PROFILE
人物プロフィール
AKB48のメンバーとして人気を集め、卒業後は連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』のヒロインを務めるまでになった川栄李奈さん。
1995年2月12日、神奈川県に生まれた川栄さんは、もともと人前に立つことが得意な子どもではありませんでした。
芸能界に入ったきっかけも、自分からアイドルを目指したことではなく、高校時代に友人からAKB48のオーディションへ誘われたことでした。
歌もダンスも苦手だった少女は、グループで活動するうちに演技の楽しさを知り、2015年に女優への道を選びます。
そこから初舞台での主演、朝ドラへの出演を経て、何度も挑戦したヒロインの座をつかみました。
今回は、そんな川栄李奈さんの生い立ちや家族、学生時代、女優になるまでの歩みをご紹介します。
川栄李奈の生い立ち|神奈川県で育った子ども時代
川栄李奈さんは1995年2月12日生まれ、神奈川県出身です。
テレビでは明るく親しみやすい姿が印象的ですが、子どものころから大勢の前に立つことが好きだったわけではありません。
人見知りだった幼少期と子どものころの姿
川栄さんは2025年4月の『学生新聞』のインタビューで、芸能界に入る前の性格を振り返っています。
もともと引っ込み思案な性格で、人前に立つのは苦手な方でした。
出典:学生新聞オンライン「川栄李奈 決断を正解にするために、努力する気持ちが大切」(2025年4月15日)
小さいころから歌手や俳優になることを目標に、発表会やオーディションを重ねていたという経歴ではありません。
2010年にAKB48へ加入したときも、歌やダンスの経験はほとんどなく、それまでの日常とは大きく異なる環境に身を置くことになりました。
本人にとって、人前で歌い、踊り、自分を表現する仕事は、芸能界に入ってから学び始めたものだったのです。
一方、幼少期に好きだった遊びとしては、人形がありました。
2025年のインタビューでは、母親が人形やその洋服まで手作りしてくれたことを明かしています。
仕事を持つ両親のもとで育ち、身近な人が自分のために時間を使ってくれた思い出は、大人になってからも川栄さんの記憶に残っていました。
川栄李奈の家族|共働きの両親と姉との関係
川栄李奈さんの生い立ちを知るうえで、母親との思い出や、芸能界入りをめぐる姉とのやり取りは欠かせません。
本人の発言から確認できるのは、父親と母親が共働きだったこと、そして姉がいることです。
家族の詳しい職業や兄弟姉妹の全人数については、確かな裏付けがない情報を加えず、本人が語ってきた出来事をたどります。
母親が手作りしてくれた洋服や学校の持ち物
川栄さんは2025年10月、ドラマ『フェイクマミー』に関連したORICON NEWSのインタビューで、子ども時代の母親との思い出を語りました。
両親はどちらも仕事をしていましたが、母親は毎日の食事を用意するだけでなく、幼稚園や学校で必要なものも手作りしてくれたそうです。
私も両親が共働きでしたが、お母さんが毎日ご飯を作ってくれて、園や学校で必要なものは全部手作り。
出典:ORICON NEWS「『フェイクマミー』で問いかける家族の形」(2025年10月8日)
母親は、川栄さんが好きだった人形や人形の服も、夜遅くまで作ってくれたといいます。
子どものころは新しいものができあがるとうれしかったものの、その手間や大変さまで理解していたわけではありませんでした。
自分も母親になってから、当時の母親が仕事と家庭を両立しながら手作りを続けていたことの大きさに気づき、改めて感謝するようになったと話しています。
共働きで忙しいなか、食事や持ち物を用意してくれた母親の姿が、川栄さんの子ども時代の具体的な思い出として残っています。
オーディションを姉に打ち明け、両親に報告するまで
家族との関係がもう一つ見えるのが、AKB48のオーディションを受けたときの出来事です。
高校時代、友人と一緒に応募したオーディションについて、川栄さんは最初から両親に詳しく話していたわけではありませんでした。
2024年5月放送の『徹子の部屋』では、先に姉へ話していたことや、選考が進んでから両親に報告した経緯を振り返っています。
遊びに近い気持ちで応募したことが、次第に家族にも伝える必要のある大きな出来事になっていったのです。
