PROFILE
人物プロフィール
山時聡真さんは、2005年6月6日に東京都で生まれ、子どものころから芸能活動を続けてきた俳優です。
2023年には宮﨑駿監督の映画『君たちはどう生きるか』で主人公・眞人の声を担当し、その後も映画やドラマで役の幅を広げました。
ただ、芸能界へ入った最初のきっかけは、本人を目当てにしたスカウトではありませんでした。
5歳のとき、6歳上の双子の姉と原宿を歩いていたところ、姉たちへのスカウトに“おまけ”のような形で声をかけられたことから芸能活動が始まっています。
小学生時代には福岡で暮らし、サッカーや空手に夢中になりながら、CMやチラシのキッズモデルの仕事を「習い事」の一つとして続けていました。
今回は、そんな山時聡真さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、子役から俳優になった経緯、大きな転機となった作品をご紹介します。
山時聡真の生い立ち|東京生まれ、福岡で過ごした子ども時代
山時聡真さんの出身地は東京都ですが、子ども時代のすべてを東京で過ごしたわけではありません。
小学生時代には福岡で暮らしており、小学校6年生から中学1年生へ移るころに東京へ戻っています。
サッカーや空手が好きだったスポーツ少年
幼いころは外で遊ぶのが好きで、サッカーや空手にも取り組んでいました。
2026年の日刊スポーツのインタビューでは、外で鬼ごっこをして遊び、骨折を2回したほど活発な子どもだったことも振り返っています。
母親はテニスをしていたことがあり、山時さん自身も家族について「スポーツ一家」と表現したことがあります。
一方で、人と話すことも好きな子どもでした。
母親が後年つづった手紙では、幼稚園の教室に入ると一人ひとりの友達と話してしまい、なかなか自分の席までたどり着かなかったという幼いころの様子も明かされています。
小学生になってからもおしゃべりが好きで、給食を時間内に食べ終えられないことがあったそうです。
本人の公式Instagramには、子どものころの姿を写した写真も投稿されています。
幼少期はサッカーや空手に夢中になり、中学・高校ではバスケットボール部に所属したため、スポーツは学生生活まで長く身近にありました。
5歳、双子の姉の「おまけ」でスカウト
芸能界との接点ができたのは5歳のころでした。
6歳上の双子の姉と3人で原宿を歩いていたところ声をかけられましたが、もともとスカウト側が注目していたのは姉たちだったといいます。
本当は姉をスカウトしたかったんですけど、「君もいいよ」っておまけ感覚で(笑)
出典:TBSラジオ/radiko news「『ここからここまで全部ください!』山時聡真、事務所の先輩・菅田将暉主催の“服をくれる会”について語る」(2024年7月16日)
当時の出来事は幼かった本人の記憶だけではなく、両親から聞いた話としても残っています。
このころはサッカーや空手と同じように、芸能活動も習い事の一つという感覚でした。
最初はCMやチラシのキッズモデルなどを経験しており、この時点では「俳優として生きていく」と決めていたわけではありません。
山時聡真の家族|父親・母親と6歳上の双子の姉
山時聡真さんが本人のインタビューで語っている家族には、父親、母親、6歳上の双子の姉がいます。
家族の具体的な職業などは広く語られていませんが、子ども時代から俳優の仕事を続けるまで、家族とのエピソードは本人の言葉にたびたび登場します。
確認できる家族構成:父親/母親/6歳上の双子の姉2人/山時聡真さん。父親の勤務先や福岡で暮らした理由については、本人から具体的には語られていません。
父親について確認できること|家族で見る箱根駅伝
父親については、氏名や職業よりも、山時さんが語った家族の日常から関係性が伝わっています。
山時さんの家では、毎年、家族や親戚が祖母の家に集まり、みんなで箱根駅伝を見るのが恒例でした。
