身の両親と弟・妹
中村アンさんは、父親・母親・本人・弟・妹の5人家族で育った3人きょうだいの長女です。
両親の出身地は新潟県の佐渡島。東京で生まれ育った中村さんですが、幼い頃から佐渡島の祖父母や親戚とも交流していました。
母親の教育方針と家族の思い出
中村さんの母親は、娘に自分の力で判断し、生活できるようになってほしいと考えていました。
中学受験の帰り道を一人で歩かせたことも、その教育方針を感じさせる出来事の一つです。
一方で、家族の成長を記録することも大切にしていました。
中村さんが2025年のドラマ『こんばんは、朝山家です。』で母親役を演じた際、実家に保管されていたアルバムを見返す機会があったそうです。
母親は、3人きょうだいそれぞれについて、生まれたときからの写真をアルバムにまとめていました。
入学式や卒業式、成人式などの節目には、家族で写真館へ行って写真を撮影していたといいます。
アルバムは長い間実家に置かれていましたが、後に母親から中村さん自身が持っているよう託されました。
母親役を経験したことで、中村さんは自分の両親が子育てをしていた頃の気持ちにも思いを巡らせるようになったそうです。
幼少期に受けた自立を促す教育と、家族の節目を一つひとつ残したアルバム。中村さんの家庭には、その両方がありました。
父親と佐渡島に続く家族のルーツ
中村さんの父親も、新潟県佐渡島にルーツを持つ人物です。
2014年に新潟県の弥彦競輪場で行われたトークショーでは、両親の実家が佐渡島にあることを明かし、新潟への親しみを語っていました。
同じ年には公式Xでも、佐渡が両親の実家であることに触れています。
2018年にはTBS系『情熱大陸』に出演し、仕事に密着した番組の中で家族との関わりも取り上げられました。
さらに2025年の本人インタビューでは、母親役を演じた経験から、自分が生まれた頃の父親と母親がどんな思いで子育てをしていたのか考えるようになったと話しています。
女優として家族を持つ人物を演じる経験が増えたことで、自身が育った家庭を振り返る機会も生まれていました。
弟を連れた佐渡旅行と妹との関係
中村さんには、1歳年下の弟と妹がいます。
長女らしい一面が伝わるのが、小学生時代の佐渡島への旅行です。
夏休みになると、中村さんは一つ下の弟を連れ、2人で祖父母が暮らす佐渡島へ向かっていました。
東京から新幹線に乗り、船着き場までは親戚の助けを借りて移動。そこから船で佐渡島へ渡ったそうです。
幼い姉弟にとって、祖父母の家までの移動は一つの大きな経験でした。
中村さんは当時の気持ちを、2025年のインタビューでこう振り返っています。
私が弟を守らないと
出典:朝日新聞withnews「中村アンさん『頼ったり、甘えたりは下手かも』 自立の裏にある教え」(2025年7月12日)
まだ小学生だった中村さんが、弟と一緒に長い道のりを移動しながら、姉としての責任を感じていたことが伝わります。
妹を含む3人きょうだいの思い出についても、母親がそれぞれのアルバムを作っていたことが明らかになっています。
大人になってから見返した家族写真には、幼い頃から続くきょうだいの成長が残されていました。
中村アンの学歴|目白学園中学・高校でチアリーディングに熱中
中村アンさんは、東京都にある目白学園中学校・高等学校に通いました。
現在の学校名は目白研心中学校・高等学校です。中村さんが在籍していた当時は女子校で、中学から高校までの6年間を過ごしています。
高校ではチアリーディング部に入部し、全国大会を目指す練習に明け暮れました。
目白学園中学校から高校へ進学
目白学園は、チアリーディングの強豪校として知られていました。
中村さんが中学校へ入学した頃、同校のチアリーディング部は全国大会で優勝するほどの実績があったといいます。
ただし、中村さん自身が競技を始めたのは高校に進学してからです。
2024年の双葉社「THE CHANGE」のインタビューでは、当時は高校生にならなければチアリーディング部へ入れなかったことを説明しています。