友人と一緒に挑戦したものの、結果は川栄さんだけが合格。
それまで人前に立つことが苦手だった高校生が、両親にとっても予想外だったであろう芸能界への道を歩み始めることになりました。
川栄さんは卒業後の舞台稽古についても、母親がおもちゃの刀を買ってきてくれたエピソードを語っています。幼少期だけでなく、俳優の仕事を始めてからも母親との具体的なやり取りがありました。
川栄李奈の学生時代|中学のテニス部と高校生活
川栄李奈さんの学生時代には、のちのアイドル活動とは少し違う一面があります。
中学生のころは運動部で活動し、高校に入ってからは思いがけない形で芸能界へ進みました。
中学時代に取り組んだテニス
川栄さんが中学生のときに所属していたのは、テニス部です。
2016年9月のORICON NEWSのインタビューでは、AKB48卒業後に俳優の仕事へ専念することへの不安を話すなかで、中学時代の部活動に触れています。
中学時代から体育会系の部活(テニス部)で鍛えられたんで、根性もありますしね。
出典:ORICON NEWS「川栄李奈インタビュー AKB48卒業後は女優として活躍」(2016年9月20日)
日刊スポーツでも、中学時代のテニス部では上級生から厳しい指導を受けたと紹介されています。
川栄さんはそこで上下関係を意識するようになり、AKB48に入ってからも先輩メンバーの立ち居振る舞いをよく見ていたといいます。
学生時代に経験した部活動の上下関係と、芸能界に入ってから学んだ礼儀や挨拶には、本人の話の中でも共通する部分があります。
なお、中学校や高校の具体的な学校名については、確かな根拠が確認できない名称を出身校として断定することはできません。
学校名よりも、本人が振り返った部活動と高校時代の生活から、当時の様子が伝わってきます。
高校1年生で訪れた進路を変える出来事
高校に進学した川栄さんの生活を大きく変えたのは、友人からの何気ない誘いでした。
友人とAKB48のオーディションに応募し、2010年に第11期研究生の選考に合格します。
加入したのは15歳のときで、高校1年生のころからアイドルとしての活動が始まりました。
それまでと同じように学校へ通うだけではなく、レッスンを受け、劇場公演や芸能活動の準備をする時間が加わります。
高校生活の途中から仕事が忙しくなり、2017年のインタビューでは、学校に十分通えなかった時期についても振り返っています。
普通の高校生活で経験するような友人との時間を、思うように過ごせなかったこともあったようです。
ただし、芸能界入りがあらかじめ決まっていたわけではありません。
川栄さん自身が2025年のインタビューで語ったように、当初は人前に立つことが苦手で、アイドルとして活動する自分を想像していたわけでもなかったのです。
高校時代の友人との応募が、結果的にその後の仕事と進路を決める出発点になりました。
友人の誘いからAKB48へ|川栄李奈の芸能界入り
2010年、川栄李奈さんはAKB48の第11期研究生として芸能活動を始めました。
しかし、オーディションに合格したことと、すぐにアイドルとして楽しく活動できたことは別でした。
2010年の11期生オーディションに合格
川栄さんがAKB48のオーディションを受けたのは、友人に誘われたことがきっかけです。
2024年の『徹子の部屋』では、一緒に応募した友人たちは不合格となり、自分だけが合格したと振り返りました。
2025年のマイナビニュースのインタビューでも、合格するとは思わず、軽い気持ちで受けたことを明かしています。
つまり、川栄さんの芸能界入りは、幼いころから抱いていたアイドルの夢を実現したものではありませんでした。
合格したときは、AKB48の活動内容について詳しく知っていたわけでもなかったそうです。
グループの一員になって初めて、劇場公演の存在や、歌とダンスを覚える必要があることを実感していきます。
それでも川栄さんは、友人をはじめ不合格になった人がいるなかで選ばれたことを受け止め、研究生としての活動を続けました。
2017年のKING GEARのインタビューでも、一緒に受けた友人が不合格だったことに触れ、自分が合格したからには頑張ろうと思ったと語っています。
歌とダンスが苦手だった研究生時代
合格後、川栄さんを待っていたのは、歌とダンスのレッスンでした。
