PROFILE
人物プロフィール
ドラマ『ケイゾク』や『外事警察』など、さまざまな作品で印象的な役を演じてきた俳優の渡部篤郎(わたべ あつろう)さん。
1968年5月5日に東京都新宿区で生まれた渡部さんは、若い頃から俳優を目指していたわけではありませんでした。
最初に経験した撮影現場はアルバイトのエキストラで、その後、知人に勧められて受けたオーディションをきっかけに俳優としての道が開けました。
1980年代には本名の「渡部篤」で出演し、1991年のドラマ『青春の門』から「渡部篤郎」として本格的な俳優活動を始めています。
新宿で遊んでいた少年が、どのように映画やドラマの世界へ入り、伊丹十三監督との出会いや『ケイゾク』への出演にたどり着いたのか、その歩みを振り返ります。
渡部篤郎の生い立ち|新宿で育った幼少期
渡部篤郎さんは、1968年5月5日に東京都新宿区で生まれました。
子どもの頃には新宿の映画館やボウリング場へ足を運んでおり、大人になってからも当時の街の様子を覚えていることを語っています。
俳優として映画に出演するよりもずっと前から、映画館のある街が身近な場所だったのです。
子どもの頃に通った新宿の映画館とボウリング場
2023年5月、渡部さんは東京・歌舞伎町で開かれた施設のお披露目会に出席し、新宿で過ごした昔の日々を振り返りました。
その際、子どもの頃から歌舞伎町にあった映画館を訪れ、ボウリング場でも遊んでいたことを明かしています。
40年以上前のことでしたが、新宿は今でも変わらず馴染みのエリアです。
出典:スターダストプロモーション「渡部篤郎 会員制ウェルネス・クラブ『EXSTION(エクジション)』お披露目会に出席」(2023年5月29日)
渡部さんが子どもだった1970年代から1980年代にかけて、歌舞伎町には映画館や娯楽施設が集まっていました。
映画を観るために映画館へ行くことも、ボウリング場で遊ぶことも、渡部さんにとっては新宿での日常の一部だったようです。
2023年のイベントでは、街がきれいになり、新しい施設ができたことにも触れながら、昔から変わらない道路の様子を懐かしんでいました。
建物が次々と変わっていく新宿で、かつて遊び歩いた頃の街並みを覚えていたことがうかがえます。
小学校時代から親しんだ東京の街
渡部さんは新宿で生まれ、成長してからも東京で暮らしてきました。
2021年に住宅情報誌『都心に住む by SUUMO』のインタビューを受けた際には、東京の街を走る車や電車、空を飛ぶ飛行機の音についても話しています。
そのインタビューでは、東京のにぎやかさを否定的に捉えるのではなく、街ならではの音や景色として楽しんでいる様子が伝えられました。
幼少期に映画館やボウリング場へ通った思い出と、大人になってから語った東京の風景には、長くこの街で生活してきた渡部さんの姿が重なります。
一方、子どもの頃から将来は俳優になろうと決めていたわけではありません。
実際に演技の仕事を経験するようになるのは、もう少し後のことでした。
渡部篤郎の家族|父親・母親・兄弟と育った家庭環境
新宿で育った渡部篤郎さんですが、父親や母親、兄弟姉妹についての詳しい情報は、本人が語った幼少期の思い出に比べると限られています。
所属事務所のプロフィールには生年月日や出身地、出演経歴などが掲載されている一方、生育家族の詳しい構成は記載されていません。
父親や母親の職業、兄弟姉妹の有無についても、本人の直接発言や公式プロフィールだけから確定できる情報は多くありません。
インターネット上には、母親の仕事や少年時代の家庭環境に触れる人物紹介もありますが、そうした記述だけで具体的な家庭事情まで断定することはできません。
渡部さん自身が幼少期について公の場で具体的に語っているのは、新宿の映画館やボウリング場に通っていたことなど、街で過ごした日々の記憶です。
家族との関係が芸能界入りにどのような影響を与えたのかについても、はっきりした本人の説明は確認できていません。
ただし、成人後の渡部さんは家族と過ごす時間についてインタビューで語ることがあり、2023年には家庭での生活を仕事と同じように大切にしていることを明かしています。
これは大人になってからの家族観であり、幼少期の父親や母親との関係を直接示すものではありません。
少年時代の具体的な暮らしぶりを知るうえでは、本人が語る新宿での思い出が、確かな手がかりとなっています。
渡部篤郎の学生時代|高校中退からアルバイト生活へ
渡部篤郎さんの学生時代については、高校へ進学した後に中退し、若い頃からアルバイトをしていたという経歴が紹介されています。
