加賀美早紀の生い立ち|16歳の主演デビューから『仮面ライダーキバ』、引退と復帰まで

加賀美早紀の生い立ち、16歳の主演デビュー、『仮面ライダーキバ』出演、引退と復帰を伝える人物ビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
かがみさき
カテゴリー
女優
出身地
千葉県
生年月日
1985年2月26日
芸能活動開始
2001年
女優デビュー
2001年
デビューのきっかけ
オーディション

映画『プラトニック・セックス』や『仮面ライダーキバ』で知られる加賀美早紀さんは、1985年2月26日生まれ、千葉県出身の女優・モデルです。

芸能界での始まりはかなり鮮烈で、高校生だった2001年に、約1万2,000人が応募した主演女優オーディションを勝ち抜き、映画初出演で主演を務めました。

ただ、その前の生活は華やかな芸能界とはかなり離れていて、本人は後年、家族そろって食事をすることがなかったことや、高校の奨学金を自分で返済していたことを明かしています。

主演デビュー後は女優としてドラマや映画に出演しましたが、2011年にはいったん芸能界から離れ、接客業などを経験したあとにモデルとして戻り、さらに演技の仕事へと帰ってきました。

今回は、そんな加賀美早紀さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、女優デビュー、引退と復帰までをご紹介します。

加賀美早紀の生い立ち|千葉県出身、16歳までの学生時代

加賀美早紀さんは千葉県で生まれ育ち、高校在学中に映画の主演オーディションへ参加しました。

学校名を前面に出せる確かな本人資料は限られていますが、学生時代の暮らしぶりについては、本人自身が2016年のインタビューでかなり具体的に振り返っています。

幼少期から高校時代まで|どんな学生だった?

子どものころから、周囲と同じような生活を送っていたわけではなかったようです。

本人は、小学生のころから家庭で一人で過ごす時間が多く、空腹になれば自分で料理をしていたと話しています。

高校生になると、300万円の奨学金を自分で返済しなければならなかったとも語っており、放課後に友人から遊びへ誘われても気軽に参加できる状況ではありませんでした。

もともと大勢で群れることが好きではなかったこともあり、学校生活では一人でいることが多かったそうです。

『プラトニック・セックス』公開後は周囲から遠巻きに見られ、先輩から上履きを捨てられるなどの嫌がらせも受けたと振り返っています。

それでも芸能活動と並行し、日焼けサロンやバーテンダーのアルバイトをして奨学金の返済にあてていました。

16歳で映画の主役になったという経歴だけを見ると一気に世界が変わったように見えますが、その時期も学校と仕事、アルバイトが重なった生活でした。

幼少期の家族との暮らしについては、次の章で本人の発言をもとにもう少し詳しく見ていきます。

16歳で訪れた『プラトニック・セックス』オーディション

加賀美さんが女優になる入口となったのが、飯島愛さんの自伝を原作にした映画『プラトニック・セックス』の主演女優オーディションでした。

2016年のインタビューでは、オーディションを受けたころを15歳と振り返っています。

一方、2001年9月の完成記者会見では16歳の現役女子高校生として紹介されており、映画公開時には16歳になっていました。

本人によると、オーディション会場でも愛想よく振る舞うタイプではなく、特別に熱のこもった志望動機を語ったわけでもありませんでした。

興味あるんで

出典:アサ芸プラス「追っかけ総直撃!選ばれし“永遠のマドンナ”に会いたい!(7)『加賀美早紀』」(2016年5月9日)

監督から「なぜここに来たのか」と聞かれた時の返事は、この短い一言だったといいます。

加賀美さんはオーディション以前から原作を読んでいて、自分の境遇と重なるところを感じていたとも話しています。

そして応募者1万2,000人あまりの中から、映画版の主人公・門倉あおい役に選ばれました。

加賀美早紀の家族|父親・母親・兄弟姉妹について

加賀美さんは、家族について多くを語ってきたタイプではありませんが、子どものころの家庭の様子は2016年のインタビューで明かしています。

そこで本人が話したのは、父親がいなかったことと、家族そろって食事をした記憶がなかったという生活でした。

父親はいないし、家族でご飯を食べたこともない

出典:アサ芸プラス「追っかけ総直撃!選ばれし“永遠のマドンナ”に会いたい!(7)『加賀美早紀』」(2016年5月9日)