入部のきっかけになったのは、顧問の先生からの勧めでした。
先生は中村さんの学年を担当しており、高校へ上がる際に、学生時代にしかできないことへ挑戦するよう声をかけてくれたそうです。
こうして高校進学を機にチアリーディングを始めることになりました。
高校でチアリーディング部のキャプテンに
入部後の生活は、想像していた以上に厳しいものでした。
部活動は全国優勝を目標にしており、平日だけでなく土日にも練習がありました。
中村さんは高校時代を振り返り、日々の生活のほとんどをチアリーディングに費やしていたと話しています。
競技では、上で演技をする選手を下から支えるポジションを担当。人を持ち上げたり、受け止めたりする役割を担っていました。
2018年の『Numero TOKYO』のインタビューでは、練習で肩や首の周辺にあざができ、痛みを冷やしながら眠ったこともあったと語っています。
それでも練習を続け、高校3年生ではキャプテンを務めました。
高校時代には全国大会で5位に入る成績を残しています。
キャプテンとして後輩をまとめる立場になると、ただ自分が頑張るだけでは済まなくなりました。
2014年のイベントでは、後輩に嫌われるようなことでも言わなければならない場面があり、自分をうっとうしく感じていた後輩もいたかもしれないと振り返っています。
全国優勝を目指す部活動では、仲間と厳しい練習を重ねながら、チーム全体を引っ張る役割も経験しました。
この6年間の学校生活で大きな比重を占めたのが、チアリーディングとの出会いでした。
東洋英和女学院大学時代|スポーツ推薦とモデルオーディション
高校卒業後、中村アンさんは東洋英和女学院大学へ進学しました。
大学でもチアリーディングを続け、高校から取り組んできた競技に打ち込みます。
一方、大学2年生のときにはモデルオーディションに参加し、芸能界へ進むきっかけを得ました。
大学でも続けたチアリーディング
中村さんは、チアリーディングの実績を生かして大学へ進学しています。
2024年のReal Soundのインタビューでも、スポーツ推薦で大学に進んだことを本人が明かしています。
大学でもチアリーディング部に所属し、全国大会へ出場しました。
高校時代は全国優勝を目指す厳しい練習が生活の中心でしたが、大学では部活動を続けながら友人と過ごす時間も楽しんでいたようです。
20歳の頃について問われた際には、チアリーディングをしながら遊ぶ時間もあり、大学生活が楽しくなってきた時期だったと振り返っています。
高校から大学まで、合計7年間取り組んだチアリーディング。
後年、木村拓哉さんとのラジオ対談でも、自分が上で回転する選手ではなく、下で支える役割だったことを話していました。
芸能界へ進んだ後も、学生時代の競技経験について語る機会はたびたびありました。
大学2年生でモデルオーディションのグランプリを獲得
芸能界との接点が生まれたのは、大学2年生のときでした。
きっかけは、友人からモデルオーディションへの参加を勧められたことです。
中村さんは友人に誘われてオーディションに応募し、グランプリを獲得しました。
ところが、受賞後すぐにモデルとして本格的な活動を始めたわけではありません。
大学3年生になると、一般の学生と同じように就職活動へ取り組み始めます。
当時の中村さんにとって、オーディションでの受賞は芸能界へ入る可能性を広げる出来事でしたが、その道へ進むことを決めたわけではなかったのです。
中村アンの芸能界入り|就職活動を経て選んだ道
モデルオーディションでグランプリを獲得した中村アンさんでしたが、その後は一般企業への就職と芸能活動の間で進路を考えていました。
2014年の日刊スポーツのインタビューでは、大学3年生の秋から就職活動を始め、同時に芸能事務所についても調べていたと明かしています。
就職か芸能界か、大学時代の進路選択
中村さんが育った家庭では、安定した仕事に就くことが望まれていました。
