伊原六花の生い立ち|家族・高校時代からバブリーダンスと女優デビューまで

伊原六花の生い立ちを紹介する、本人を描いたイラストと「家族・高校時代からバブリーダンスと女優デビューまで」の文字を配した表紙

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
いはらりっか
カテゴリー
女優
出身地
大阪府
生年月日
1999年6月2日
芸能活動開始
2017年
女優デビュー
2018年
デビューのきっかけ
スカウト

2017年、大阪府立登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」で注目を集めた伊原六花さん。

当時は高校3年生で、ダンス部のキャプテンとして大勢の部員をまとめながら、全国大会に挑んでいました。

その翌年にはドラマ『チア☆ダン』でテレビドラマデビューを果たし、女優としての活動を始めています。

ところが、伊原さんと舞台との出会いは、バブリーダンスよりもずっと前の小学生時代までさかのぼります。

幼いころからバレエやミュージカルに親しみ、進学先もダンスへの思いから自分で選んでいました。

伊原六花さんの生い立ちや家族、学生時代、バブリーダンスの舞台裏、芸能界入りから女優デビューまでの歩みをたどります。

伊原六花の生い立ち|大阪狭山市で育ち、幼いころから舞台に親しむ

伊原六花さんは、1999年6月2日、大阪府大阪狭山市に生まれました。

子どものころから体を動かすことが好きで、バレエをはじめ、さまざまな習い事に親しんでいます。

大阪狭山市で生まれ育った子ども時代

大阪狭山市は、大阪府南部に位置する街です。

伊原さんは、この街で家族と暮らしながら幼少期を過ごしました。

大阪狭山市の公式インタビューでも、地元で育ったことや、故郷への思いについて語っています。

幼いころに興味を持っていたのは、体を動かすことだけではありません。

本を読むことやお芝居も好きで、物語の世界に触れる時間を楽しんでいたといいます。

後に舞台や映像作品でさまざまな役を演じるようになりますが、演じることへの興味は、芸能界に入るずっと前から芽生えていました。

姉に憧れて始めたバレエとさまざまな習い事

伊原さんがバレエを始めたのは、4歳のころです。

きっかけになったのは、年上の姉の存在でした。

2024年のBunkamura公式インタビューでは、幼いころの気持ちを次のように振り返っています。

姉ができることは私にもできるはず!

出典:Bunkamura公式「新たな出会いや挑戦が自分の世界を広げてくれる/伊原六花さんインタビュー」(2024年7月22日)

姉が取り組んでいることを見ると、自分もやってみたいと思う子どもだったようです。

姉妹でヒップホップなどのダンスも習いましたが、続けていくうちに、伊原さんは踊ることにますます夢中になっていきました。

発表会で衣装を着たり、メイクをしたりすることも楽しみの一つでした。

家族や身近な人から踊りを褒めてもらえることも、うれしかったと話しています。

バレエに加えて、水泳やテニスなどにも親しんだ子ども時代。

そのなかでも、ダンスと舞台への興味は、小学校に進学してからさらに強くなっていきました。

伊原六花の家族|父親・母親・三姉妹と祖父との思い出

伊原六花さんの家族は、父親・母親・姉・本人・妹の5人家族です。

本人は家族についてたびたび語っており、幼少期の習い事から高校時代のダンス活動、上京後の生活まで、さまざまな場面に家族が登場します。

姉と妹に囲まれて育った三姉妹の次女

伊原さんは、三姉妹の次女として育ちました。

姉を見てバレエを始めたエピソードからも、幼いころに姉の存在が身近な目標になっていたことが伝わります。

2025年にカンテレのエンタメメディア「みよか」で受けたインタビューでは、家族との連絡についても話しています。

そのころは父親、母親、姉とグループでビデオ通話をすることが多く、妹が参加することもあったそうです。

特別な用事があるわけではなく、料理をしている様子を映したり、その日にあった出来事を話したりしていたといいます。

仕事のなかでさまざまな役を演じる伊原さんにとって、家族との会話は、普段の自分に戻れる時間でもあったようです。

家族との何気ない会話
2025年のインタビューでは、家族で長時間のビデオ通話を楽しんでいたことも明かしています。特別な話題がなくても、同じ時間を共有することを大切にしていたそうです。