「行ってきます」や「ただいま」も一人だったと振り返り、食事も自分で用意することが多かったそうです。

ただし、父親が不在だった理由までは本人のこの発言からは分からず、離婚・死別などを断定できる材料はありません。

母親や兄弟姉妹についても、家族構成や職業、具体的な人物像を確定できる本人発言は限られています。

分かっているのは、少なくとも小学生のころから自分で身の回りのことをする時間が多く、高校では奨学金返済も自分で担っていたということです。

原作『プラトニック・セックス』を読んだ時に「自分にハマるところがあった」と感じた背景には、本人がこうした子ども時代を重ねていたこともありました。

父親が不在だった事情や、母親・兄弟姉妹については、確認できている本人の言葉以上に家族像を広げて断定しない方が自然です。

加賀美早紀が女優になったきっかけ|約1万2,000人から主演デビュー

加賀美さんの場合、芸能界へ入ったことと女優として演技を始めたことの間に、長い下積み期間はありませんでした。

所属事務所の経歴でも『プラトニック・セックス』は「主演デビュー」とされ、2001年の完成会見でも映画初出演にして主演と紹介されています。

映画初出演で『プラトニック・セックス』主演へ

主人公に決まった加賀美さんは、演技経験のない状態で、飯島愛さんの半生を下敷きにした難しい役へ向き合うことになりました。

原作者の飯島さんと初めて会った時には、外から受けていた印象とは違い、とても謙虚で優しい人だったと後年に振り返っています。

飯島さんからは、自分の好きなように演じていいという趣旨の言葉をかけてもらったそうです。

撮影には未成年には重い題材や場面も含まれていましたが、加賀美さん自身は現場でひるむことが少なく、周囲から「肝が据わっている」と言われていたと話しています。

2001年9月25日の完成記者会見では、撮影を終えた16歳の加賀美さんが、作品を通して感じたことをこう話しました。

人の温かさに触れて、信じることはすばらしいと思った

出典:MOVIE Watch「映画『プラトニック・セックス』完成記者会見」(2001年9月27日)

同年10月20日の公開初日には、自分自身が主人公のあおいと一緒に生きたように感じたことも語っています。

共演したオダギリジョーさんも完成会見で、加賀美さんの感性や存在感について言葉を残していました。

長い訓練期間を経て少しずつ役を得たのではなく、高校生活の途中でいきなり大規模な映画の主演として撮影現場へ入ったのが、加賀美さんの女優人生の始まりでした。

16歳のデビュー作で日本アカデミー賞新人俳優賞

『プラトニック・セックス』での主演は、そのまま第25回日本アカデミー賞新人俳優賞へつながりました。

授賞式は2002年3月8日に行われ、日本アカデミー賞の公式記録にも加賀美早紀さんと同作の名前が残っています。

公式の受賞者紹介でも、約1万2,000人の応募者から主演女優に選ばれ、この作品が映画初出演だったことが記されています。

映画の主演オーディションに参加するまで、長年俳優を目指して養成所で訓練していたという経歴ではありません。

高校生活の途中でオーディションを受け、初めての映画で主役を演じ、その作品で新人賞を受けるという始まりでした。

その後はテレビドラマにも活動の場を広げ、2002年の『東京庭付き一戸建て』『天才柳沢教授の生活』を経て、2003年には『動物のお医者さん』で嶋田小夜役を演じています。