第100回箱根駅伝に向けたインタビューでは、父親、母親、姉それぞれの出身校が出場し、家族で対決しているような気持ちで盛り上がったと話しています。
正月に祖母の家へ親戚が集まり、各自の母校を応援するという具体的な一場面からも、家族で過ごしてきた時間がうかがえます。
父親について検索すると職業などさまざまな情報が見つかりますが、本人が明かしているのはこうした家族のエピソードまでです。
母親が支えた子役時代|台本を毎日一緒に練習
家族の中でも、俳優として歩き始めた時期に深く関わっていたのが母親です。
小学4年生のころに映画『ゆずの葉ゆれて』の撮影へ参加した際は、鹿児島弁を含む多くのセリフを覚える必要がありました。
撮影に同行していた母親は、毎日3〜4時間ほど台本の練習に付き添ったと山時さんは振り返っています。
「厳しい世界だな……」と実感しました。
出典:CREA「『君たちはどう生きるか』から2年。山時聡真が振り返る10代の転機」(2025年8月22日)
大変な台本練習だけではなく、撮影を終えたときには達成感があり、スタッフと親しくなれたことも本人の記憶に残っています。
母親との関係は、子役時代だけの話ではありません。
2026年の映画『90メートル』のイベントでは実母から手紙が届き、中学・高校ではバスケットボール部のキャプテンを務め、母親も試合の応援へよく足を運んでいたことが明かされました。
手紙には、幼稚園や小学校でのおしゃべりな姿から、友人に恵まれて学校生活を楽しむようになった中高時代まで、母親だからこそ知る成長の様子がつづられていました。
『90メートル』のオーディションでも実際の母親へ電話をかけるという課題があり、中川駿監督は、その会話から二人の関係性を感じ取ったと語っています。
子役時代の台本練習から学生時代の部活動まで、母親は仕事だけではない日常のそばにもいました。
6歳上の双子の姉|スカウトのきっかけになった姉たち
山時さんには、6歳年上の双子の姉がいます。
芸能活動が始まった原宿でのスカウトも姉たちがきっかけで、本人は後年まで「姉のおまけ」と笑いながら振り返っています。
2021年のシネマトゥデイのインタビューでは、姉たちと話したり一緒に買い物へ行ったりすることもあると明かしていました。
けんかをしても長く引きずることはなく、寝ればいつの間にか終わっているような関係だったそうです。
子どものころには、料理中の親にチーズをたくさんかけてもらおうとして、姉から「かけすぎ」と怒られたという小さな思い出もあります。
6歳という年齢差がありながら、一緒に買い物へ出かけるような関係が続いてきました。
山時聡真の学歴・学生時代|福岡の小学生から大学進学まで
山時聡真さんは5歳から芸能活動をしていましたが、学校生活や部活動も続けてきました。
本人が語っているのは、福岡で過ごした小学生時代、中学・高校のバスケットボール部、そして高校卒業後の大学進学です。
福岡で過ごした小学生時代|学校名は断定しない
東京都出身の山時さんは、小学生のころには福岡で暮らしていました。
本人は2024年のラジオで、小学校6年生から中学1年生へ移るころに福岡から東京へ引っ越したと話しています。
福岡で暮らした理由や、通っていた小学校の具体的な学校名については、本人から詳しく語られていません。
小学校や中学校についてはネット上で複数の学校名が挙げられていますが、本人の言葉から確認できるのは福岡で小学生時代を過ごしたことまでです。
このころは学校へ通いながらCMなどの芸能活動を続け、サッカーや空手にも取り組んでいました。
中学・高校ではバスケ部|俳優業と学校生活を両立
東京へ戻った後の中学・高校では、バスケットボール部に所属していました。
高校時代にはバスケ部のキャプテンを務めていたことを本人自身が複数のインタビューで明かしています。
俳優の仕事があるため、部活動の練習や試合へ参加できないこともありました。
2026年に映画『90メートル』について語った際には、仕事とバスケの両立が難しく、チームメイトに対して申し訳なさや悔しさを感じたこともあったと振り返っています。