ただし、高校を離れた正確な時期や、その理由については、資料によって詳しさに差があります。
確かなのは、10代から20代前半にかけての渡部さんが、最初から俳優一筋で進んでいたわけではなかったということです。
小中学校から高校へ進んだ学生時代
渡部さんの学歴については、小学校・中学校を経て高校へ進学したという経歴が、複数の人物紹介で伝えられています。
一方、学校名や通学した時期については、所属事務所の公式プロフィールには詳しい記載がありません。
また、学生時代から劇団や演劇部で本格的に活動していたという人物ではありませんでした。
2026年2月に報じられたテレビ番組での発言でも、渡部さんは学生演劇の経験がなかったことを説明しています。
演劇を学んでから芸能界へ進むという一般的なイメージとは、少し異なる出発点だったことが分かります。
高校を離れて働き始めた10代の日々
高校中退後の渡部さんは、アルバイトをしながら日々を過ごしていたと紹介されています。
2021年にリクルートが公表した人物紹介でも、10代後半からアルバイトをしながら俳優としての経験を積んだ経歴が記されています。
その仕事の一つが、後に本人も語ることになるエキストラのアルバイトでした。
エキストラとは、映画やドラマの場面に登場する通行人や群衆などを演じる仕事です。
役名のある出演とは異なり、作品の中で名前が表示されないこともあります。
渡部さんも、最初から大きな役を与えられていたわけではありません。
若い頃の撮影現場での経験を経て、やがて俳優としての進路を決めるきっかけになるオーディションと出会います。
渡部篤郎が俳優になったきっかけ|エキストラから『青春の門』へ
渡部篤郎さんの俳優人生をたどると、初期のエキストラ経験と、1991年のドラマ『青春の門』という二つの出来事が見えてきます。
ここで大切なのは、初めて撮影現場に立った時期と、俳優として本格的に活動を始めた時期が同じではないことです。
『青春の門』以前にも出演作品が存在し、その後の主演オーディションが大きな転機となりました。
アルバイトとして経験したエキストラの仕事
2026年2月、渡部さんはフジテレビ系の番組『突然ですが占ってもいいですか?』に出演し、芸能界へ入るまでの経緯を振り返りました。
その中で、最初にエキストラを経験したのは、俳優になりたかったからではなかったと説明しています。
エキストラをまとめている人から仕事を勧められ、アルバイト代がもらえることもあって、数回参加したそうです。
撮影現場に入った時点では、役者として生きていくことを強く意識していたわけではありませんでした。
2021年のスポニチのインタビューでも、初期には名前がクレジットされないエキストラや端役の仕事が多かったことが伝えられています。
劇団の所属者や養成所の出身者として演技を学ぶのではなく、実際の仕事を経験する中で俳優という職業に近づいていったのです。
本名「渡部篤」で出演した1980年代の作品
渡部さんの俳優としての経歴を調べる際、見落とせないのが「渡部篤郎」になる前の出演歴です。
映画情報データベースのKINENOTEには、1987年のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』やテレビ東京『あぶない少年』への出演が記されています。
これらの初期作品では、現在の芸名ではなく、本名の「渡部篤」を使用していました。
1988年には、田中登監督の映画『妖女伝説’88』にも出演しています。
この映画については、製作・配給元の日活の作品情報でも「渡部篤」の出演が確認できます。
同じ1988年には、映画『この胸のときめきを』への出演記録もあります。
つまり、一般的なプロフィールで1991年がデビュー年と紹介されることがあっても、それ以前に演技の仕事をしていなかったわけではありません。
初期出演と本格デビューの違い
1980年代には本名「渡部篤」でドラマ・映画への出演歴があり、1991年の『青春の門』で「渡部篤郎」の名前を使った本格的な俳優活動が始まっています。
小さな役や初期の映画出演を経験した後、渡部さんはそれまでとは異なる規模の仕事を手にすることになります。
1991年『青春の門』のオーディションに合格
渡部さんが本格的に俳優として活動するきっかけになったのが、1991年にテレビ東京で放送されたドラマ『青春の門』です。
五木寛之さんの小説を原作とする作品で、渡部さんは主人公の伊吹信介を演じました。
この役を手にしたのは、知人にオーディションへの応募を勧められたことがきっかけでした。
