PROFILE
人物プロフィール
倉沢杏菜(くらさわ・あんな)さんは、2005年3月18日生まれ、神奈川県出身の女優です。
横浜の住宅街で育ち、5歳から8年間クラシックバレエに打ち込みました。中学時代には英語劇を見た母親から女優という仕事を勧められ、高校2年生で芸能事務所のオーディションに応募しています。
2022年、約5,000人が応募した「レプロ30周年主役オーディション」に合格。演技未経験からレッスンを重ね、2023年にドラマ『パパとなっちゃんのお弁当』で俳優デビューを果たしました。
その後は『VRおじさんの初恋』『光る君へ』『ばけばけ』『豊臣兄弟!』などに出演。2025年にはドラマ初主演も経験しています。
幼いころに大好きだったミュージカル映画、バレエを辞めた経験、学生時代の英語やダンスへの熱中、そして女優になるまでの道のりを、本人が語った思い出とともにたどります。
倉沢杏菜の生い立ち|横浜で育った幼少期
倉沢杏菜さんは神奈川県横浜市で育ちました。
幼いころから歌や踊りが好きで、外では友達と走り回り、家では映画の音楽に親しんでいたそうです。
自然豊かな公園で木登りをした子ども時代
横浜出身と聞くと、港や観光地に近い街並みを想像するかもしれません。しかし、倉沢さんが思い出す地元の風景は少し違います。
2025年11月のSTREAMのインタビューでは、育った場所について、住宅街でありながら緑もある、子どもが過ごしやすい環境だったと話していました。
近くには自然豊かな公園があり、友達と木登りをして遊んでいたそうです。秘密基地を作るような遊びも好きだったと、別のインタビューで振り返っています。
妹と遊ぶときは、おままごとやアニメのキャラクターになりきる遊びもしていました。静かに本を読んで過ごすより、体を動かして遊ぶ時間が多い子どもだったようです。
勉強では公文にも通っていました。好きな教科には自分から取り組む一方、苦手な算数の宿題はなかなか進まず、母親に注意されることもあったといいます。
そんな倉沢さんが、学校生活とは別に夢中になったのがクラシックバレエでした。
5歳で始めたバレエと舞台への憧れ
倉沢さんがクラシックバレエを始めたのは5歳のころです。
母親に連れられて体験レッスンへ行き、実際に踊ってみた倉沢さん自身が「やりたい」と希望したことから習い始めました。
バレエの発表会では、ほかの生徒と一緒に物語の登場人物を演じることもありました。特に印象に残っているのは『シンデレラ』の公演です。
憧れていた年上の生徒が主役のシンデレラを演じ、倉沢さんは妖精の役として舞台に立ったといいます。
華やかな衣装や舞台の世界に入り込む楽しさだけでなく、家族や周囲の人が発表会を見て喜んでくれることも、幼い倉沢さんにはうれしい経験でした。
当時の夢はバレリーナ。8年間続けたバレエは、体を使って物語を表現する最初の経験になりました。
倉沢杏菜の家族|母親・父親・妹との思い出
倉沢さんは、父親・母親・本人・3歳年下の妹がいる家庭で育ちました。
愛犬も家族の一員で、2026年のQUIのインタビューでは、犬を含めて5人家族だと紹介しています。
家族との思い出で繰り返し登場するのは、母親が見せてくれた映画と、妹と一緒に楽しんだ音楽です。
母が見せてくれた『ハイスクール・ミュージカル』
倉沢さんが5歳のころ、母親はディズニーのミュージカル映画『ハイスクール・ミュージカル』を見せてくれました。
当時の倉沢さんにとっては少し大人向けの物語でしたが、登場人物が歌って踊り、仲間と一緒に何かを作り上げる姿に夢中になったそうです。
両親によると、映画を毎日のように観ていた時期もあり、シリーズ3作品を何度も繰り返していたといいます。
映画を通じて歌、ダンス、英語への興味が芽生え、体験レッスンを経てバレエを始めることになりました。
母親自身にもバレエを習った経験がありました。ただし、始めたのは大人になってからだったため、娘には子どものうちに経験させてあげたいという思いもあったそうです。
その後、倉沢さんは中学生のときに母親から女優という仕事を勧められます。さらに高校生になってからのオーディション応募でも、母親の一言が背中を押すことになりました。