同じ2003年には日本テレビ系『共犯者』にも北岡希役で出演し、主演一本で終わるのではなく、テレビドラマで経験を重ねていきました。

ここでは出演作を並べるより、加賀美さんの名前を長く覚えている人が多い二つの特撮作品へ進みます。

『ULTRASEVEN X』『仮面ライダーキバ』へつながった女優活動

2007年には『ULTRASEVEN X』でヒロイン・エレア役を演じました。

エレアは、記憶を失った主人公ジンに赤い眼鏡型のアイテムを渡し、この世界を救うよう求めるところから物語に関わる人物です。

所属事務所の出演歴でもヒロイン役として掲載され、後年刊行された『ULTRASEVEN X 15年目の証言録』にもキャストインタビューで参加しています。

翌2008年には『仮面ライダーキバ』へ出演し、過去編で重要な位置を占めるチェックメイトフォーのクイーン・真夜役を演じました。

東映の「仮面ライダー図鑑」では、真夜は第20話「夜想曲・愛の救世主」から登場する人物として記録され、加賀美さんが演じたことも確認できます。

真夜は紅渡と登太牙の母であり、紅音也との関係が物語の大きな軸になる役です。

加賀美さんは同作の企画から生まれた「Masked Rider Kiva Re-Union」にも参加し、「Queen MAYA」名義の楽曲も残しました。

映画で突然主演デビューした高校生は、テレビドラマを重ね、特撮シリーズの重要人物を演じるところまで仕事の幅を広げていきました。

加賀美早紀の引退と復帰|モデル活動から再び演技の世界へ

女優として約10年活動したあと、加賀美さんは2011年にいったん芸能界を離れます。

その後はすぐに女優へ戻ったわけではなく、接客の仕事やモデル活動を経て、何年もかけて再び芝居へ向かいました。

2011年に芸能界を離れた経緯

2011年6月、加賀美さんは体調不良を理由に長期休業へ入りました。

翌7月31日、自身のブログで同月末をもって芸能界から引退すると発表しています。

ブログでは、命を題材にしたドラマに関わった時期に、台本を読んでもせりふが頭に入らなくなったことや、心の傷が積み重なっていたことを明かしました。

2016年のインタビューでは、共演者からNGが続くことを指摘された瞬間に心が折れ、「もう引退だ」と思ったとも振り返っています。

こっそり普通の女性に戻ります。

出典:スポニチアネックス「加賀美早紀が芸能界引退『こっそり普通の女性に戻ります』」(2011年7月31日)

デビューから約10年で、女優としての活動はいったんここで途切れました。

引退の理由を単に「仕事が嫌になった」と置き換えると本人の説明とはずれます。

本人が語っているのは、せりふを覚えられない状態や心の負担が重なった末に、仕事から離れる決断をしたという経緯です。

2013年『姉ageha』専属モデルとして復帰

芸能界を離れたあとは、バーテンダーや渋谷109の販売員として働いていました。

そこで『姉ageha』の当時の編集長から専属モデルになるよう何度も声をかけられ、最初は断っていたものの、最終的に依頼を受けたと本人が話しています。

こうして2013年に『姉ageha』専属モデルとして芸能活動を再開し、所属事務所の経歴では2019年まで専属モデルを務めたことが記録されています。

2016年にはアパレルブランド「cenerentola」を立ち上げていたことも明かしており、女優時代とは違う分野へ仕事を広げていました。

一方で、ドラマや邦画を見ることを避けていた時期にも、芝居が好きだという気持ちは残っていたと話しています。

この時点では、モデルとして戻ったことと、女優として再び演じることはまだ同じ出来事ではありません。

そこから実際に舞台へ立つまでには、さらに数年かかりました。

香乃さき名義の舞台から2023年『相棒22』出演へ

2017年3月、加賀美さんは「香乃さき」名義で舞台『Battle Butler』に出演しました。

この舞台が決まった数日後には子宮頸がんが見つかり、千秋楽後のブログでステージIIIだったことを公表しています。

それでも本人は、体を優先するべき状況にあることを理解しながらも、芝居をやりたい気持ちが強く、舞台を降板したくなかったとつづっていました。

引退から約6年を経て、実際に舞台で芝居をするところまで戻った時期でした。

さらに2023年11月22日、本人は公式YouTubeで、作品を再び「演者側から」届けていきたいという意思を示しました。

その1週間後の11月29日には、テレビ朝日系『相棒 season22』第7話「青春の光と影」に出演しました。

演じたのは、ロックバンドのボーカル・矢崎浩輔の別居中の妻で、元アイドルの矢崎優実です。

所属事務所の出演歴にも2023年の『相棒22』第7話が掲載されており、テレビドラマでの演技活動へ戻った事実がはっきり残っています。

2026年に血液の病気による入院と活動休止を発表

2026年10月5日、加賀美さんは自身のYouTubeで、血液の病気により緊急入院することを発表しました。

その報告の中で、以前に白血病で余命3カ月もたないと宣告されたことがあり、その後は寛解していたことも明かしています。

ただし、2026年に緊急入院する原因となった病気については「血液の病気」とだけ説明しています。

過去の白血病と同じ病気なのか、再発なのかという点は本人の発表では明らかにされていません。

2017年に公表した子宮頸がん、2026年に明かした過去の白血病、2026年10月の「血液の病気」は、それぞれ別の情報です。2026年の病気について、本人は「白血病の再発」とは発表していません。

お仕事は当分の間お休みさせていただきます

出典:ORICON NEWS「加賀美早紀、活動休止を発表 血液の病気のため」(2026年10月6日)

この発表によって、2026年10月5日に活動休止を明らかにしたことが、加賀美さんの経歴に新たに加わりました。

病名を推測したり復帰時期を先回りしたりせず、本人が公表した事実としては、緊急入院と当面の仕事休止までが示されています。