それでも部活動を続け、キャプテンも経験しました。
『90メートル』ではバスケ部に所属する高校生を演じたため、自分自身が仕事で練習や試合へ行けなかった経験を役に重ねる場面もあったといいます。
母親からの手紙でも、中学・高校では友人に恵まれて学校生活を楽しみ、バスケ部のキャプテンとして試合に出ていたことが語られています。
2024年に大学へ進学|芸能界以外の価値観に触れるため
高校卒業後は芸能活動だけに絞るのではなく、大学進学を選びました。
2024年春に大学へ進学したことは本人のインタビューで確認できますが、大学名そのものは明かされていません。
進学を選んだ理由は、学歴を得ることだけではありませんでした。
いろんな価値観に触れられるんじゃないかと思って進学を選びました。
出典:non-no web「山時聡真とこたつカフェでまったりおやつデート」
俳優として仕事を続けていれば、出会う人も自然と同じ業界の人が多くなります。
そこで大学へ通い、芸能界とは違う場所にいる同世代とのつながりを広げようと考えました。
大学1年生の時期には、のちに実写映画初主演作となる『蔵のある街』の撮影にも参加しています。
高校生役を演じる際には、少し前まで自分自身が高校生だった感覚も役づくりに生かしたと話していました。
子役から俳優へ|『ゆずの葉ゆれて』とトップコート所属が転機に
5歳から芸能活動をしていた山時聡真さんですが、最初から俳優を仕事にすると決めていたわけではありません。
子どもの「習い事」だった活動が変わっていく間には、初めての映画撮影と、トップコートへの所属という二つの出来事がありました。
小学4年ごろに初映画|鹿児島ロケで芝居の現場へ
初めて本格的に映画の撮影へ参加したのは、小学4年生のころでした。
作品は、松原智恵子さんや津川雅彦さんらが出演した映画『ゆずの葉ゆれて』です。
オール鹿児島ロケで撮影され、山時さんは風間武役を演じ、2016年8月20日に作品が公開されました。
それまでのCMやキッズモデルとは違い、大量のセリフと鹿児島弁を覚え、母親と毎日台本へ向き合う日々を経験します。
大先輩の俳優たちと同じ現場に入り、覚えることの多さに子どもながら仕事の厳しさも感じました。
一方で、撮影をやり切った達成感やスタッフと過ごした時間も強く残り、その後も撮影現場へ行くことを楽しむようになったと話しています。
『ゆずの葉ゆれて』は、芸能活動を始めた作品ではなく、山時さんが俳優として映画の現場を経験した最初の作品です。
福岡から東京へ|一度は芸能活動をやめようと考えた
初映画を経験したあとも、すぐに俳優一本へ進んだわけではありません。
福岡から東京へ戻るタイミングでは、それまでの芸能活動に区切りをつけ、やめることも考えていたと本人は話しています。
まだ本人の中では、仕事よりも「習い事」という感覚が残っていたからです。
東京へ戻ったあと、状況を変えたのがトップコートのオーディションでした。
幼いころから見ていた『仮面ライダーW』で主演を務めた菅田将暉さんが所属していることも、山時さんにとって印象の大きな事務所でした。
トップコート所属で「習い事」から「仕事」へ
2018年、中学1年生のときにトップコートへ所属し、俳優として仕事を続ける意識がはっきりしていきました。
受かった時は跳び上がって、迷いが消えました。
出典:日刊スポーツ「山時聡真、若手実力派は20歳の大学生」(2026年3月22日)
所属が決まった際には、自分の情報が事務所のコンテンツへ初めて掲載されたことを家族も一緒に喜んだそうです。
仕事の量や内容が変わる中で、できないことを見つけることも、できることが増えていくことも面白いと感じるようになりました。
その後は『約束のネバーランド』や『CUBE 一度入ったら、最後』、『ラーゲリより愛を込めて』などの映画にも出演し、10代のうちにさまざまな撮影現場を経験しています。