知人に“オーディション受けてみたら”って言われて
出典:スポニチアネックス「渡部篤郎 芸能界入りの意外なきっかけ やりたかったわけでなく『役者志望だと思われたんじゃない?』」(2026年2月2日)
それまでエキストラをアルバイトとして経験していた渡部さんは、このオーディションに合格しました。
『青春の門』は1991年4月に2夜連続で放送され、役所広司さんや黒木瞳さんらも出演しています。
主人公を演じた渡部さんにとって、名前が残らないエキストラの仕事から主演へと進む、大きな変化となりました。
当初から俳優を目指して積み重ねてきたオーディションではなく、知人の勧めから生まれた機会だったことが、このデビューの特徴です。
2021年のインタビューでは、オーディションに合格した後、仕事が次々と入るようになったことも振り返っています。
やりながら興味を持って職業として選んだんじゃないかな
出典:スポニチアネックス「渡部篤郎 使命は『脚本を熟読して、真っすぐ演じる その繰り返し』」(2021年9月19日)
出演の機会を重ねながら演技に関心を持ち、俳優という仕事を自分の職業として選んでいったことが伝わる言葉です。
『青春の門』への出演後、渡部さんは1992年の映画『橋のない川』で大きな役を任され、1993年の『ナースコール』、1994年の『レッスン』などにも出演しました。
こうして映画やドラマで役を重ねていた渡部さんは、1995年に伊丹十三監督の作品と出会います。
渡部篤郎の若い頃|『静かな生活』から『ケイゾク』まで
1991年の『青春の門』で本格的に活動を始めた渡部篤郎さんは、20代後半に大きな転機を迎えました。
1995年の映画『静かな生活』で伊丹十三監督と出会い、その後も印象的な映画・ドラマへの出演が続きます。
1997年の『ストーカー 逃げきれぬ愛』、1999年の『ケイゾク』へと進むこの時期は、渡部さんが多くの視聴者に知られていった時代でもあります。
伊丹十三監督と出会った1995年の『静かな生活』
1995年、渡部さんは伊丹十三監督の映画『静かな生活』に出演しました。
原作は大江健三郎さんの小説で、渡部さんが演じたのは、妹のマーちゃんたちと暮らす兄のイーヨーです。
マーちゃん役を佐伯日菜子さんが演じ、兄妹の日常を中心に物語が進んでいきます。
渡部さんは2025年4月、映画公開から約30年を経て行われた上映記念イベントに佐伯さんと登壇し、伊丹監督との初対面を振り返りました。
渡部さんはオーディションだと聞かされて監督のオフィスを訪ねたそうですが、伊丹監督はすでに出演を考えているかのような言葉で迎えてくれたといいます。
その場で伊丹監督は、アメリカで映画を撮るならトム・クルーズに、日本で撮るなら渡部さんにお願いしたいという趣旨の言葉をかけたそうです。
渡部さんは、このときの言葉を「最高の口説き文句」だったと回想しています。
実際の撮影現場でも、伊丹監督は俳優たちを厳しく怒鳴るようなことはなく、温かく見守ってくれたと二人は語りました。
当時の佐伯さんは、渡部さんが役作りのためにピアノの練習をしたり、水泳の場面に取り組んだりしていたことも覚えていたそうです。
また、プールの場面では、渡部さんがカメラに映らない位置でも泳ぎ続けていたという思い出を明かしています。
若い頃の渡部さんが取り組んだ演技を、当時の共演者の証言からも知ることができます。
1995年の渡部さんと佐伯さんの出演作『静かな生活』は、佐伯さんの所属事務所ヴィヴィアンの公式YouTubeチャンネルでも予告編が公開されています。
2025年の上映記念イベントでは、二人が作品の公開以来、約30年ぶりに再会したことも話題になりました。
そのときの様子は、イベントを主催した日本映画専門チャンネルの公式Xでも紹介されています。
この作品への思いを尋ねられた渡部さんは、30年後の会場で次のように答えています。
やっと俳優業の入口に立った作品ですね
出典:マイナビニュース「渡部篤郎『名作に出る』夢かなう、佐伯日菜子は思い出に涙 伊丹十三監督『静かな生活』から30年ぶりの再会」(2025年4月16日)
1991年に主演の仕事を経験していた渡部さんにとっても、『静かな生活』は俳優として特別な位置を占める作品だったのです。
日本アカデミー賞受賞と伊丹十三監督から教わったこと
『静かな生活』に出演した渡部さんは、1996年の第19回日本アカデミー賞で、優秀主演男優賞と新人俳優賞を受賞しました。
それまで名前の付かない役も経験してきた渡部さんにとって、映画での仕事が大きく評価された出来事となりました。