母親の教育方針について、倉沢さんは次のように話しています。
「最終的な決定は自分でする」
出典:Real Sound「倉沢杏菜、『豊臣兄弟!』で踏み出した大きな一歩」(2026年5月31日)
母親はさまざまな経験のきっかけを作りながら、最後は娘自身に選ばせてくれたそうです。バレエも芸能界への挑戦も、その言葉どおり、倉沢さんが自分で決めて進んだ道でした。
妹と歌った思い出、両親との関係
3歳年下の妹とは、子どものころから一緒に音楽を楽しんでいました。
特に『ハイスクール・ミュージカル』の曲が好きで、車の中でサウンドトラックを流しながら、姉妹で大きな声で歌っていたといいます。
また、母親が韓国の音楽グループBIGBANGのファンだったため、倉沢さんも小学生のころからK-POPに触れていました。妹と一緒に曲を聴いたり、ライブ映像を観たりすることもあったそうです。
母親とは学校生活や将来のこと、日々の出来事についてよく話しており、2024年のNB Press Onlineのインタビューでは、お茶を飲みながら長くおしゃべりする時間についても紹介しています。
女優として仕事を始めてからも、難しさを感じたときには母親へ相談していたそうです。
父親については、幼少期に映画を繰り返し観ていたという両親の証言や、バレエの発表会を家族が見守っていた思い出などが語られています。
一方、父親の職業や詳しい経歴、妹の名前や職業などについては、本人が公に語った確かな情報は限られています。
家族との小さな思い出:幼いころは、妹とプリキュアごっこやおままごとをすることもあったそうです。木登りや外遊びを楽しむ一方で、家では好きな物語の登場人物になりきって遊んでいました。
小学校・中学校時代|バレエとの別れと新しい興味
小学校時代の倉沢さんは、バレエのレッスンに多くの時間を使っていました。
しかし、長く続けた習い事を辞めたことで、中学校では生徒会や英語など、新しい活動に目を向けるようになります。
週6〜7回のバレエと辞める決断
小学校高学年になると、倉沢さんは週6〜7回、ほぼ毎日のようにバレエ教室へ通っていました。
所属していた教室には、発表会で主役や主要な役を踊る生徒を育てる特別なクラスがあり、倉沢さんも友達と一緒に選ばれました。
ただ、そのクラスでは指導が厳しく、倉沢さんは繰り返し叱られる日々を過ごすことになります。
2025年11月のSTREAMのインタビューでは、当時の様子をこう振り返っています。
「行く前に泣いて、帰って泣く日々でした。」
出典:STREAM「俳優・倉沢杏菜と申します。vol.3」(2025年11月)
幼いころはバレリーナになることを夢見ていましたが、厳しいレッスンを続けるなかで気持ちが追いつかなくなり、8年間続けたバレエを辞める決断をしました。
辞めてからすぐに気持ちを切り替えられたわけではありません。もうレッスンへ行く必要はないのに、自然とストレッチをしたり、バレエの映像を観たり、シューズを履いたりしていたそうです。
自分で辞めると決めたにもかかわらず、戻りたいと思ったことも何度もあったといいます。
バレエから離れたあとも、音楽に合わせて体を動かすことや、舞台で物語を表現した経験は倉沢さんの中に残りました。
クラス委員・生徒会と茶華道部での経験
バレエに打ち込んでいた倉沢さんですが、学校でも人と一緒に活動することが好きでした。
小学校高学年のころには、会議に参加することが楽しくてクラス委員になったといいます。
意見を出し合って物事を決めたり、みんなで行事を作り上げたりする時間に魅力を感じていたそうです。
中学校へ進むと、幼なじみの友達と一緒に生徒会へ入りました。朝会で全校生徒の前に立つ機会もあり、卒業に関わる飾りつけなどの活動にも参加しています。
生徒会では意見が分かれることもありましたが、倉沢さんは場の雰囲気を和ませるような役割を担うことがあったそうです。
部活動で選んだのは茶華道部でした。
当初はバレエとの両立も考えていたため、比較的活動日数の少ない部を選択。茶道や華道のほか、着物の着つけや作法にも触れました。
夏の活動では和菓子の練り切りを作ったこともあり、百人一首にも親しんだそうです。学校の百人一首大会では準優勝した経験があります。