2018年の『Numero TOKYO』のインタビューでは、両親が福利厚生の整ったきちんとした職業に就いてほしいと考えていたと説明しています。
そのため、大学時代には黒髪でスーツを着て、東京ビッグサイトで開催された就職説明会にも足を運んでいました。
当時の考えを、本人はこう振り返っています。
OLにならなきゃいけないと思っていた。
出典:Numero TOKYO「中村アン インタビュー『いい意味で期待を裏切りたい』」(2018年11月2日)
アパレル企業にも関心があり、さまざまな会社について調べていたそうです。
一方で、芸能事務所から声をかけられる機会もありました。
就職活動を続けながら芸能界の仕事についても調べ、どちらへ進むべきか考えていた時期だったといいます。
最終的に中村さんは、芸能活動へ進むことを選びました。
2014年の日刊スポーツの取材では、決断した理由について、次のように話しています。
人生は1度きり。可能性を感じて
出典:日刊スポーツ「中村アン『空いた席狙う』/気になリスト」(2014年2月11日)
モデルオーディションの受賞だけで進路を決めず、就職活動も経験したうえで芸能界を選んだことが、中村さんの経歴の特徴です。
大学卒業のタイミングで芸能活動を本格的に始め、モデルやテレビ番組の仕事に取り組むようになりました。
芸名「中村アン」の誕生と初期のモデル活動
中村アンさんの名前は芸名です。
本名は、過去のテレビ番組での発言などから「中村友子」と報じられています。
2018年のTBS系『A-Studio』では、芸名が決まった経緯について本人が説明しました。
本名が一般的な名前だったことから、カタカナの名前にすれば覚えてもらいやすいと考えられたそうです。
候補には「ユリア」や「ケイト」などもありましたが、最終的に「アン」が選ばれました。
中村さん自身も、最初は芸名を使うことに少し抵抗があったものの、後には良い名前だと感じるようになったと話しています。
芸能活動を始めてからは、ファッション誌のモデルや広告の仕事を経験しました。
2010年のGirlsAward公式プロフィールには、『ViVi』『CanCam』『PINKY』などの雑誌での仕事が掲載されています。
しかし、モデル活動を始めても、すぐに大きな知名度を得られたわけではありませんでした。
芸能界へ進んだ同世代の人たちだけでなく、一般企業に就職した友人たちが社会で活躍する姿も見ていました。
思うように仕事が広がらず、芸能界を諦めそうになったこともあったそうです。
それでも、まずは3年間頑張ろうと決め、仕事を続けていました。
バラエティー番組で知名度を高めた時期
中村さんの名前が広く知られるきっかけになったのは、バラエティー番組への出演でした。
2013年6月4日に放送されたTBS系『有田のヤラシイ人々』では、率直な発言が話題になりました。
それまで、バラエティー番組は自分とは遠い世界だと考えていたそうです。
しかし、モデルとしての知名度が十分ではなく、仕事も中途半端な状態だと感じていた中村さんは、テレビ出演を新しい可能性として捉えました。
当時はテレビの影響力を十分に理解しないまま、自分が思ったことを率直に話していたといいます。
番組での発言が反響を呼び、ほかのバラエティー番組からも声がかかるようになりました。
2013年ごろからテレビ出演の機会が増え、モデルに加えてタレントとしても活動の幅が広がりました。
仕事を続けるための工夫もしていました。
2014年の取材によると、自宅にいるときはテレビをつけ、番組での話し方や出演者の振る舞いを研究していたそうです。
2013年には一人暮らしも始め、仕事へ集中する環境を整えています。
高校時代はチアリーディング部のキャプテンとしてチームをまとめ、芸能界では一人の出演者として次の仕事を獲得するために行動する日々へと変わっていきました。
中村アンが女優になるまで|初期の映像出演からドラマへ
中村アンさんは、芸能界入りと同時に女優を目指していたわけではありません。