ただ、渡部さん自身がその後も大切にしてきたのは、受賞という結果だけではありません。
2021年のインタビューでは、伊丹監督から俳優としての仕事に向き合う姿勢を教わったことを振り返っています。
『静かな生活』で障害のある人物を演じた際、若かった渡部さんは、その役を演じることについて不安を感じた時期があったそうです。
その気持ちを伊丹監督に打ち明けると、監督は、真面目に取り組んでいるのであれば、それが俳優の仕事なのだという趣旨の言葉をかけてくれたといいます。
さらに、作品が評価されたとしても、次の仕事では再びゼロから始める必要があるという教えも受けました。
一つの作品で評価されても、それを次の作品の出発点として当てにしない。
伊丹監督との出会いは、映画出演の機会だけでなく、渡部さんがその後も仕事を続けていくうえでの考え方を残しました。
2025年の上映記念イベントで『静かな生活』を振り返った際にも、渡部さんは、賞を受けたり話題作に出演したりする喜びとは別に、長く残る作品に出演したいという思いがあったことを語っています。
そのような思いを抱く作品に20代で出会えたことも、渡部さんの俳優人生をたどるうえで欠かせない出来事です。
『ストーカー 逃げきれぬ愛』から『ケイゾク』へ
『静かな生活』の翌年、1996年には岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』にも出演しました。
そして1997年、渡部さんは読売テレビ制作のドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』に出演します。
高岡早紀さんが演じる女性につきまとう三枝辰也役を務め、相手を追い詰めていく人物を演じました。
この作品で渡部さんは、第12回ザテレビジョンドラマアカデミー賞の助演男優賞を受賞しています。
映画『静かな生活』とは異なる役柄を演じたことで、テレビドラマでも強い印象を残しました。
その後、1997年の『ベストパートナー』、1998年の『ラブ・アゲイン』『なにさまっ!』など、連続ドラマへの出演が続きます。
そして1999年、渡部さんはTBSドラマ『ケイゾク』で刑事・真山徹を演じました。
『ケイゾク』は、捜査が継続扱いとなった未解決事件などを扱う刑事ドラマです。
中谷美紀さんが演じる柴田純と、渡部さんが演じる真山徹がコンビを組み、事件の謎に向き合っていきます。
ひょうひょうとした雰囲気を持つ柴田と、神経質で過去を抱えた真山のやり取りも、作品を特徴づける要素となりました。
『ケイゾク』の演出を担当した堤幸彦監督の映像表現と、二人の掛け合いが組み合わさり、独特の世界観を持つドラマになりました。
1999年の『ケイゾク』に出演していた渡部さんは30歳で、エキストラの仕事を経験していた頃から十数年がたっていました。
若い頃の渡部さんを振り返るうえでは、1991年の『青春の門』、1995年の『静かな生活』、1997年の『ストーカー 逃げきれぬ愛』、1999年の『ケイゾク』が、仕事の変化をたどる重要な作品となっています。
TBSチャンネルの公式Xでも、『ケイゾク』の連続ドラマ・特別篇・映画を紹介する投稿が公開されています。
『ケイゾク』を経て広がった俳優としての仕事
1999年の『ケイゾク』は、連続ドラマだけで終わらず、特別篇も制作されました。
さらに2000年には、映画『ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer』が公開されています。
渡部さんは映画版でも真山徹を演じ、中谷美紀さんと再び共演しました。
同じ2000年には、TBSドラマ『ビューティフルライフ〜ふたりでいた日々〜』や、日本テレビドラマ『永遠の仔』にも出演しています。
『永遠の仔』では、幼少期の経験を背負って生きるモウル役を演じ、また異なる人物像に向き合いました。
2000年代に入ってからも、ドラマや映画でさまざまな役を経験しています。
2008年には映画『コトバのない冬』で監督・原案・主演を務め、俳優として出演するだけでなく、映画を作る側の仕事にも挑戦しました。
2009年にはNHKドラマ『外事警察』で公安警察の住本健司役を演じ、この作品も2012年に映画化されています。
アルバイトとして参加したエキストラから始まり、主演オーディションへの合格、伊丹十三監督との出会い、連続ドラマでの役柄を経て、映画監督の仕事へも活動を広げた渡部さん。
若い頃から一つずつ重ねてきた撮影現場での経験が、出演者としてだけでなく、作品を作る立場へ進む歩みにもつながっています。
















