PROFILE
人物プロフィール
林芽亜里さんは、2005年11月5日に石川県で生まれ、小学生のころからファッションモデルとして活動してきました。
小学4年生で自ら『ニコ☆プチ』のオーディションに応募したことが、芸能界での最初の大きな一歩でした。
その後は『ニコ☆プチ』『nicola』を経て『non-no』の専属モデルとなり、高校時代には石川県から東京へ生活拠点を移しています。
ただ、最初から女優を目指していたわけではありません。
むしろ演技には苦手意識があり、事務所から勧められても断っていた時期がありました。
そこから演技レッスンやオーディションを重ね、2024年のドラマ『先生さようなら』で初めて映像作品の演技に挑戦しています。
家族と過ごした石川県での子ども時代、学校生活とモデル活動の両立、高校進学後の上京、そしてモデルから女優へ進むまでを、本人が振り返った言葉とともに順番にたどります。
林芽亜里の家族|父・母・姉と過ごした石川県の子ども時代
林芽亜里さんの出身地は石川県です。
幼いころの写真や本人の回想からは、両親と姉に囲まれ、家族との距離が近い子ども時代だったことが伝わってきます。
毎冬は父・姉と雪だるま、家族の前では「おちゃらけキャラ」
石川県で過ごした子ども時代には、冬になると自宅のテラスで父親と姉と一緒に雪だるまを作るのが恒例でした。
姉のことが大好きで、幼いころには同じ髪型にしてもらい、成長してからも服を貸し借りする関係だと本人が明かしています。
家族の前では、写真に写るときにもふざけることが多かったようです。
小さいころの私はおちゃらけキャラで、みんなを笑わせたいタイプのコだったらしいです。
出典:non-no web「【林芽亜里大解剖・パーソナル編】芽亜里が“可愛くてごめん”vol.3」(2023年7月17日)
姉の誕生日に撮られた昔の動画には、自分もケーキのろうそくを吹きたいと小さな声で話す姿が残っていたそうです。
家族の中では「めっちん」と呼ばれていた時期もあり、姉と同じことをしたがる妹らしい一面もありました。
幼いころは、ブランコを勢いよくこいだり、ジャングルジムのてっぺんに立ったりする活発な子どもでもありました。
小学校は6年間同じクラス、友達に囲まれて過ごした日々
小学校では、6年間クラスのメンバーが変わらなかったと振り返っています。
友達とは鬼ごっこやおはじきをして遊び、芸能活動を始める前から、ごく普通の学校生活を送っていました。
小学4年生からモデルの仕事が始まったあとも、生活の中心に学校がありました。
やがて石川と東京を行き来するようになりますが、学生生活をやめて芸能活動だけに絞ったわけではありません。
学校へ通いながら撮影へ向かう生活は、中学生になっても続いていきます。
芸能活動が始まったあとも、友達と遊ぶことや学校へ通う日常が消えたわけではなく、その日常と東京での仕事を行き来する10代が始まりました。
小学4年生でニコ☆プチへ|歌への興味から始まったモデルへの道
林芽亜里さんが芸能の世界に興味を持ったきっかけは、最初からモデルではありませんでした。
小学3年生のころは歌をやりたいと思い、地元・金沢の芸能人育成スクールのような場所へ通い始めています。
小学3年生で地元の育成スクールへ、モデルレッスンに夢中に
そこで受けたのが、ウォーキングなどを含むモデルのレッスンでした。
レッスンを重ねるうち、歌よりもモデルのほうに楽しさを感じるようになっていきます。
最初は歌をやりたかったんです。
出典:週プレNEWS「絶大な人気のカリスマモデル・林芽亜里に教えられた『ティーンモデルの超多忙な日々』」(2019年3月4日)
当時はファッション誌を熱心に読む子どもではなく、服も母親に選んでもらうことが多かったそうです。
ところが『ニコ☆プチ』を見たことで、モデルや洋服の世界に惹かれていきました。
「自分もニコ☆プチモデルになりたい」という気持ちが生まれたのは、小学4年生のころです。
10歳で自ら応募、家族旅行を兼ねた最終審査でグランプリ
オーディションの記事を見つけると、母親に応募したいと伝え、自分で履歴書を書いて送付しました。
最終審査で東京へ行くときには、父親や姉を含む家族みんなが同行しています。
本人にとっては、オーディションだけでなく家族旅行も兼ねたような東京行きだったそうです。
2015年の第4回ニコ☆プチモデルオーディションでグランプリを受賞し、翌2016年から『ニコ☆プチ』専属モデルとして活動を始めました。
芸能活動の出発点は10歳で自ら応募した『ニコ☆プチ』であり、女優としてのデビューはずっと後です。
ニコ☆プチは私のはじまりなので、成長した自分として帰ってくることができて幸せです!