芸能活動開始と俳優デビューは別です。5歳でCM・キッズモデルなどを始め、小学4年ごろに『ゆずの葉ゆれて』を撮影し、2018年のトップコート所属を経て俳優を仕事として強く意識するようになりました。
俳優としての転機|『君たちはどう生きるか』から映画主演・TAMA映画賞へ
トップコート所属後は映画やドラマへの出演を重ね、その中で大きな節目となったのが2023年です。
宮﨑駿監督の映画『君たちはどう生きるか』で主人公の声を担当したのと同じ年、テレビドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』にも出演しました。
宮﨑駿監督作の主人公・眞人役にオーディションで抜擢
『君たちはどう生きるか』では、主人公・眞人役をオーディションでつかみました。
声優のオーディションを受けるのは初めてで、スタジオジブリを訪れ、指定された時間に合わせて映像へ声を当てる審査を受けています。
オーディションは30〜40分ほどで、山時さん自身も一度の審査だけで決まるとは思っていませんでした。
主人公・眞人役に決まりましたが、公開前は作品の情報がほとんど伏せられており、山時さんの出演も公開初日まで明かされませんでした。
うれしさより驚きの方があって…、一気に不安になりました(笑)。
出典:日本テレビ「金曜ロードシネマクラブ」山時聡真インタビュー(2025年5月2日)
合格を伝えられたときは家族も喜ぶより先に驚き、「大丈夫?」と心配したほどだったそうです。
アフレコでは宮﨑監督から細かな指示を重ねられたわけではなく、自由に演じてよいという言葉を受けたことで緊張が和らいだとも振り返っています。
子どものころに姉のおまけとして始まった芸能活動から、宮﨑監督作品の主人公を任されるまでには十数年がたっていました。
『最高の教師』『虎に翼』へ広がった俳優キャリア
2023年には、日本テレビ系『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』で瓜生陽介役を演じました。
翌2024年にはNHK連続テレビ小説『虎に翼』へ元木俊雄役で出演しています。
この時期には、声の芝居だけでなく、連続ドラマや朝ドラへと仕事の場も広がっていきました。
一方で、高校卒業後の2024年には大学進学も選び、俳優業とは別の場所で同世代と過ごす時間も持つようになっています。
仕事だけに生活を寄せるのではなく、普通の学生として友人と過ごす感覚も持ち続けてきました。
映画初主演から『90メートル』、最優秀新進男優賞へ
2025年公開の『蔵のある街』では中島瑠菜さんとダブル主演を務め、山時さんにとって実写映画初主演作となりました。
オーディションで主人公・難波蒼役に選ばれた際には、初めて主演として作品を背負うことへの責任も感じたといいます。
5歳から芸能活動を見守ってきた家族も、実写映画初主演の決定を特に喜んでくれたそうです。
さらに2026年公開の『90メートル』では、菅野美穂さんとダブル主演を務め、難病の母と暮らす高校生・藤村佑を演じました。
藤村佑はバスケットボールと家庭の事情の間で揺れる高校生で、山時さん自身にも仕事とバスケ部を両立していた経験がありました。
役と本人の境遇が同じというわけではありませんが、部活動へ行けない悔しさやチームメイトへの思いには、自分自身の学生時代を重ねる部分があったと話しています。
そして2026年10月、『90メートル』『ブルーロック』を対象に、第18回TAMA映画賞の最優秀新進男優賞を受賞しました。
TAMA映画賞では『90メートル』について、難病の母を思う少年の揺れを真っすぐに演じたことに加え、母への尊敬や自分の胸の内を語る姿も評価されました。
5歳では「習い事」だった芸能活動は、初映画、トップコート所属、ジブリ作品の主人公、実写映画初主演を経て、俳優としての受賞へと進んでいます。
その間にも、家族と箱根駅伝を見たり、学校でバスケットボールを続けたり、大学へ進んだりと、仕事以外の時間も途切れずにありました。
