ダンス大会で父親が届けてくれた忘れ物

父親との思い出として印象的なのが、高校時代のダンス大会で起きた出来事です。

バブリーダンスでは、独特の衣装やメイク、カツラを使った演出が大きな特徴になっていました。

ところが伊原さんは、大会当日に必要なカツラとつけまつげを忘れてしまったことがあったそうです。

しかも、キャプテンとして部員たちには忘れ物をしないよう注意していたというのですから、本人にとっては焦る場面だったことでしょう。

連絡を受けた父親は、忘れ物を持って会場まで届けてくれました。

伊原さんが後に語ったところによると、父親はカツラを掲げながら、元気よく声を上げてやって来たそうです。

助かった一方で、人目のある場所でカツラを持って走ってくる父親の姿は、伊原さんにとって恥ずかしい思い出にもなったといいます。

2025年に出演したイベントで明かされたこの話からは、高校生活の大事な場面を支えていた父親の姿が見えてきます。

両親との関係と祖父の家で過ごした思い出

伊原さんは、父親と母親の関係についても話しています。

2025年のカンテレのインタビューでは、両親が結婚25年の銀婚式を迎え、家族旅行でも仲よく記念撮影をしていたことを紹介しました。

伊原さんは、互いの違いを認め合いながら楽しい時間を共有する両親の関係に憧れていると語っています。

また、子どものころには祖父母の暮らす和歌山県で過ごした思い出もありました。

2022年のReal Soundのインタビューでは、夏に祖父の家へ遊びに行き、川遊びやバーベキューを楽しんでいたことを振り返っています。

梅干し作りに触れたり、姉妹で祖父とお菓子を食べたりしたことも、記憶に残っているそうです。

大阪狭山市での普段の生活とは違う、自然に囲まれた夏の時間でした。

家庭や親族とのこうした思い出は、テレビや舞台で見せる姿とはまた違う、伊原さんの子ども時代を伝えています。

伊原六花の小中学生時代|ミュージカルとの出会いと初舞台

伊原六花さんは、高校のバブリーダンスで初めて人前に立ったわけではありません。

小学生のころからミュージカルに興味を持ち、劇団で舞台に出演する経験を重ねていました。

小学2年生でミュージカルを観て演技に興味を持つ

伊原さんがミュージカルに強く惹かれるきっかけになったのは、小学2年生のころに観た舞台でした。

友人の姉が出演するミュージカルを観に行き、自分も舞台に立ってみたいと考えるようになったそうです。

それまで親しんでいたバレエやダンスとは違い、ミュージカルでは歌や踊りを通して物語の登場人物を演じます。

伊原さんは、そうした表現の世界に興味を持ち、子どもたちが参加するミュージカル劇団で活動するようになりました。

学校生活の外でもレッスンを受け、舞台に立つ経験を少しずつ増やしていきます。

2025年のカンテレのインタビューでは、小学生のころに習っていたダンスの先生から教わった言葉も紹介しています。

時間は有限、努力は無限

出典:カンテレ公式エンタメNEWS「みよか」『伊原六花の結婚観「両親のような夫婦が憧れです」』(2025年4月12日)

限られた時間のなかで、自分ができることを積み重ねるという考え方を、子どものころから大切にしてきたといいます。

『ズボン船長』などの舞台に出演した中学時代

小学生時代に始めた舞台活動は、中学生になってからも続きました。

伊原さんの芸能界入り前の出演歴には、ミュージカル『ズボン船長』があります。

この作品では、ジョジョ姉役を演じたことが紹介されています。

また、劇団でのミュージカル活動だけでなく、沖縄の芸能文化を取り入れた「現代版組踊」にも参加しました。

踊りや歌に加え、物語を舞台上で表現する時間を過ごしていたのです。

一方で、中学校では部活動には所属していなかったと、2017年の「ダンスク!」インタビューで話しています。

学校の部活動ではなく、学校外のミュージカルやダンスのレッスンに力を注いでいたことが分かります。

中学校の卒業が近づくと、伊原さんは高校でもダンスを続けたいと考えるようになりました。

その進路選びで出会ったのが、登美丘高校ダンス部の映像でした。

舞台出演と女優デビューの違い
伊原さんには、芸能事務所へ所属する前からミュージカルの出演経験があります。2018年の『チア☆ダン』はテレビドラマへの初出演であり、初めて演技を経験した作品という意味ではありません。

伊原六花の高校時代|ダンス部を目指して登美丘高校へ進学

伊原六花さんが進学した高校は、大阪府立登美丘高等学校です。

2015年に入学し、ダンス部へ所属しました。

この学校を選んだ理由は、ダンス部への憧れにありました。

担任の先生との進路相談で登美丘高校を知る

中学生だった伊原さんは、高校に進学したらダンス部に入りたいと考えていました。

進路を考えるなかで登美丘高校を知り、インターネットで同校ダンス部の映像を見たことが、志望校を決めるきっかけになったそうです。

2017年の「ダンスク!」のインタビューでは、当時の決意をこう語っています。

絶対にココに入ろう!

出典:ダンスク!「登美丘高校キャプテンが伊原六花として芸能界デビュー!ダンス部界初のヒロインに独占インタビュー!」(2017年12月19日)