出典:ニコ☆プチ「【ドラマ『先生さようなら』出演中♡】元ニコ☆プチモデル・林芽亜里ちゃんがカムバック☆」(2024年1月21日)
後年になって「私のはじまり」と表現していることからも、小学生でのオーディションが本人にとって特別な出来事だったことが分かります。
母と石川―東京を往復、中学生になると一人で新幹線へ
モデルになっても、生活拠点はすぐ東京へ移したわけではありません。
『ニコ☆プチ』時代は石川県から撮影のたびに東京へ通い、学校がある金曜日を終えてから移動し、土日に仕事をすることもありました。
小学生のころは母親が付き添っていましたが、中学生になるころには一人で新幹線に乗って上京することが増えていきます。
2019年のインタビューでは、13歳ですでに金沢から東京への移動に慣れ、新幹線では勉強道具を持ち込んだり、眠ったりしながら過ごしていたと話しています。
地方イベントで東北へ行った翌日に九州へ移動するなど、飛行機や船も使う忙しい時期がありました。
移動が多い一方で、本人は2019年のインタビューで、仕事そのものを「大変だからやめたい」と考えたことはなかったと振り返っています。
撮影やイベントで各地へ行けることも楽しみの一つで、忙しさとモデルの仕事への楽しさが同時にあった時期でした。
中学生のころには移動そのものも仕事の一部になっていましたが、学校の授業は友達に内容を教えてもらいながら追いついていました。
林芽亜里の学生時代|中学・高校と大学進学をめぐる情報
モデル活動が忙しくなっても、林芽亜里さんの10代には学校で過ごす時間がありました。
本人のインタビューからは、石川県での中学校生活と、上京後に東京で過ごした高校3年間を確認できます。
中学では英語クラブ、仕事と学校を友人に支えられながら両立
2019年に『ニコ☆プチ』を卒業すると、『nicola』専属モデルとなり、中学生向け雑誌へ活動の場を移しました。
石川県で学校生活を続けながら、東京では同世代のモデルたちと撮影に参加する日々が続きます。
仕事で授業を休んだときには、友達に電話して授業内容を教えてもらうこともあったそうです。
毎日活動する部活への参加は難しかったため、月曜日だけ活動する英語クラブを選んでいました。
クラブでは英語の映画を見て発音を学び、文化祭では英語劇『シンデレラ』にも出演しています。
担当したのはシンデレラの姉役で、このころはまだ女優を目指していたわけではありません。
中学2年生だった2019年には、ニコラ公式YouTube「ニコラTV」が撮影現場へ密着しています。
学校に通いながらモデルの仕事を続けていた時期の姿を、当時の映像で確認できる資料です。
高校1年生で上京、東京で3年間を過ごし2024年春に卒業
大きく生活が変わったのは、高校1年生で石川県から東京へ上京したときでした。
『nicola』の撮影が大好きだった一方、コロナ禍では県をまたぐ移動が難しくなり、東京の撮影に参加できない時期がありました。
撮影へ行けない状況が続くなか、本人は大好きだった『nicola』の仕事を続けたいと考え、家族とも相談しました。
その結果、東京へ生活拠点を移すことを決めています。
小学生から何度も新幹線で通っていた東京が、高校進学を機に「仕事へ行く場所」から「暮らす場所」へ変わりました。
高校は東京の学校へ通い、3年間を過ごしたことを本人が卒業後のインタビューで明かしています。
高校2年生のときに転校してきた友達と親しくなり、それまで静かに過ごしていた学校生活にも変化が生まれました。
高校3年生の体育祭では、その友達と名前入りのネームボードを作り、写真やプリクラを撮るなど、本人が憧れていた「高校生らしい」時間も楽しみました。
