PROFILE
人物プロフィール
NHK夜ドラ『ひらやすみ』で、主人公のいとこ・なつみが美術大学で出会う横山あかりを演じたのが、光嶌なづなさんです。
2026年には紀伊國屋ホールの舞台やPrime Video、Disney+の配信作品にも出演し、舞台と映像の両方で活動しています。
子役から活動していたようにも見えますが、初めて芝居をしたのは18歳で、それ以前に長く続けていたのはダンスでした。
高校3年生でオーディションの決選へ進んだ後、すぐ芸能事務所へ入るのではなく、大学で演劇を学びながら舞台に立っています。
今回は、そんな光嶌なづなさんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界への最初の挑戦、大学で演劇を学んで女優として活動を始めるまでをご紹介します。
光嶌なづなの生い立ち|読み方と大阪で育った子ども時代
光嶌なづなさんは大阪府で生まれ、両親や兄、祖父母に囲まれて育ちました。
俳優として芝居を始めるより前から、舞台に立って体で表現する時間を重ねています。
2002年大阪府生まれ、「みつしま・なづな」の読み方
光嶌なづなさんの名前は、「みつしま・なづな」と読みます。
2002年7月10日生まれで、2026年8月時点では24歳です。
出身地は大阪府で、所属事務所が使用している英字表記は「Nazuna Mitsushima」です。
上京後は標準語で話すことが増えましたが、実家では関西弁に戻り、大阪出身だと伝えると驚かれることもあると本人は書いています。
身長は158センチで、現在の所属事務所はBLUE LABELです。
幼稚園のパンダ役から、小学生で始めたヒップホップへ
幼稚園のお遊戯会で取り組んだ作品は、絵本をもとにした『どうぞのいす』でした。
このとき演じたのはパンダ役で、本人は後年も『どうぞのいす』を好きな絵本として挙げています。
小学生のころにはヒップホップダンスを始め、舞台に立って踊るようになりました。
観客の前に立ち、言葉ではなく体を動かして見せることが、最初に親しんだ表現方法でした。
舞台に立って表現をすることは、私には原点のようなものだと思っています。
出典:ローチケ演劇宣言!「紀伊國屋書店創業100周年記念公演『わたしの書、頁を図る』|光嶌なづなインタビュー」(2026年6月17日)
小学生のころから好きなキャラクターには、たてごとアザラシの「しろたん」があります。
大人になってからもぬいぐるみやTシャツを集めており、子ども時代から続く身近な好みの一つになっています。
光嶌なづなの家族|共働きの両親と兄、祖父母との思い出
光嶌なづなさんが自ら綴った家族の話には、母親、父親、兄、祖父母、実家で暮らす犬が登場します。
家族の名前や職業は公表されていませんが、それぞれとの関係は大阪で過ごした場面とともに語られています。
心配性の母、見守る父、兄と家族の犬
母親については心配性、父親についてはあまり口を挟まない人だと表現しています。
兄と光嶌さんが家を離れた後、両親の愛情は実家の犬へ集まるようになりました。
肉や野菜は自分で食べる犬が、ドッグフードだけは一粒ずつ口へ入れてもらうようになり、光嶌さんは「おぼっちゃま犬」と呼んでいます。
帰省したとき、その犬と幼いころの自分がアルバムの中で同じような表情をしていると幼なじみに指摘されました。
母親はスマートフォンで犬のショート動画を見るのが好きで、見終えると「ああ、楽しかった」と声に出すことがあるそうです。
放課後を支えた祖母と、兄と電車で通った夏休み
両親は共働きだったため、放課後や習い事の送り迎えでは祖母がそばにいました。
私は昔からばあちゃんっ子でした。
出典:POPEYE Web「うちの犬とわたし」(2026年5月19日)
夏休みになると、兄妹は毎日のように電車へ乗り、祖母の家まで通っていました。
帰りには祖母が入場券を買い、駅のホームまで二人を見送りに来ていました。
ある日、兄が改札前で「もう自分たちだけで大丈夫」と伝えた姿を、光嶌さんは大人になった後も覚えています。
祖母も母親と同じく心配性で、祖父はいつもおやつを持ち歩いていたそうです。