中学時代の意外な経験:茶華道部で着物や和の作法に触れたことは、後に大河ドラマ『光る君へ』の所作稽古を受ける際にも役立ったと倉沢さんは語っています。
英語弁論大会と女優を勧められた英語劇
中学校時代、倉沢さんが特に力を入れていたもう一つの活動が英語です。
英語の先生に勧められ、横浜市の英語弁論大会へ参加しました。大会に向けて夏休みに練習を重ねるうちに、英語を本格的に学ぶ面白さを感じるようになったそうです。
もともとは『ハイスクール・ミュージカル』を通じて親しんでいた英語が、学校生活の中でさらに大きな興味へ変わっていきました。
そして、女優という職業を初めて具体的に意識するきっかけも、中学校で訪れます。
倉沢さんは学校で英語劇を演じる機会がありました。その舞台を見た母親から、「女優さんっていう道もあるんじゃない?」と勧められたのです。
ただし、この時点ですぐに女優を目指して芸能活動を始めたわけではありません。母親にそう言われたことも、高校生になるころには一度忘れていたといいます。
また、小学校6年生の担任からもらった励ましの言葉は、その後も倉沢さんの記憶に残っていました。
バレエを辞めたあとの中学生活では、生徒会、英語、茶華道部という、それまでとは異なる活動が少しずつ日常の中心になっていきました。
高校時代|ダンス部と留学を目指した進路
高校生になった倉沢さんは、再びダンスに熱中します。
一方で、英語への興味から海外留学も考えていました。進路を決める時期にコロナ禍が重なったことは、その後の大学進学にも関わっています。
TWICEに憧れてガールズヒップホップへ
小学生のころからK-POPを聴いていた倉沢さんは、中学校でTWICEを好きになりました。
休み時間には教室で友達と踊ることもあり、音楽に合わせて体を動かす楽しさが戻ってきたそうです。
高校ではダンス部に入り、ガールズヒップホップを中心に踊りました。
バレエとは体の使い方も踊り方も異なりますが、倉沢さんは新しいジャンルのダンスにも夢中になっていきました。
高校のダンス部には文化祭などの発表機会がありました。しかし、在学時期には新型コロナウイルスの感染拡大による制限があり、他校の友達を招くなど、大勢の観客の前で踊る機会は限られていたそうです。
幼いころのクラシックバレエと、高校で始めたガールズヒップホップ。ジャンルを変えながらも、ダンスは学生時代を通じて身近な存在でした。
コロナ禍でかなわなかった海外留学
英語に興味を持ち続けていた倉沢さんは、高校時代に海外留学を希望していました。
学校を選ぶ段階から留学への関心がありましたが、コロナ禍の影響で希望していた経験は実現しませんでした。
それでも英語を学びたい気持ちは変わらず、大学では英語をさらに深く勉強しようと考えるようになります。
高校時代は、ダンス部の活動も留学の計画も、思い描いていたとおりには進まない部分がありました。
そんな高校2年生のとき、倉沢さんはInstagramで一つのオーディション募集を目にします。
高校2年生で芸能界入り|約5,000人の主役オーディションに合格
倉沢さんが芸能界へ入る直接のきっかけは、レプロエンタテインメントが開催した主役オーディションでした。
当時は演技の仕事をした経験がなく、芸能事務所に入ることも決めていませんでした。
Instagramの広告と母親の後押し
高校2年生のころ、倉沢さんはInstagramのストーリーズで「レプロ30周年主役オーディション」の募集を見つけました。
もともと好きなモデルが所属している事務所として、レプロエンタテインメントの名前を知っていたそうです。
募集を見たときは、演技未経験で挑戦することに戸惑いもありました。それでも、人生で一度くらい新しいことに挑戦してみたいという気持ちが生まれ、応募へ進みました。
このときも母親は、挑戦してみたらどうかと背中を押してくれたといいます。
中学時代の英語劇を見た母親の言葉は、すぐに進路へ結びついたわけではありませんでしたが、高校生になって実際に芸能界へ挑む場面でも、母親が近くにいました。
演技未経験で挑んだワークショップ審査