ところが、本人にはどちらも十分な経験がなく、最初から得意なことでもありませんでした。
2024年の『徹子の部屋』では、レッスンが週に1回ほどあり、それ以外は渡された振り付けのDVDを見て、自分で覚えてくるよう指示されたと話しています。
振り付けを覚えるのが難しく、レッスンでは注意を受けることもあったそうです。
当時を振り返った川栄さんの言葉には、決して順調なスタートではなかったことが表れています。
ダンスも歌も苦手意識がすごくあったので、ずっと辞めようと思っていました。
出典:テレビ朝日『徹子の部屋』(2024年5月16日放送)
一方、AKB48での活動を通して、先輩への挨拶や礼儀、集団で仕事をするための振る舞いを覚えていきました。
川栄さんは後年、AKB48を自分にとっての「学校」のような存在だったと表現しています。
研究生から活動を続け、選抜メンバーとして歌番組などに出演するようになっても、歌やダンスへの苦手意識が完全になくなったわけではありません。
そんななか、それまでの仕事とは違う楽しさを感じたのが、ドラマで役を演じることでした。
AKB48で出会った演技|川栄李奈が女優を目指した理由
川栄李奈さんはAKB48を卒業してから初めて演技の仕事をしたわけではありません。
アイドルとして活動していたころからドラマや映画に出演し、そこで女優を目指す気持ちが強くなっていきました。
『マジすか学園』などで始まった演技経験
川栄さんが演技に触れた初期の作品の一つが、2011年のドラマ『マジすか学園2』です。
2024年の双葉社『THE CHANGE』のインタビューでは、この作品でのわずかな出演時間が、自身にとって印象深い経験になったと振り返っています。
出演時間は短くても、歌って踊るのとは違う仕事に取り組む機会でした。
その後、2012年には映画『劇場版 私立バカレア高校』、2014年にはドラマ『SHARK』『セーラーゾンビ』『ごめんね青春!』などに出演します。
AKB48のメンバーとして知られる一方で、ドラマの中で役を演じる経験が少しずつ増えていったのです。
2024年の『THE CHANGE』で川栄さんは、アイドル活動を続けるなかでの気持ちの違いを、次のように振り返りました。
歌番組に出るよりも、ドラマに出ることのほうが嬉しかった
出典:双葉社 THE CHANGE「川栄李奈の『THE CHANGE』インタビュー#1」(2024年3月29日)
2025年の『学生新聞』でも、歌やダンスが得意ではなく、忙しい毎日の中で仕事をこなすようになっていた時期に、演技の仕事が本当に楽しいと感じられたことを話しています。
初めから女優を目指して芸能界に入ったわけではなかった川栄さんが、芸能活動を続けるなかで、初めて心からやりたいと思える仕事を見つけたのでした。
川栄さんの芸能活動開始は2010年のAKB48加入です。一方、演技の仕事はグループ在籍中から始まっており、2015年の卒業を「女優としての初出演」とするのは正確ではありません。
2014年の握手会事件と2015年の卒業決断
演技に関心を強めていた川栄さんにとって、2014年5月の握手会で起きた事件も、人生を見つめ直す出来事になりました。
岩手県で開かれたAKB48の握手会で襲撃事件に巻き込まれ、川栄さんは負傷しました。
事件の後、それまで当たり前だと思っていたことが変わり、自分の人生や、やりたい仕事について考えるようになったといいます。
そして2015年3月26日、AKB48からの卒業を発表しました。
翌27日、本人は公式ブログに「卒業」と題した文章を投稿し、決断に至った心境を明かしています。
私の夢は女優さんになることです
出典:川栄李奈オフィシャルブログ「卒業」(2015年3月27日)
ブログでは、AKB48を離れた後も仕事を続けられるか分からないことや、女優になるには一から勉強しなければならないことも率直に書いています。
また、握手会に出られなくなったからという理由だけで卒業するのではなく、AKB48でできることが限られるなかで、自分の夢をかなえたいと考えたことを説明しました。
事件を経験して人生への考え方が変わり、すでに出会っていた演技の仕事へ進むことを自分で決めたという経緯です。
2015年8月、川栄さんはAKB48を卒業。
15歳で加入してから約5年間続いたアイドル活動を終え、20歳で俳優としての道に進みました。