祖父母の家へ向かう電車と駅のホームは、共働きの両親を待つ時間を家族と過ごすための生活の一部でした。
2026年の帰省時には、家族が留守の実家へ祖母が雨の中を訪ねてきて、光嶌さんはそのまま祖母の家へ泊まりに行きました。
家族の代わりに放課後や習い事を支えた祖母は、ダンスを続けていた子ども時代の生活にも近い存在でした。
光嶌なづなの学生時代|高校ダンス部で作品を作った日々
学校生活でも、光嶌なづなさんの中心にあったのは体を動かすことでした。
本人は中学と高校で運動部に所属していたと話しており、高校ではダンス部の仲間と作品を作っています。
約30人のダンス部で振り付けとフォーメーションを考える
光嶌さんが通った小学校、中学校、高校の校名は公表されていません。
高校のダンス部には約30人の部員がおり、振り付けや全体の構成を考えながら大会へ出場していました。
決められた踊りを覚えるだけではなく、歌詞をどう表すか、曲にある感情をどの動きへ置き換えるかを部員同士で話し合いました。
舞台上の立ち位置を組み、複数人の動きで一つの作品を見せるところまで自分たちで作っていたのです。
高校時代の同級生とは卒業後も交流があり、本人は写真を撮ってくれた友人を「ダンス部時代の戦友」と表現しています。
当時使っていた、感情を動きや構成へ変える考え方について、本人は後の芝居にも生かせる部分が多いと話しています。
高校3年生の進路選択で、ダンスから演劇へ
子どものころからテレビをよく見ており、ドラマや映画も好きでした。
ただし、ある作品や俳優を見て突然女優を目指したという、はっきりした一度のきっかけがあったわけではありません。
映像作品を見てきた時間と、ダンスで舞台に立った経験が重なり、芝居への興味が少しずつ積み上がっていました。
進路を決める高校3年生になったとき、好きな舞台でダンスとは違う表現をするなら演劇だと考えます。
長く続けたダンスからいったん離れ、演劇を次の表現方法として選びました。
この進路選択と同じ2020年、光嶌さんは旧活動名義の「光安なづな」で大きなオーディションへ進みます。
光嶌なづなの芸能界入りまで|18歳の初演技とホリプロTSC
光嶌なづなさんの芸能界への最初の公的な挑戦として確認できるのが、第44回ホリプロタレントスカウトキャラバンです。
ここでは、オーディションへ進んだことと、俳優として仕事を始めたことを分けて見る必要があります。
子役ではなく、初めて芝居をしたのは18歳
関連検索には「子役」という言葉もありますが、光嶌さんに子役として活動していた経歴は確認できません。
初めてお芝居をしたのは18歳です。
出典:ローチケ演劇宣言!「紀伊國屋書店創業100周年記念公演『わたしの書、頁を図る』|光嶌なづなインタビュー」(2026年6月17日)
幼稚園のお遊戯会やダンスの舞台には立っていましたが、役を作って本格的に芝居へ取り組んだのは高校3年生になってからでした。
本人はダンスとは違う表現方法を身につけ、次の段階へ進みたいと考えて芝居を始めています。
芸能活動の早さではなく、18歳で自分から表現方法を変えたことが、俳優を目指す出発点でした。
高校3年生で1万9,115人の決選10人に選ばれる
2020年に開かれた第44回ホリプロタレントスカウトキャラバンは、ミュージカルの次世代スターを探すオーディションでした。
応募資格は11歳から20歳までで、芸能プロダクションに所属していないことが条件に含まれていました。
少なくとも応募した時点では、光嶌さんは特定の芸能事務所に所属していなかったことになります。
国内外から1万9,115人が応募し、光安なづな名義で参加した光嶌さんは決選大会の10人に残りました。
決選大会は2020年12月12日に東京都内で行われ、参加者はダンス、演技、歌唱の三つの審査へ臨みました。
選考はWEB応募から始まり、オンライン面談や講師のレッスンを通した審査を経て決選へ進む流れでした。
ダンス審査では二人一組で踊り、演技審査では詳しい設定を与えられない状態から、相手と相談して場面を作っています。
高校のダンス部で仲間と振り付けや構成を考えていた光嶌さんにとって、決選でも相手と表現を組み立てる課題が待っていました。