オーディションに参加した倉沢さんは、初めて本格的な演技に触れました。
選考ではワークショップ形式の審査も行われ、ほかの応募者と一緒に演技を学びながら課題に取り組んだそうです。
最終段階では約1か月にわたるワークショップを経験。東京・浅草の劇場で、事務所関係者を前に演技を披露する機会もありました。
後に同じ第1回オーディションの合格者となる黒崎煌代さんとは、兄妹の関係を演じる場面にも取り組んだといいます。
演技の経験がなかった倉沢さんですが、初めて取り組むことが多い審査を振り返って、次のように語っています。
「とにかく『楽しい!』でした。」
出典:レプロエンタテインメント「倉沢杏菜と育成・担当マネージャーの対談インタビュー」(2025年12月23日公開)
審査を終えたあとは、母親と参加できた経験そのものを喜び合い、結果を待っていたそうです。
そして、約5,000人の応募者の中から合格。高校生の倉沢さんにとって、日常が大きく変わる出来事になりました。
2022年にレプロへ所属して演技を学び始める
2022年、倉沢さんはオーディション合格を経て、レプロエンタテインメントに所属しました。
ただし、事務所に入ったことと、女優として映像作品へ出演したことは別の段階です。
所属後は俳優育成のカリキュラムを受け、演技の基礎を学び始めました。ワークショップでは、ほかの俳優と一緒に台本を読み、実際に役を演じる経験を積んでいきます。
ニューヨークでのワークショップに参加した経験もあり、『ロミオとジュリエット』を題材にした演技を通して、役を演じる楽しさを改めて感じたと語っています。
2025年にレプロが公開した俳優育成システム「LesPros Actors Base」の紹介映像には、倉沢さんが第1回主役オーディションに挑んだ当時の映像も収められています。
2025年には、レプロが実施する新たな主役オーディションに関連して、倉沢さんと育成・担当マネージャーの若生るいさんによる対談も公開されました。
高校生で応募した当時の気持ちや、合格後にどのような指導を受けてきたかを、本人と担当者の双方が振り返っています。
2022年の芸能界入りから演技を学ぶ時間を経て、倉沢さんは翌2023年に女優として映像作品へ出演することになります。
大学進学|英文学と韓国語を学びながら女優活動
倉沢さんは、高校卒業後に大学へ進学しています。
大学では英文学を専攻し、第二外国語として韓国語を学んでいることを、本人がインタビューで明かしました。
具体的な大学名については、本人や所属事務所の信頼できる公開情報からは確認できません。高校名についても同様で、学校の特徴だけを根拠に特定することはできません。
高校時代から決めていた大学進学
倉沢さんが大学へ進むことを考えていたのは、芸能事務所のオーディションを受ける前からでした。
中学時代に英語弁論大会へ参加し、もっと英語を学びたいという思いが強くなっていたためです。
高校では海外留学も希望していましたが、コロナ禍によって実現しませんでした。その経験もあり、大学では英語をさらに深く勉強できる環境を選んだそうです。
2022年に芸能界入りし、2023年にはドラマへ出演しましたが、進学の希望は変わりませんでした。
大学生活を始めたあとも、授業で学びながらドラマや舞台の仕事に取り組む生活を続けています。
2024年11月のMANTANWEBのインタビューでは、英文学を専攻する大学生として紹介され、英語だけでなく韓国語にも学びの範囲を広げていることが伝えられました。
英文学・韓国語とK-POPダンスの大学生活
大学では、英文学の授業に加え、第二外国語として韓国語を学んでいます。
英語に興味を持った原点は幼少期のミュージカル映画でしたが、そこから中学の英語弁論大会、高校での留学希望を経て、大学の専門的な学びへ進みました。
語学だけではなく、大学でも好きなダンスに触れています。
2024年3月のNB Press Onlineのインタビューでは、K-POPダンスのカバーサークルに入っていることを明かしていました。
俳優の仕事があるため、当時はサークルへ頻繁に参加できていなかったそうですが、気持ちを切り替えたいときには好きなK-POPを聴いたり、踊ったりしていたといいます。
