PROFILE
人物プロフィール
ドラマ『岸辺露伴は動かない』の泉京香役や、映画『暗黒女子』などで知られる女優の飯豊まりえさん。
1998年1月5日生まれ、千葉県出身で、2008年にモデルオーディションでグランプリを受賞し、10歳で芸能界入りしました。
幼い頃から女優を目指していたわけではなく、芸能界に興味を持った背景には、両親と過ごす時間を増やしたいという思いがありました。
何度もオーディションに挑戦し、母親と「これが最後」と決めて迎えた審査で、ひとりの編集長と出会ったことが芸能活動の始まりとなります。
その後は『ニコ☆プチ』『nicola』などのモデルとして活躍し、2012年から演技の仕事も始めました。
今回は、そんな飯豊まりえさんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、モデルから女優として主演を務めるまでの道のりをご紹介します。
飯豊まりえの生い立ち|千葉県で育った幼少期
飯豊まりえさんは、1998年1月5日に千葉県で生まれました。
子どもの頃からファッションが好きで、洋服やモデルの世界に興味を持っていました。
幼い頃から好きだったファッションと子どもの頃の夢
飯豊まりえさんが小学生だった2000年代は、『メゾピアノ』や『ポンポネット』など、ナルミヤ・インターナショナルの子ども服ブランドが人気を集めていた時代でした。
飯豊さんも幼い頃からこうしたファッションに親しみ、洋服を選んだり、おしゃれをしたりすることが好きだったそうです。
一方、子どもの頃から人前に立つことが得意だったわけではありません。
2022年のドキュメンタリー『Real Folder』では、幼少期は自分の気持ちや感情を素直に表現することが苦手だったと振り返っています。
2023年のTVガイドWebのインタビューでも、芸能界入りした頃は人前に出るのが苦手な性格だったと話していました。
また、飯豊さんには小さな頃から親しんでいたものがもうひとつありました。
それがスーパー戦隊シリーズです。
2018年のイベントでは、5歳の頃に祖母とヒーローショーを見に行った思い出を語っています。
幼い頃に夢中になっていた戦隊シリーズに、後に自分が出演することになるとは、まだ想像していなかったでしょう。
8歳頃に芸能界へ興味を持った理由
飯豊さんがオーディションを受け始めたのは、8歳頃のことでした。
芸能界へ興味を持った理由は、単に有名になりたいというものではありませんでした。
2022年8月29日公開のENCOUNTのインタビューで、当時の気持ちを次のように振り返っています。
父も母もインドアだったので、外に連れ出してあげたいというのが始まりでした。
出典:ENCOUNT「女優として10年目 飯豊まりえの夢はジブリ作品の声優、宮崎駿監督との共通点とは」(2022年8月29日)
家族で一緒に出かける機会を作りたいという気持ちから、オーディションへの挑戦が始まったのです。
一度応募して終わりではなく、飯豊さんはその後もさまざまな審査を受け続けました。
両親もレッスンへの送り迎えをしたり、合格するためのアイデアを一緒に考えたりしてくれたそうです。
2019年の日刊スポーツのインタビューでは、自分が何かに夢中になって頑張る姿を両親に見てもらいたかったとも語っています。
家族と一緒に取り組めることを見つけたかった少女が、自らオーディションを探して挑戦するようになりました。
飯豊まりえの家族|父親・母親・兄弟と祖父母の思い出
飯豊まりえさんは、父親・母親・本人の3人家族で育った一人っ子です。
2012年3月の公式ブログでは、兄弟姉妹についての質問に「ひとりっ子です」と回答し、当時は犬と猫も一緒に暮らしていたことを明かしています。
一人っ子として育った家庭と両親の性格
飯豊さんは、両親の性格をさまざまなインタビューで紹介しています。
2020年11月10日のTVガイドWebのインタビューでは、家庭での父親と母親の様子をこう話していました。
父親が天然で、母親がサバサバしてるんです。
出典:TVガイドWeb「飯豊まりえ、母親と約束した『最後のオーデイション』で起きた奇跡」(2020年11月10日)
母親は子育ての中で、自分が叱る役を引き受けると父親に伝えていたそうです。
一方の父親は、飯豊さんに怒ることがほとんどなく、一緒に出かけた楽しい思い出が多いといいます。