2026年7月公開のインタビュー番組『Short Hope』第3回では、川栄さん自身がAKB48時代の事件や、女優へ進む際の決断を振り返っています。
卒業後に待っていたのは、AKB48というグループの看板を離れ、一人の俳優として舞台に立つ仕事でした。
AKB48卒業後の川栄李奈|『AZUMI 幕末編』で初舞台主演
川栄李奈さんがAKB48を卒業して間もない2015年9月、初めての舞台出演で主演を務めたのが『AZUMI 幕末編』です。
テレビドラマでの演技経験はあったものの、舞台では観客の目の前で長いせりふを話し、殺陣もこなさなければなりませんでした。
殺陣の稽古と初めての舞台での挑戦
『AZUMI 幕末編』で川栄さんが演じたのは、主人公のあずみ。
2015年9月に上演されたこの作品では、多くのせりふを覚えるだけでなく、刀を使った激しいアクションにも取り組みました。
2016年のORICON NEWSのインタビューでは、初舞台の稽古について、家で台本を何度も読み、せりふと動きを覚えていたことを明かしています。
舞台の刀は実際には軽くても、観客には重そうに見えるように動かす必要があり、その表現にも苦労したそうです。
そこで川栄さんは、ディスカウントストアでおもちゃの刀を買い、自宅でも殺陣の練習を重ねました。
AKB48時代に苦手だったダンスも、この舞台では思いがけない形で役立ちました。
殺陣の動きを覚える際、ダンスの振り付けを覚えていたときの感覚を利用したというのです。
苦労して身につけた経験が、その後の別の仕事で使われることになりました。
舞台の上では、観客の前に立つことよりも、役として演じることに意識が向くようになっていました。
2016年のDeviewのインタビューでは、翌年の舞台『あずみ~戦国編』に向けた殺陣の稽古について、母親が新たなおもちゃの刀を買ってきてくれた話も披露しています。
初舞台で購入した刀を処分してしまったため、再び家で練習するために用意してもらったそうです。
AKB48を卒業した直後の主演舞台は、アイドルとしてではなく、俳優として観客の前に立つ大きな節目になりました。
『とと姉ちゃん』出演で広がった俳優としての仕事
2016年、川栄さんはNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』に出演します。
演じたのは森田富江役で、主演ではないものの、朝ドラへの出演を果たしました。
前年にAKB48を卒業し、同年には舞台で初主演を務めた川栄さんが、テレビドラマでも俳優としての出演を重ねていく時期です。
2016年のORICON NEWSのインタビューでは、グループを離れて俳優の仕事だけに専念することについて、最初は不安があったとも打ち明けています。
AKB48というグループに所属していれば出演できた仕事も、一人になれば同じように得られるとは限りません。
それでも、川栄さんが続けたいと思ったのは演技でした。
とにかくお芝居をすることが大好きなので、もう大丈夫。
出典:ORICON NEWS「川栄李奈インタビュー AKB48卒業後は女優として活躍」(2016年9月20日)
初舞台と朝ドラ出演の後も、川栄さんは映画、ドラマ、舞台で経験を積んでいきました。
2017年の映画『亜人』、2019年の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』などにも出演し、役柄や作品の幅を広げます。
AKB48卒業時に掲げていた目標の一つである大河ドラマ出演も、ここで実現しました。
さらに川栄さんは、もう一つの大きな目標だった朝ドラのヒロインにも挑戦し続けていました。
川栄李奈が朝ドラヒロインになるまで|6回目のオーディションでつかんだ役
2016年の『とと姉ちゃん』出演から数年後、川栄李奈さんは朝ドラで主人公の一人を演じることになります。
その役をつかんだ背景には、AKB48時代から続けてきたオーディションへの挑戦がありました。
何度も挑戦した『カムカムエヴリバディ』への道
2021年度後期に放送されたNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』は、三世代の女性たちの歩みを描いた作品です。
上白石萌音さん、深津絵里さんとともにヒロインを務めることになった川栄さんは、三代目の主人公・大月ひなたを演じました。