また、大学で英文学と韓国語を学びながら、日本語以外の言語でも演技をしてみたいという夢を持つようになりました。
大学・学歴について確認できること:大学へ進学したこと、英文学専攻、第二外国語の韓国語、K-POPダンスのカバーサークルへの参加は本人の発言で確認できます。一方、具体的な大学名と高校名を確定できる情報はありません。
女優デビュー|2023年『パパとなっちゃんのお弁当』から映画へ
レプロエンタテインメントで演技を学び始めた倉沢さんは、2023年に俳優としてのキャリアをスタートさせました。
テレビドラマと映画、それぞれの現場に参加し、オーディションで学んでいた演技を実際の作品の中で経験していきます。
初めてのテレビドラマ出演
倉沢さんの俳優デビュー作は、2023年の日本テレビ系ドラマ『パパとなっちゃんのお弁当』です。
日本テレビの情報番組『ZIP!』内で放送された作品で、父親が娘のために作り続けたお弁当を通して、家族の交流を描いたドラマでした。
所属事務所の公式プロフィールでも、この作品が2023年の俳優デビュー作として紹介されています。
演技未経験でオーディションへ応募した高校生が、2022年の事務所所属から約1年でテレビドラマに出演することになりました。
同じ2023年には、NHKのドキュメンタリードラマ『ケーキの切れない非行少年たち』や、TBS系ドラマ『君には届かない。』などにも出演しています。
最初の映像作品への参加をきっかけに、学生生活と並行しながら、複数の撮影現場を経験するようになりました。
映画『18歳、つむぎます』での経験
2023年には、映画『18歳、つむぎます 私の卒業 -第4期-』にも出演しました。
この作品は、若手俳優の育成を兼ねた「私の卒業」プロジェクトの一作です。倉沢さんは田中敬子役を演じました。
倉沢さんにとって初めての映画出演であり、作品に参加するまでのオーディションも印象に残っているそうです。
2024年3月のNB Press Onlineのインタビューでは、オーディションのワークショップ段階からカメラによる密着取材が入り、参加者が役を獲得するまでの様子も記録されていたと説明しています。
まだ脚本が完成していない段階からプロジェクトに関わり、映画が形になっていく過程を経験しました。
倉沢さんは、この作品で映画制作のさまざまな工程に触れられたことを振り返っています。
2023年にはドラマだけでなく映画にも出演し、役を得るためのオーディション、撮影、作品完成までの流れを、実際の仕事として経験するようになりました。
2024年の転機|『VRおじさんの初恋』と『光る君へ』
2024年、倉沢さんはNHKのドラマ『VRおじさんの初恋』で、物語の中心に関わる役を演じました。
さらに大河ドラマ『光る君へ』への出演と初舞台も経験し、映像と舞台の両方で役の幅を広げていきます。
ナオキ役のオーディションと役作り
2024年のNHK夜ドラ『VRおじさんの初恋』で、倉沢さんはVR空間のアバター・ナオキ役を演じました。
主人公は野間口徹さんが演じる中年男性の直樹。倉沢さんの演じるナオキは、直樹が仮想空間で使う、制服姿の少女のアバターという設定です。
自分とは年齢も境遇も異なる男性の内面を、少女の外見を通して表現する役でした。
出演はオーディションを経て決まりました。倉沢さんは原作と台本を読み込み、役の理解を深めて審査へ臨んだそうです。
撮影前には野間口さんや井桁弘恵さんと台本の読み合わせを行い、野間口さんがナオキのせりふを読む時間も設けられました。
その経験によって、台本でナオキのせりふを見ると、自然と野間口さんの声が思い浮かぶようになったといいます。
外見だけで男性らしさを強調するのではなく、直樹という人物の考え方や気持ちを理解して演じることが求められました。
倉沢さんは、俳優として仕事を始めたころの感想を次のように語っています。
「とても楽しいです。同時にとても難しいなとも思っています。」
出典:NB Press Online「NHK連続ドラマ初出演の倉沢杏菜」(2024年3月30日)