父親が過去のお出かけを何度も話題にすることも、家族の笑い話になっていました。
母親については、厳しい面がある一方で、明るくチャーミングなところもあると語っています。
飯豊さん自身は反抗期がなかったといい、2019年のインタビューでも、幼い頃から物事を判断する際に両親の意見を大切にしていたと振り返っていました。
芸能界入りした後も、母親は仕事やSNSでの発信について具体的な助言をしてくれたそうです。
大人になってからも、買い物で迷ったときや日常のちょっとした出来事があったときには、母親へ電話して相談していたといいます。
仕事を始めた後も、両親と相談しながら物事を決める関係が続いていました。
祖父母から受け継いだ大切な思い出
飯豊さんは、両親だけでなく祖父母との思い出も大切にしています。
小学生の頃に亡くなった祖母からは、祖母が使っていたエルメスのかばんを譲り受けました。
祖父からも、亡くなる前に形見となるものを買うようお金を渡されたことがあったそうです。
一緒に買い物へ行くことはできませんでしたが、インターネットで商品を探し、祖父に選んでもらったかばんを手元に残しました。
2020年のインタビューでは、そのかばんを仕事の現場でも使っていると話しています。
また、母親が初めて自分で働いて稼いだお金で買った腕時計も、譲り受けた大切な品物のひとつでした。
祖父は、妻である祖母を美容室へ連れて行ったり、洋服を買ってあげたりすることが好きだったそうです。
父親にも妻を大切にするよう話していたといい、飯豊さんは祖父が両親の関係をつないでくれていたように感じていたと語っています。
飯豊まりえさんは、2011年の公式ブログでも、祖父からクリスマスプレゼントとしてもらったミッキーマウスの腕時計を大切な私物として紹介していました。
家族から贈られたものを長く使い続ける習慣は、学生時代から続いていたようです。
父親や母親との関係を語る際にも、買い物や食事、家族でのお出かけなど、具体的な思い出がたびたび登場します。
飯豊まりえの芸能界入り|母親と約束した最後のオーディション
飯豊まりえさんが芸能界入りしたのは、2008年の「avex kids×ニコ☆プチ公開モデルオーディション」でグランプリを受賞したことがきっかけです。
しかし、そこへたどり着くまでには何度もの落選があり、母親と約束した期限も迫っていました。
両親と挑戦した1年間のオーディション
8歳頃からオーディションを受けていた飯豊さんですが、最初から順調に合格していたわけではありません。
2012年5月の公式ブログでは、モデル志望の読者から寄せられた質問に答える中で、自分も数多くのオーディションに落ちた経験があると明かしています。
同じ記事では、『ニコ☆プチ』のオーディションを受けた小学5年生の頃、日焼けして肌が真っ黒で、ポージングも上手ではなかったと振り返っていました。
当時はまだ、モデルとして完成された技術を持っていたわけではなかったのです。
何度も挑戦を続ける娘に、母親はひとつの区切りを設けました。
次のオーディションで合格できなければ、芸能界への挑戦を諦めるという約束でした。
飯豊さんは2020年11月3日のマイナビニュースのインタビューで、母親から最後の挑戦だと告げられたことを振り返っています。
それまで何度も審査を受けてきた中で、最後の機会として選んだのが、エイベックスと『ニコ☆プチ』による公開モデルオーディションでした。
2008年、ニコ☆プチ編集長との出会いでグランプリに
2008年10月、10歳の飯豊さんは公開モデルオーディションに挑戦しました。
審査員の中には、当時『ニコ☆プチ』の編集長を務めていた山元琢治さんがいました。
飯豊さんによると、審査員の中で自分を選んでくれたのは、その編集長だけだったそうです。
『ニコ☆プチ』の編集長だけが、私を選んでくれたんです。
出典:マイナビニュース「飯豊まりえ、献身力で飛躍! すべての原動力は“喜ばせたい”という思い」(2020年11月3日)
その後、編集長になぜ自分を選んでくれたのかを尋ねたところ、普通の女の子のようでありながら、ほかの子とは違う何かが目に留まったと説明されたそうです。
飯豊さんはグランプリを受賞し、『ニコ☆プチ』の専属モデルとして活動する機会を手にしました。
2021年の『ニコ☆プチ』創刊15周年インタビューでは、編集長を自分にとっての恩人だと語っています。