モデルやタレントとして活動しながら映画・ドラマにも出演し、少しずつ演技の仕事が増えていきました。
初期の映像出演と、女優業が本格化した時期には違いがあります。
2009年から2010年にかけての映像出演
中村さんの芸能活動が始まったのは2009年です。
2010年に開催されたGirlsAwardの公式プロフィールには、2009年9月公開の映画『静かなるドン 新章』に真理役で出演した記録があります。
同作品は2009年9月5日に公開された映画で、日本映画データベースにも作品情報が掲載されています。
ただし、芸能界入りの時期、映画への初出演、女優として本格的に活動を始めた時期は、それぞれ区別して考える必要があります。
2010年には、フジテレビ系ドラマ『しぇいけんBABY! -Shakespeare Syndrome-』に渡辺松子役で出演しました。
こちらも当時のGirlsAward公式プロフィールに出演記録が残されています。
2009年の映画出演記録と2010年のドラマ出演は、中村さんの初期の演技活動を知る手がかりです。
その後もテレビ番組やモデルの仕事を続けながら、映像作品への出演を重ねていきました。
モデル・タレント活動から女優業が本格化するまで
バラエティー番組で知名度を高めた中村さんに、ドラマ出演の機会が増えていきました。
2015年には、フジテレビ系ドラマ『5→9〜私に恋したお坊さん〜』へ出演しています。
中村さんが本格的に俳優業へ進んだ時期として挙げられるのが2015年ごろです。
ただ、本人は当初から演技に強い関心を持っていたわけではなかったと明かしています。
2020年のタレントパワーランキングのインタビューでは、女優業に入った経緯について、自分から強く希望したというより、仕事をいただく中で自然と演技を始めたと説明していました。
2018年の『Numero TOKYO』の取材でも、俳優たちに囲まれて演技の仕事をするようになった当初は、戸惑うことが多かったと語っています。
モデルやバラエティー番組では、自分自身を見せることが仕事になります。
ところがドラマでは、台本に書かれた人物の気持ちを考え、ほかの出演者と掛け合いながら役を演じなければなりません。
努力していても、演技の何が正解なのか分からない状態が続いていたそうです。
それでも出演を重ね、2016年には『家族ノカタチ』『世界一難しい恋』などのドラマにも参加しました。
2017年には『小さな巨人』にも出演し、さまざまな作品の現場で経験を積んでいきます。
そして2018年、中村さんにとって大きな転機となる主演作が決まりました。
2018年『ラブリラン』で連続ドラマ初主演
中村アンさんは2018年4月、読売テレビ・日本テレビ系ドラマ『ラブリラン』で連続ドラマ初主演を務めました。
当時30歳。モデル・タレントとして経験を重ね、ドラマへの出演も続けてきた中村さんにとって、主演として作品を背負うのは初めての経験でした。
30歳でつかんだ初主演
『ラブリラン』は、天沢アキさんの漫画を原作とした恋愛ドラマです。
中村さんが演じたのは、記憶を失った主人公・南さやか。
共演には古川雄輝さん、大谷亮平さんらが名を連ねました。
それまで脇役として作品に参加する経験はありましたが、主演となれば撮影期間を通して多くの場面に登場し、物語の中心を担うことになります。
2018年のTBS系『情熱大陸』では、約3か月にわたって密着取材を受け、主演ドラマの撮影に取り組む様子が紹介されました。
撮影の日々は忙しく、睡眠時間が短い中で膨大なセリフを覚え、演技に向き合っていたといいます。
ドラマでは、記憶を失ったさやかと、それ以前のさやかとの違いも演じ分ける必要がありました。
2018年5月の本人公式Xには、地味な姿のさやかを演じる際のメガネや姿勢、メイクについての言葉が残っています。
役に合わせて見た目や立ち振る舞いを変える経験を重ねながら、中村さんは主演作の撮影を乗り切りました。
『ラブリラン』での連続ドラマ初主演は、女優としての意識を変える大きな出来事になりました。