特別な行事だけではなく、毎朝制服を着て学校へ行く日常そのものを、卒業が近づいてから大切に感じるようになったそうです。
日常的にやっていることだけど、これが本当にいちばん身近な青春なのかもしれないって思いました。
出典:週プレNEWS「女優デビューも果たした人気モデル・林芽亜里『朝起きて、制服を着て、学校に行く準備をする。それが一番の青春なのかもって』【制服と、私と。】」(2024年4月13日)
2024年春に高校を卒業し、小学生から続いていた「学校とモデル活動を両立する生活」はここで一区切りを迎えました。
大学進学は公表されている?検索される学校名と確認できる事実
林芽亜里さんについては、「大学」「学習院大学」などの言葉でも検索されています。
ただし、少なくとも本人・所属事務所の公開情報や主要な本人インタビューでは、大学名や進学先を確認できる一次情報は見当たりません。
高校卒業後に大学へ進学したかどうかについても、検索されている学校名だけを根拠に断定することはできません。
中学校についても「北陸学院中学校」という関連検索がありますが、本人が語っているのは「地元の石川の中学校」までで、学校名を裏付ける一次情報は確認できません。
高校については、石川県から上京して東京の学校へ3年間通ったことまでは本人の発言で確認できます。
確認できる学生時代の流れ
中学時代は石川県で生活 → 高校1年生で上京 → 東京の高校で3年間を過ごす → 2024年春に高校卒業。具体的な中学・高校名や大学進学先は、一次情報で確認できる範囲を超えて断定しません。
上京は学校生活を変えただけではありません。
それまで避けていた演技へ向き合うきっかけにもなりました。
モデルから女優へ|演技を避けていた林芽亜里が『先生さようなら』に出るまで
林芽亜里さんの場合、芸能界に入った時期と女優として演技を始めた時期は同じではありません。
モデル活動は小学生から続いていますが、映像作品で初めて演技をしたのは2024年です。
ニコラ卒業後もモデルを続けたいと自らnon-noへ
2019年に『ニコ☆プチ』を卒業すると、『nicola』専属モデルとして活動を始めました。
そして2022年、3年間活動した『nicola』の専属モデルを卒業しました。
卒業時には、本人の公式Xにも当時の言葉が残っています。
卒業したあとも、本人の中にはモデルを続けたいという気持ちがありました。
以前から知っていた『non-no』の顔見せへ行き、2022年11月に新たな専属モデルとして発表されています。
『nicola』では複数のモデルが集まるにぎやかな撮影が多かったのに対し、『non-no』では一人や少人数で撮影する機会も増え、本人は仕事への責任の感じ方も変わったと話しています。
小学生向けの『ニコ☆プチ』、中学生向けの『nicola』、その先の『non-no』へと、年齢とともにモデルとして活動する雑誌も変わっていきました。
一方で、東京へ移ったことで、それまで自分から遠ざけていた仕事にも目を向け始めます。
上京後に演技レッスン、落選したオーディションが転機に
石川県にいたころから、事務所に演技を勧められることはありました。
しかし本人はモデルの仕事が好きで、演技には挑戦したことがないまま苦手意識を持っていました。
“私はモデルをやっていくので”とかたくなに断っていたんです。
出典:non-no web「【林芽亜里】祝・ハタチ! 05-06lineモデルの“成人式”インタビュー」(2026年1月12日)
考え方が変わったのは、高校進学後に石川県から東京へ移ったころでした。