しかし、朝ドラのヒロイン役を得るまでには、何度も落選を経験しています。
川栄さんは2024年の『徹子の部屋』で、『カムカムエヴリバディ』への合格が、6回目の朝ドラヒロインオーディションだったと明かしました。
さらに2026年10月5日放送の『しゃべくり007』では、AKB48に在籍していたころから朝ドラのヒロインオーディションを受けていたと話しています。
同番組では、合格した当時、俳優の仕事そのものを辞めたいと思っていた時期だったことも告白しました。
芸能界で仕事をする人たちの振る舞いに疑問を感じ、これ以上この世界にいたくないと思うほど気持ちが揺れていたそうです。
そのため、6回目となるオーディションを前に、マネージャーへ強い決意を伝えていました。
これで受かんなかったら辞めるってマネージャーさんに言ってたので
出典:日本テレビ『しゃべくり007』(2026年10月5日放送)
同じ番組では、制作統括がオーディションで川栄さんを選んだ理由も紹介されました。
どんな役でも、どんな状況でもやり切る覚悟があると感じ、人としても俳優としても信頼できると思ったことが、起用の理由として伝えられています。
川栄さんはそのメッセージに目を潤ませ、合格したときにはマネージャーも本当に喜んでいたと振り返りました。
俳優を辞めることさえ考えていた時期に、何年も目指してきた朝ドラヒロインの役をつかんだのです。
川栄さんはAKB48卒業時、「朝ドラのヒロインになる」「大河ドラマに出演する」「日本アカデミー賞を受賞する」という3つの目標を掲げていました。大河ドラマ出演に続き、朝ドラヒロインという目標も『カムカムエヴリバディ』で実現しています。
大月ひなた役から『千と千尋の神隠し』、そして独立へ
『カムカムエヴリバディ』で川栄さんが演じた大月ひなたは、時代劇が好きで、京都の映画村で働く女性です。
物語が進むにつれて、ひなたは仕事や人間関係に向き合い、自分の道を見つけていきます。
2022年3月2日放送回には、ひなたが五十嵐文四郎に抱きしめられる場面がありました。
五十嵐を演じた本郷奏多さんは、同月4日放送のNHK『あさイチ』で、この場面の川栄さんの演技について語っています。
台本にはひなたが涙を流すという指示がなかったものの、川栄さんが本番で涙を見せたことで、五十嵐がひなたを抱きしめる行動へ自然につながったと明かしました。
共演者の証言からも、撮影中に生まれた表現の一端を知ることができます。
朝ドラの終盤では英語で話す場面も増え、川栄さんは多くの英語のせりふを覚えることに苦労したそうです。
2022年4月放送の『しゃべくり007』では、台本に英語のせりふが大量に並んでいたとき、どうやって覚えればよいのか分からず、涙が出たことも話しています。
それでも、大月ひなた役を最後まで演じ切りました。
最終回を翌日に控えた2022年4月7日には、川栄さんの公式マネージャーXが、ひなたとしての歩みの締めくくりに向けて投稿を行っています。放送当時の写真とともに、作品への思いが残された記録です。
そして2024年、川栄さんは舞台『千と千尋の神隠し』で主人公の千尋役を務めます。
2015年の『AZUMI 幕末編』で初めて舞台に立ったときから、約9年後のことでした。
AKB48時代に出会った演技を続け、ドラマや舞台の経験を重ねた先で、国内外で上演される大きな舞台作品の主演を任されるようになったのです。
さらに川栄さんは、2025年12月31日をもって、約10年間所属したエイベックス・マネジメント・エージェンシーを退所し、独立しました。
2026年1月1日の発表では、同社との関係をエージェント契約へ切り替えることも明らかにしています。
本人はこれまでの仕事で経験した喜びや困難が、すべて役者としての表現につながっていると振り返りました。
また、周囲の期待に応えようと頑張り過ぎるのではなく、自分自身の期待にも応えられる人になりたいという思いを伝えています。
高校時代、友人に誘われてAKB48のオーディションを受けたことから始まった芸能生活。
歌とダンスに戸惑った研究生時代、演技との出会い、20歳での卒業決断、初舞台での主演、そして6回目でつかんだ朝ドラヒロインという役を経て、川栄李奈さんは自分の意思で活動の形を選ぶところまで歩みを進めました。
