女優としての意識が変わった作品
中村さんは『ラブリラン』以前、演技の仕事を続けながらも、何を目指して取り組めばよいのか分からない部分があったと振り返っています。
主演のオファーを受けたことで、自分を主演に選んでくれた人たちの期待に応えたいという思いが強くなりました。
2020年のタレントパワーランキングのインタビューでは、30歳で初主演を経験してから、演技に対して真剣に向き合うようになったと話しています。
さらに2024年のReal Soundのインタビューでも、女優としての転機について次のように語りました。
『ラブリラン』はひとつターニングポイントだったと思います。
出典:Real Sound「中村アン、“好奇心”が芝居の原動力に 自身のストイックな性格は高校時代から?」(2024年6月6日)
主演の撮影を終えた後には、現場のカメラマンからも言葉をかけてもらっています。
中村さんは2024年のマイナビニュースの取材で、主演らしく周囲を引っ張れなかったことを気にしていた自分に対し、懸命に仕事へ向かう姿を見せれば周囲も自然とついてくると励まされた経験を明かしました。
その言葉は、後に主演舞台へ挑戦した際にも思い出したそうです。
初主演後の2018年には『SUITS/スーツ』にも出演し、織田裕二さん演じる甲斐正午を支える秘書・玉井伽耶子を演じました。
2019年には『グランメゾン東京』へ出演。演技経験を重ねる中で、仕事との向き合い方も変化していきました。
2024年のReal Sound Movieの本人インタビューでは、高校時代のチアリーディングから女優としての転機まで、自身の歩みを振り返っています。
中村アンの女優としての転機|映画・舞台への挑戦
『ラブリラン』で初主演を経験した中村アンさんは、その後も映画やドラマへの出演を重ねました。
2021年には役作りのために長年のトレードマークだった髪を短く切り、2023年には初舞台で主演を務めています。
それまで築いてきたモデル・タレントとしてのイメージから離れ、新しい役柄に取り組む経験が続きました。
映画『名も無き世界のエンドロール』での演技経験
2021年公開の映画『名も無き世界のエンドロール』では、リサ役を演じました。
同作は、行成薫さんの小説を原作に、岩田剛典さんと新田真剣佑さんが共演した映画です。
中村さんは、主人公たちの人生に関わる重要な人物を演じています。
それまでのドラマ出演を通して演技経験を積んできた中村さんにとって、映画で人物を表現する仕事も増えていった時期でした。
2021年には木村拓哉さん主演の映画『マスカレード・ナイト』にも出演しています。
同作の公開時には木村さんのラジオ番組『木村拓哉 Flow supported by GYAO!』にゲスト出演し、映画で経験したダンスの練習について話しました。
ダンスの回転では酔ってしまうことがあり、チアリーディング時代は人を支える役割だったため、自分が回転する経験とは違っていたと語っています。
高校・大学で7年間取り組んだ競技と、映画の役作りとの違いを感じた経験でした。
2021年、役作りでロングヘアを30センチ以上カット
2021年には、中村さんの外見の印象も大きく変わりました。
TBS系ドラマ『着飾る恋には理由があって』への出演にあたり、長年伸ばしていた髪を30センチ以上カットしたのです。
演じたのは、アーティストの卵・羽瀬彩夏。
華やかなファッションや髪形の印象が強かった中村さんに対し、監督はボーイッシュで周囲から少し距離を置く人物像を求めました。
中村さん自身も、それまでのイメージから離れた役を演じたいと考えていたため、髪を切ることを決断しています。
2022年のオトナミューズのインタビューでは、髪を切ったのは役柄がきっかけだった一方で、長年のイメージを変えたいという思いもあったと説明していました。
役作りではメイクも抑え、普段の中村さんとは異なる雰囲気で撮影に参加しました。