せっかく東京へ来たのだから、できることに挑戦してみようと考え、事務所の演技レッスンを受け始めます。
すぐに仕事へ結びついたわけではなく、オーディションでは不合格が続きました。
そのなかで、あるオーディションの2次審査まで進んだ際、初めて役について深く考えるためのノートを作っています。
その役には選ばれませんでしたが、本人は後に、この経験を演技との向き合い方が変わった大きな分岐点として振り返りました。
合否だけを見ると仕事にはつながらなかったオーディションでしたが、役の背景を考え、自分なりに準備する方法を知ったことが、その後の演技に残りました。
「台本を覚えて行く」だけだったオーディションから、「役を考える」作業へ踏み込んだことが、女優になる前の重要な変化でした。
CMがきっかけで『先生さようなら』へ、2024年に女優デビュー
初めてのドラマ出演は、オーディションで勝ち取った仕事ではありませんでした。
それ以前に出演していたCMを見た制作側から声がかかり、2024年1月期の日本テレビ系ドラマ『先生さようなら』で城嶋弥生役を演じることになります。
主演の渡辺翔太さんが演じる教師・田邑拓郎に思いを寄せる高校生という役で、林さんにとってはドラマ初出演であり、映像作品での初演技でした。
出演が決まったとき、近くにいた母親へ最初に伝え、石川県にいた父親にはビデオ通話で報告したそうです。
いつも支えてもらっている家族にちょっとだけ恩返しができた気がして、うれしかったです
出典:non-no web「【林芽亜里】Snow Man渡辺翔太主演!ドラマ『先生さようなら』でヒロインを演じるnon-noモデルにインタビュー♡」(2024年1月22日)
小学生のころから東京への撮影に付き添ってくれた家族へ、初めてのドラマ出演を知らせる場面でもありました。
撮影が始まると、長く続けてきたモデルとは違う難しさにも直面しています。
写真の一瞬で表情を見せるモデルの仕事とは違い、ドラマでは役として会話し、感情の変化を連続した時間の中で表す必要がありました。
自分では感情を出しているつもりでも、画面を通すと十分に伝わらず、何度もテイクを重ねる場面もありました。
帰宅してから悔しさで泣くこともあったと後のインタビューで明かしています。
それでも現場で演技を続け、クランクアップ後には、自宅で花束を生けながら「弥生として走り切った」という実感がこみ上げたそうです。
モデルとして始まった芸能活動から約8年を経て、2024年に俳優としてのキャリアが始まりました。
同年のドラマ初主演から2026年の映画初出演へ
『先生さようなら』で初めて演技の現場を経験した2024年には、もう一つ大きな出来事がありました。
MBS系ドラマ『初めましてこんにちは、離婚してください』で犬飼貴丈さんとダブル主演を務め、ドラマ初主演となっています。
初めて演技をした年に主演まで経験する一方、本人は撮影日の終わりに反省点をメモするなど、前の現場で学んだことを次へ持ち込んでいました。
そして2026年5月15日に公開された映画『Erica -エリカ-』では、溝川エリカ役を担当しました。
所属事務所は同作を映画初出演作品としており、公式サイトでも、小学生からモデルとして活動し、2024年に『先生さようなら』で俳優デビューした経歴が紹介されています。
10歳で自分からモデルオーディションへ応募した少女が、演技を避けていた時期を経て、ドラマと映画の現場へ進んだというのが林芽亜里さんの芸能活動の流れです。
『ニコ☆プチ』から始まったモデルの道と、上京後に踏み出した演技の道は、別々の時期に始まりながら、20歳を迎えるまでのキャリアの中で並んで続く二つの軸になりました。
