2022年のドキュメンタリー『Real Folder』では、当時の編集長と再会する場面もありました。
編集長がその後も自分の活動を見てくれていたことを知り、飯豊さんは涙を流しています。
当時の編集部を訪れ、芸能界入りのきっかけとなった出来事を振り返る様子は、Paravi公式YouTubeの動画でも紹介されています。
こうして始まったモデル活動は、飯豊さんの小学校生活にも新しい経験をもたらしました。
飯豊まりえの小中学生時代|ニコ☆プチからニコラへ
2008年のオーディションでグランプリを獲得した飯豊まりえさんは、翌2009年から『ニコ☆プチ』の誌面でモデルとして活動するようになりました。
小学校高学年から中学生になるまで、学校へ通いながら撮影やファッションイベントに参加する生活が続きます。
沖縄で撮影したニコ☆プチの初表紙
飯豊さんは2009年の『ニコ☆プチ』4月号で誌面デビューを果たしました。
同年には表紙にも登場し、モデルとして経験を重ねていきます。
初めて表紙の撮影をした場所は、沖縄でした。
2021年8月25日に公開された『ニコ☆プチ』の創刊15周年インタビューでは、沖縄で撮った初表紙が最も印象に残っている思い出だと話しています。
この撮影のとき、飯豊さんは乳歯が抜けていたそうです。
そのため、当時の表紙写真で笑顔をよく見ると、歯が抜けているところも写っていると振り返っていました。
子どもらしい小さな出来事も、そのままモデル時代の思い出として残っています。
撮影の現場では洋服を着替え、さまざまなポーズを取り、カメラの前で表現する経験を積んでいきました。
2021年のインタビューでは、モデルの撮影はカット数が多くても疲れを感じないほど好きで、もっと撮影したいと思うと語っています。
その後、飯豊さんは2011年に『ニコ☆プチ』を卒業し、姉妹誌の『nicola(ニコラ)』へ活動の場を移しました。
2011年にニコラへ移籍、学校生活とモデル活動を両立
『nicola』は中学生向けのファッション誌で、飯豊さんは専属モデルとして撮影や誌面企画に参加しました。
この頃は、同じ雑誌で活動するモデル仲間も増えていきます。
2012年の公式ブログでは、オーディションへの挑戦やモデル活動について読者から寄せられた質問に、自分の経験を交えながら答えていました。
2014年1月号の『nicola』では単独で表紙を飾っており、当時の表紙は雑誌公式サイトのバックナンバーにも残されています。
一方、学校生活については、2013年3月12日に投稿した公式ブログ「中学校を卒業しました!」に詳しい記録があります。
卒業式では笑顔で過ごそうと決めていたものの、実際には涙をこらえられなかったそうです。
仕事の都合で学校にいられないときもありましたが、クラスメートたちは飯豊さんを仲間として迎えてくれていました。
当時、同級生からは、学校に来られない日があっても大切なクラスの一員だと言ってもらったとつづっています。
卒業式では、担任の先生が生徒一人ひとりに漢字を贈ってくれました。
飯豊さんに贈られた漢字は「麗」でした。
上品で心も美しい女性になってほしいという先生の願いが込められていたそうです。
また、クラスメートから明るく元気だったと言われたことも、うれしい思い出として記しています。
同じブログの最後では、それまで育ててくれた両親にも感謝の言葉を伝えていました。
学生時代の記録:飯豊まりえさんは2013年3月に中学校を卒業し、同年4月に高校へ進学しました。中学校の卒業式や高校の入学式について、当時の公式ブログに本人の言葉が残されています。
小学生の頃からモデルとして活動していた飯豊さんですが、中学校では仕事以外の友人や先生との時間も大切にしていました。
そして、中学生だった2012年には、モデルとは異なる仕事も経験することになります。
飯豊まりえが女優になったきっかけ|モデルから演技の世界へ
飯豊まりえさんの芸能活動はモデルとして始まりましたが、2012年にはテレビドラマに出演し、演技の仕事もスタートしています。
ただし、モデルデビューした頃から女優になることを目標にしていたわけではありませんでした。
モデル時代は女優になるとは思っていなかった
『ニコ☆プチ』時代を振り返った2021年のインタビューで、飯豊さんは女優という仕事について、当時の率直な気持ちを話しています。
まさか女優さんになれるとはこれっぽっちも思ってなかった!