光嶌さんは決選ファイナリストですが、グランプリと17LIVE賞の受賞者は別の参加者で、この大会を通じてホリプロへ所属した事実も確認されていません。
そのため、TSC決選は公の場で歌、ダンス、芝居を見せた機会であり、所属や女優デビューと同じ出来事ではありません。
決選を終えた後は、演劇を学ぶため日本大学芸術学部へ進みました。
日本大学芸術学部で演劇を学び、舞台から俳優活動へ
高校卒業後、光嶌なづなさんは日本大学芸術学部演劇学科で演劇を学びました。
大学の授業と学生公演で芝居を続けながら、在学中の2023年から学外でも俳優として仕事を始めます。
日芸演劇学科で芝居を学び、学内公演にも出演
進学先は日本大学芸術学部演劇学科です。
大阪を離れて東京で暮らし始め、2026年には東京生活が6年目になったと本人が記しています。
大学では演劇を学ぶだけでなく、演劇学科の総合実習として上演された『白い病』などの舞台にも出演しました。
『白い病』はカレル・チャペックの戯曲を演出家の山田和也さんが演出し、2024年2月に大学内の中ホールで上演された作品です。
授業の成果を舞台へ上げる総合実習で、俳優だけでなく美術、照明、音響、衣装、舞台監督、制作も学生が担いました。
高校のダンス部で一つの作品を集団で作っていた光嶌さんは、大学では演劇を支える複数の仕事が動く環境で舞台に取り組みました。
大学の公演記録には、当時の名義である光安なづなと記載されています。
大学時代の20歳の誕生日には、自分で決めていた目標へ届かないまま年齢だけが進むように感じていました。
自分の中で決めていた目標を達成できないまま20歳を迎えることが、悔しくて仕方なかったんだと思う。
出典:POPEYE Web「はたちになるとき」(2026年5月26日)
友人と東京ディズニーランドへ出かけたその日、一人のキャストから「できることがたくさん増える」と声をかけられ、失うものばかりを見ていた気持ちが動きました。
2023年に『巌流島-外伝-』『プロポーズ』の舞台へ
外部公演で確認できる最初期の出演は、2023年3月18日から21日まで武蔵野芸能劇場で上演された『巌流島-外伝-』です。
殺陣とダンスを取り入れた時代劇で、光安なづな名義のまま華班のおつう役を演じました。
同年7月には、沼津市制100周年記念事業の演劇『プロポーズ』でナターリャ役に選ばれます。
アントン・チェーホフの戯曲をもとにした作品で、2023年7月22日に沼津市民文化センターの大ホールで上演されました。
この舞台では磯村勇斗さんと共演し、2026年の公演資料では、光嶌さんが舞台オーディションの約600人からヒロイン役を得たことが紹介されています。
おつう役に続くナターリャ役も旧名義での出演だったため、2023年の舞台記録には現在と異なる名字が残っています。
大学で演劇を学びながら、2023年に二つの外部舞台へ出演しました。
高校3年生で演劇を選んでから、大学の授業だけでなく、観客の前で役を演じる仕事へ進んだ時期です。
BLUE LABEL所属を機に「光嶌なづな」として活動
2023年12月1日、芸能事務所BLUE LABELへの所属が発表されました。
本人も同日、これから「光嶌なづな」として新しく歩むことをInstagramで知らせています。
それ以前のTSC、舞台、大学公演では「光安なづな」という名前が使われており、現在の名義へ切り替わった時期は所属発表と重なります。
「光安なづな」は過去の公的な活動記録で確認できる旧名義ですが、本人や所属事務所は本名を公表していません。
所属事務所の出演歴には、2023年の配信作品としてポテトピクチャーズの『ハグぐらいしたら?』も記載されています。
舞台で俳優活動を始めた同じ年に、YouTubeで公開される短編の映像作品にも出演していました。
芸能事務所への所属は12月でしたが、舞台と短編映像への出演はそれ以前から始まっており、所属日だけを俳優デビュー日とすることはできません。
テレビドラマ出演から『ひらやすみ』の初レギュラーへ
BLUE LABEL所属後は、テレビドラマ、短編映画、CMへ出演の場が広がりました。
出演作を大量に並べるのではなく、初期の映像仕事と、初レギュラーへ進んだ順序を見ていきます。