撮影現場では、共演する川口春奈さんが最初は中村さんだと気づかなかったこともあったそうです。
2021年のReal Soundのインタビューでは、役への向き合い方について次のように話しています。
“役を演じる”という意味が、少しわかったような気がします。
出典:Real Sound「中村アン『姿を消せていたとしたら嬉しい』 『着飾る恋』でイメージ脱却の裏側を明かす」(2021年6月)
ドラマの中で自分自身の印象を消し、羽瀬彩夏という人物として見てもらえることを喜んでいました。
『ラブリラン』で主演としての責任を経験した中村さんは、役柄に合わせて外見から変化させる表現にも取り組むようになったのです。
2023年『笑ってもいい家』で初舞台
2023年には、演劇集団Z-Lionの舞台『笑ってもいい家』で初舞台を経験しました。
公演は2023年7月1日から9日まで、東京・六本木の俳優座劇場で行われています。
中村さんが演じたのは、カメラマンの吉澤朱音。
ある出来事をきっかけに仕事を辞め、都会を離れて共同生活を始める女性です。
初めての舞台出演でありながら、主演も任されることになりました。
舞台には以前から興味を持っていたものの、出演を決めるまでには迷いもあったそうです。
テレビドラマや映画とは異なり、舞台では観客の前で物語を演じ続けます。
一度始まった公演を途中で止めることはできず、舞台上で起こる出来事を出演者同士で受け止めながら進めていかなければなりません。
2023年6月のTV LIFEのインタビューでは、初舞台への気持ちをこう表現しています。
未知の世界に飛び込む感覚でした(笑)。
出典:TV LIFE「中村アン『未知の世界に飛び込む感覚でした』初舞台『笑ってもいい家』で主演デビュー」(2023年6月24日)
初舞台への挑戦では、以前『着飾る恋には理由があって』で共演した川口春奈さんの言葉にも背中を押されたと明かしています。
さらに中村さんは2023年のORICON NEWSの取材で、自身のキャリアを振り返り、25歳でバラエティー番組に挑戦し、30歳でドラマ初主演、35歳で初舞台という節目が続いていると話していました。
2009年の芸能活動開始から数えて10年以上が経ち、モデル、バラエティー番組、テレビドラマ、映画に続いて舞台へも活動の場を広げました。
2024年以降の主演作とキャリアの広がり
2024年には、読売テレビ・日本テレビ系ドラマ『約束 ~16年目の真実~』で主演を務めました。
演じたのは、故郷で起きた事件の真相を追う刑事・桐生葵です。
『ラブリラン』から6年ぶりの連続ドラマ主演となり、恋愛ドラマとは異なるサスペンス作品で物語の中心を担いました。
同年にはテレビ朝日系『青島くんはいじわる』にも出演し、渡辺翔太さんとダブル主演を務めています。
こちらでは、恋愛から距離を置いている35歳の女性・葛木雪乃を演じました。
さらに2025年には、ABCテレビ・テレビ朝日系ドラマ『こんばんは、朝山家です。』で小澤征悦さんとダブル主演。
脚本家の夫を支えながら仕事と家庭に向き合う妻・朝山朝子役を演じ、地上波ゴールデン・プライム帯の連続ドラマで初めて主演しました。
ホームドラマで母親役を演じるのも初めての経験でした。
それまでは、自身の経験や雰囲気に近い人物を演じる機会が多かったという中村さん。
母親を演じるため、劇中で家族となる共演者たちとのコミュニケーションを重ね、撮影を進めていったそうです。
この作品への出演は、幼い頃から母親に自立を求められて育った中村さんが、自分の母親の子育てや家族への愛情をあらためて振り返る機会にもなりました。
東京・深川で育ち、高校と大学ではチアリーディングに打ち込み、就職活動を経て芸能界へ進んだ中村さん。
モデルやバラエティー番組から始まった芸能活動は、2018年の『ラブリラン』での初主演、2021年の役作りによるイメージチェンジ、2023年の初舞台を経て、さまざまな役柄を演じる女優としてのキャリアへと広がっていきました。
