出典:ニコ☆プチ「ニコ☆プチOG・飯豊まりえさん『ニコ☆プチは原点中の原点』創刊15周年記念インタビュー」(2021年8月25日)
モデルの仕事は、できるだけ長く続けていきたいと考えていたそうです。
その後、演技の仕事にも興味を持つようになった背景には、父親の言葉がありました。
2019年の日刊スポーツのインタビューでは、モデルデビュー後に父親から女優になってほしいと言われたことを振り返っています。
小学生の頃から両親に支えられてきた飯豊さんにとって、父親が女優という仕事を勧めたことも、新しい道を考えるきっかけのひとつになりました。
もっとも、モデルと女優の仕事を同じものとして捉えていたわけではありません。
2017年のTV LIFEのインタビューでは、モデルの仕事は自分自身に戻れる場所であり、女優の仕事は自分とは違う人物になるものだと話しています。
慣れ親しんだモデルの現場がある一方で、演技の仕事では新しい役柄や表現に取り組むようになりました。
2012年のドラマ出演で始まった演技活動
飯豊さんの初期の演技仕事として確認できるのが、2012年4月21日放送の『世にも奇妙な物語 ’12春の特別編』です。
飯豊さんは、高橋克典さんが主演したエピソード「家族(仮)」に出演しました。
放送当日の公式ブログでは、この作品に出演することを自ら告知しています。
普段の自分とは違う人物設定で、難しい場面もあったものの、すべてが勉強になったと振り返っていました。
2012年のテレビドラマ出演は、所属先のエイベックスの公式プロフィールにも記録されています。
その後、2013年にはフジテレビ系ドラマ『幽かな彼女』にも出演しました。
モデル撮影に加えてドラマの現場へ参加することで、仕事の中身も少しずつ変わっていきます。
2016年のドラマ『MARS〜ただ、君を愛してる〜』では、ヒロインの麻生キラ役を演じました。
飯豊さんは2022年のENCOUNTのインタビューで、『MARS』を自分の転機になった作品として挙げています。
恋愛作品でヒロインを演じた初めての経験であり、この作品をきっかけに演技の仕事が増えたと話していました。
藤ヶ谷太輔さんや窪田正孝さんとの共演を通して、一つの役に感情を込めることや、演技の中に人物の人柄をにじませることについて学んだそうです。
モデルとして仕事を始めた少女は、ドラマの現場でさまざまな役と出会いながら、演技の経験を重ねていきました。
飯豊まりえの高校時代|キョウリュウジャー出演とモデル活動
飯豊まりえさんは、2013年4月に高校へ進学しました。
高校生活が始まった頃にはすでにモデルと女優の仕事を経験しており、学校生活と撮影を両立する日々が続いていました。
高校入学と母のお弁当、仕事を支えた学生生活
2013年4月4日、飯豊さんは公式ブログで高校の入学式を終えたことを報告しています。
入学式では少し緊張していたそうですが、同じ『nicola』のモデルとして活動していた中川可菜さんと同じクラスになり、安心したとつづっていました。
高校時代には、同世代のモデルである玉城ティナさんとも親交を深めています。
2019年の映画『惡の華』に関するインタビューでは、玉城さんと一緒に登校したことがあったと振り返っていました。
芸能活動をしている同級生がいる学校生活の中でも、モデル出身という共通点がある玉城さんには親しみを感じていたようです。
そんな高校時代の飯豊さんを支えていたもののひとつが、母親の手作り弁当でした。
2023年11月18日のマイナビニュースのインタビューでは、毎朝早く起きて弁当を作ってくれた母親との思い出を語っています。
弁当箱は一般的なプラスチック製ではなく、名前の刺しゅうが入った曲げわっぱでした。
周囲の友達がかわいらしい弁当箱を使う中、自分だけ和風の弁当箱だったため、当時は少し恥ずかしく感じていたそうです。
しかし、中身は色鮮やかで栄養バランスも考えられており、友達から驚かれるほどでした。
飯豊さんは、その弁当が毎日の生活を送るための大切なエネルギーになっていたと振り返っています。
高校卒業は2016年3月で、本人の公式ブログにも卒業の記録が残っています。
なお、学校名については本人の発言だけで確実に特定できる資料が限られるため、学校生活や卒業時期と区別して考える必要があります。
大学への進学先についても、本人による明確な説明が確認できないため、特定の大学名は断定できません。
2013年にキョウリュウバイオレットを演じ、Seventeen専属モデルへ
高校へ入学した2013年、飯豊さんは特撮ドラマ『獣電戦隊キョウリュウジャー』に出演しました。
演じたのは、弥生・ウルシェード/2代目キョウリュウバイオレットです。
弥生は、キョウリュウジャーたちが使用する装備の開発に関わるドクター・ウルシェードの孫娘で、祖父からキョウリュウバイオレットを引き継ぐ人物です。
飯豊さんは2013年7月に、自身の公式Xで番組への出演を知らせていました。