2024年『作りたい女と食べたい女』でテレビドラマに出演
所属事務所が公開している出演歴で、最初に記載されているテレビドラマは、2024年のNHK夜ドラ『作りたい女と食べたい女』です。
2月5日放送の第15回に、矢子が訪れるカフェカーの店員役で出演しました。
同年8月にはテレビ東京『量産型リコ -最後のプラモ女子の人生組み立て記-』第8話にも出演しています。
短編映画『おとなになりたくなれますように』では、同世代の監督や出演者と、20歳を迎える若者たちの物語を作りました。
自分自身が20歳になることを怖がっていた記憶を持つ光嶌さんは、作品を見返したとき、当時言いたかった言葉と題名が重なったと綴っています。
2025年には『もしもこの世界に「レンアイ」がなかったら』などのドラマに加え、キャンメイク、ジョージア、エバラの映像広告にも登場しました。
関連検索で見られる「光嶌なづな グラビア」は、テレビ朝日の写真企画「Daily logirl」で2026年1月に公開された私服グラビアを指すものと考えられます。
水着活動の経歴として確認できるものではなく、日ごとに私服姿の写真が公開された人物紹介企画です。
舞台で始まった仕事が、ドラマ、映画、CMへ広がった時期でした。
美大生の姿を作り込んだ『ひらやすみ』オーディション
2025年、NHK夜ドラ『ひらやすみ』の横山あかり役がオーディションで決まりました。
あかりは、森七菜さんが演じるなつみが美術大学で初めて親しくなる友人です。
役を得る前から、光嶌さんは服装と手元まで美大生らしく見える準備をしていました。
衣装として用意されたものを着る前の段階で、自分があかりとして審査会場に入ったらどう見えるかを考えていたのです。
美大生役だったので、Tシャツや手に絵の具を塗ってオーディションに挑みました(笑)。
出典:anan「光嶌なづな『自分のためではなく、誰かのために演じたい』」(2026年7月1日)
オーディションで選ばれた後は、あかりの芯の強さや友達思いなところ、自信を持てないときにも残る熱い部分を大切に演じました。
なつみとあかりが二人で帰る場面はオーディションでも演じたシーンで、本番では後半のセリフの多くがアドリブになりました。
用意した人物像を守るだけでなく、相手との会話からその場で生まれた言葉を残した場面です。
本人が出演発表で「初レギュラー」と記した通り、『ひらやすみ』は初めて継続して登場するドラマ作品になりました。
役を通して私自身も力をもらった気がします。
出典:MANTANWEB「ひらやすみ:NHK実写ドラマ、あかり役は光嶌なづな」(2025年9月21日)
撮影を通して、自分のために演じている感覚から、自分の演技が誰かの力になることを考えるようになりました。
役の見た目を自分で用意したオーディションが、初レギュラーへつながりました。
日芸卒業後、映像と舞台の両方で活動
光嶌さんは2025年3月、日本大学芸術学部演劇学科を卒業しました。
卒業後に放送された『ひらやすみ』で初レギュラーを経験し、翌2026年には約3年ぶりに舞台へ戻っています。
紀伊國屋書店創業100周年記念公演『わたしの書、頁を図る』では、不登校の中学生・小山田奏那役を演じました。
公演は2026年7月3日から19日まで紀伊國屋ホールで上演され、ダンスで舞台に立っていた子ども時代とは違い、俳優として観客の前へ立ちました。
映像では、7月17日からPrime Originalドラマ『犯罪者』、8月12日からDisney+のショートフィルム『筆』の配信が始まっています。
検索されている「光嶌なづな 犯罪者」は不祥事を示す言葉ではなく、光嶌さんが小川奈津役で出演するドラマの作品名です。
ほかにも2026年は、6月26日公開の映画『死神バーバー』に出演し、主演短編映画『ふたりのあわい』の制作も発表されています。
2026年8月時点では、舞台で役を積み上げる時間と、映像で新しい視聴者へ届く仕事が並んでいます。
7月の紀伊國屋ホール公演を終えた後も、新しい映像作品の公開が続きました。
高校3年生で選んだ演劇は、2026年には舞台と配信作品の双方で続いています。
