『VRおじさんの初恋』の現場では、監督や共演者と一緒に役を作り上げていく経験を重ねました。
倉沢さんは後年、この作品を自分のキャリアにとって大きな転機だったと振り返っています。
藤原妍子役と初舞台『138億年未満』
同じ2024年には、大河ドラマ『光る君へ』に出演しました。
演じたのは、道長の娘で、のちに三条天皇の中宮となる藤原妍子(ふじわらのきよこ)です。
平安時代を舞台にした作品では、衣装の扱い方や立ち居振る舞いなど、現代劇とは異なる所作が必要になります。
倉沢さんは中学時代に茶華道部で着物の着つけや作法を経験しており、大河ドラマの所作稽古では、そのころに触れた知識が役立ったと語っています。
幼少期から続けたバレエも、姿勢や体の動かし方を考えるうえで、役に立つ経験でした。
さらに2024年には、舞台『138億年未満』で初舞台を踏みました。
舞台では大阪弁にも取り組み、映像作品とは異なる、観客の前で物語を演じ続ける経験をしました。
バレエで身につけた体の使い方が、芝居では必ずしもそのまま適しているわけではありません。役に応じて動き方を変えることも、舞台で学んだ課題の一つでした。
2024年は、ナオキという特殊な役、平安時代の人物、そして舞台作品と、性質の異なる役柄に向き合った一年になりました。
ドラマ初主演から『豊臣兄弟!』あさひ役へ
2025年には連続テレビ小説への初出演を果たし、同年にドラマ初主演も経験しました。
翌2026年には、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、豊臣秀吉と秀長の妹・あさひ役を担当しています。
2025年の朝ドラ出演とドラマ初主演
2025年、倉沢さんはNHK連続テレビ小説『ばけばけ』に出演しました。
演じたのは、主人公の松野トキと関わる女工・チヨです。
朝ドラへの出演は倉沢さんにとって初めてでした。所属事務所が公表したコメントでは、以前から憧れていた朝ドラの撮影現場で過ごした時間を、特別な経験として振り返っています。
そして同じ年、日本テレビのドラマ『君のスマホを見てみたら』で初主演を務めました。
倉沢さんが演じたのは、高橋優香という女性。スマートフォンの画面上で展開する物語の中で、主人公を演じています。
2025年のドラマ初主演は、2023年の俳優デビューから作品経験を重ねてきた倉沢さんにとって、新しい役割を担う機会になりました。
オーディションに挑戦した高校生のころから数えると、芸能界入り後の数年間で、朝ドラ出演と主演作品の両方を経験したことになります。
あさひの人物像を調べて挑んだ大河オーディション
2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、倉沢さんは豊臣秀吉・秀長の妹、あさひ役に選ばれました。
『光る君へ』に続く2度目の大河ドラマ出演であり、主要キャストとして大きな役を担うことになりました。
この役を得るためのオーディションでは、倉沢さんは台本を読むだけではなく、歴史上のあさひという人物を調べることから始めたそうです。
書籍で生涯を学び、京都や静岡に残るゆかりの場所にも実際に足を運びました。あさひの墓所などを訪ね、人物が生きた時代や環境を自分なりに感じ取ろうとしたといいます。
2026年5月のReal Soundのインタビューでは、役に向き合ううえで、現地に行って建物の大きさや土地の空気を感じる経験についても語っています。
『VRおじさんの初恋』では、中年男性の心を持つ少女のアバターを演じ、『光る君へ』では平安時代の妍子役に挑みました。そして『豊臣兄弟!』では、戦国時代を生きたあさひという人物に向き合うことになりました。
2023年のデビューから、異なる時代や境遇の人物を演じる経験を重ねてきた倉沢さん。その出発点には、5歳のころに母親が見せてくれたミュージカル映画がありました。
映画を観て歌や踊りに憧れ、バレエで舞台に立ち、いったん踊ることから離れたあとも、英語劇やダンスを通して表現する楽しさに触れてきました。
そして高校2年生のとき、自分で選んで応募したオーディションが、女優として歩き始めるきっかけになったのです。
