2013年12月9日の公式ブログでは、同作の撮影を終えたことを報告しています。
その記事では、子どもの頃からスーパー戦隊シリーズが好きで、『忍風戦隊ハリケンジャー』を見ていたことも明かしました。
初めてサンタクロースからもらったプレゼントも、『ハリケンジャー』のおもちゃだったそうです。
女優の仕事を始めてからは、自分もスーパー戦隊シリーズに出演してみたいと考えていました。
そのため、幼い頃に好きだった作品の世界へ、出演者として参加できたことは、飯豊さんにとって忘れられない経験となりました。
一方、モデルの仕事も続けており、2014年には『nicola』を卒業して『Seventeen』の専属モデルになりました。
小学生向けの『ニコ☆プチ』から、中学生向けの『nicola』、そして高校生世代の『Seventeen』へと活動の場を移していったのです。
2016年に高校を卒業する頃には、モデル活動を続けながら、連続ドラマでヒロインを演じる経験も積んでいました。
飯豊まりえの転機|映画初主演から岸辺露伴シリーズへ
飯豊まりえさんは、高校卒業後もモデルと女優の仕事を並行して続けました。
その中で、2017年には映画と連続ドラマで初主演を経験し、女優としての仕事に大きな変化が訪れます。
2017年『暗黒女子』『マジで航海してます。』で主演を経験
2017年4月公開の映画『暗黒女子』で、飯豊さんは清水富美加さんとダブル主演を務めました。
演じたのは、女子校の生徒たちから憧れられる白石いつみです。
物語では、いつみの死をきっかけに、周囲の人々が隠していた思惑や秘密が次々と明らかになっていきます。
飯豊さんは、この役を演じるにあたって、人物が相手によって見せる表情や態度を細かく整理したそうです。
2017年の映画.comのインタビューでは、登場人物の相関図を作り、白石いつみがそれぞれの相手からどのように見られたいのかを書き込んだと語っています。
普段は台本にあまり書き込まないタイプでしたが、この作品では台本が真っ黒になるほど書き込んだといいます。
私にとって初めてのアプローチだったんです
出典:映画.com「飯豊まりえ『暗黒女子』で見せた女優としての“進化”と“真価”」(2017年4月)
演出を担当した耶雲哉治監督とは、2016年の『MARS〜ただ、君を愛してる〜』でも一緒に仕事をしていました。
『暗黒女子』では厳しい演出を受けながら、登場人物の多面的な感情をどう表現するか試行錯誤したそうです。
撮影現場での様子については、飯豊さん自身も公式Xにオフショットを投稿しています。
同年7月には、武田玲奈さんとダブル主演した連続ドラマ『マジで航海してます。』が放送されました。
飯豊さんが演じた坂本真鈴は、航海士になることを目指して実習船に乗り込む大学生です。
映画『暗黒女子』に続き、今度は連続ドラマで物語の中心となる役を担当しました。
2017年にはこうして異なるジャンルの作品で主演を経験し、モデル出身の女優として活動の幅を広げています。
なお、本人は女優業が軌道に乗った後も、モデルの仕事をやめようとは考えていませんでした。
2019年のインタビューでは、モデルと女優の仕事を同じくらい大切にしていきたいと話しています。
モデルの仕事は、自分自身に戻れる大切な場所であり続けていたのです。
2020年『岸辺露伴は動かない』で泉京香役を演じる
2017年の主演経験を経た飯豊さんは、その後も映画やドラマでさまざまな役を演じました。
そして2020年12月、NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』に出演します。
飯豊さんが演じたのは、漫画家・岸辺露伴を担当する編集者の泉京香です。
第1話「富豪村」では、岸辺露伴を演じる高橋一生さんとともに、奇妙な条件のある山奥の高級住宅地を訪れる役どころでした。
京香は明るく行動的で、露伴をさまざまな出来事へ巻き込んでいく人物として描かれています。
飯豊さんはこの役でシリーズ作品に継続して出演し、2023年公開の映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』、2025年公開の映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』にも参加しました。
小学生の頃に始めたモデル活動から12年、2012年のドラマ出演から8年を経て、長く続くシリーズ作品の主要人物を演じるようになったのです。
2008年の『ニコ☆プチ』モデルオーディションで出会った編集長との縁は、その後も本人の中に残り続けていました。
2022年の『Real Folder』で当時の編集長と再会した際には、子どもの頃に自分を選んでくれた相手が、それまでの活動を見守ってくれていたことを知りました。
母親と最後と決めて受けたオーディションから始まった仕事は、モデルとしての撮影を経て、映画やドラマでさまざまな人物を演じる仕事へと広がっていきました。
