ただ、当時の学力では、登美丘高校への進学は簡単ではなかったと本人が明かしています。

それでも志望校を変えず、勉強に力を入れました。

そして受験に合格し、憧れていた登美丘高校ダンス部への入部を実現させました。

高校の進学先を、部活動でやりたいことから決めていたのです。

ダンス部入部後に経験した葛藤とキャプテン就任

念願のダンス部に入った伊原さんでしたが、高校での練習は、それまでの習い事とは違う厳しさがあったそうです。

中学校では部活動に所属していなかったため、集団で同じ目標を追いかける環境にも戸惑いがありました。

上級生の実績が大きく、自分たちの学年も同じように結果を出さなければならないというプレッシャーがありました。

コーチのakaneさんとの関係も、初めから順調だったわけではありません。

部員たちとコーチが話し合いを重ね、互いの考えを伝えることで、練習に向き合う関係を築いていったといいます。

伊原さんは、最初からキャプテンだったわけでもありません。

当初は部長を務めていましたが、途中でキャプテンと役割を交代しました。

交代をめぐって部内で意見がぶつかることもありましたが、話し合いを経て、ダンスをまとめるキャプテンを引き受けました。

さらに、2016年にはダンスイベントの出演メンバーを決める部内オーディションで落選したこともあったそうです。

ダンス経験が長かった伊原さんにとって、その結果は悔しいものでした。

そこから練習を重ね、次のオーディションでは合格をつかんでいます。

当時の経験について、本人は次のように語っています。

やればできる!

出典:ダンスク!「登美丘高校キャプテンが伊原六花として芸能界デビュー!ダンス部界初のヒロインに独占インタビュー!」(2017年12月19日)

キャプテンとして部員たちを励ます際にも、自分が落選から合格へと進んだ経験があったそうです。

舞台やレッスンで身につけたダンスに、チームを率いる経験が加わった高校生活でした。

2017年11月には、ダンス専門誌『ダンスク!』第14号の表紙にも登場しています。当時の高校生だった伊原さんの姿が、公式アカウントの投稿に残されています。

伊原六花のバブリーダンス|2017年の全国大会で注目を集める

伊原六花さんの高校時代を象徴するのが、2017年に登美丘高校ダンス部が披露した「バブリーダンス」です。

このダンスで伊原さんはキャプテンを務め、センターで踊る姿も注目されました。

akaneの指導と部員たちが作り上げたダンス

バブリーダンスは、荻野目洋子さんの「ダンシング・ヒーロー」などの楽曲に合わせ、バブル時代を思わせる衣装や髪形、表情を取り入れたダンスです。

振り付けを担当したのは、登美丘高校の卒業生でもある振付師のakaneさんでした。

大きな肩パッドのある衣装、派手なメイク、独特のポーズを生かした振り付けは、それまでの高校ダンス大会でも目を引くものでした。

伊原さんは当時のインタビューで、部員たちも角度やポーズを研究し、どうすれば表現が面白くなるか工夫していたと明かしています。

振り付けを覚えるだけでなく、自分たちの表情や見せ方を考えながら作品を作っていたのです。

2024年のBunkamuraのインタビューでは、akaneさんとの出会いについても詳しく語っています。

akaneさんはダンスの技術を教えるだけでなく、メディアの仕事の現場にも伊原さんたちを同席させることがあったそうです。

一つの作品ができるまでに多くの人が関わっていることや、プロとして表現に向き合う姿勢を、間近で見る機会にもなりました。

伊原さんにとって、akaneさんはダンスの指導者であると同時に、表現の仕事を知るきっかけを与えてくれた人物でもありました。

全国大会準優勝から動画の反響、紅白歌合戦へ

2017年、登美丘高校ダンス部は「日本高校ダンス部選手権」の全国大会でバブリーダンスを披露しました。

結果は準優勝でした。

チームは大会での優勝を目標に練習を重ねていたため、伊原さんは悔しさを感じていたといいます。

しかし、大会後にダンスの映像が広まると、作品は多くの人の目に触れるようになりました。

大会結果とは別の形で、自分たちの表現が届いていることを実感する出来事になったようです。

そして2017年9月16日には、バブリーダンスの公式ミュージックビデオがYouTubeで公開されました。

動画は公開後に大きな反響を呼び、学校のダンス部活動としては異例の注目を集めました。

伊原さんは、動画を見たさまざまな世代の人から寄せられた言葉に励まされたと振り返っています。

大会で優勝できなかった悔しさを抱えていた部員たちにとっても、大きな出来事だったのでしょう。

2017年当時のダンスは、振付師akaneさんの公式YouTubeチャンネル「アカネキカク」で公開されています。

伊原さんが高校生だったころの姿や、大勢の部員によるダンス、バブル時代を再現した衣装と表情を映像で見ることができます。

バブリーダンスの反響はテレビ番組やイベントにも広がり、登美丘高校ダンス部は2017年のNHK紅白歌合戦にも出演しました。

紅白歌合戦では、郷ひろみさんのパフォーマンスにダンス部のメンバーが参加しています。

大阪の高校で始まったダンスが、全国的に知られる存在となったのです。

このころ、伊原さん自身にも、高校卒業後の進路に関わる大きな変化が訪れていました。

伊原六花の芸能界入り|スカウトを受けて進路を変更

バブリーダンスで注目を集めた高校3年生のころ、伊原六花さんは芸能事務所から声をかけられました。

それまでも舞台や演技に興味はありましたが、芸能界で仕事を始めることを具体的に予定していたわけではありませんでした。

高校在学中にフォスターと契約し芸能界へ

伊原さんは、2017年に芸能事務所フォスターと契約し、芸能界へ進むことになりました。

高校時代には「林沙耶」という名前で紹介されていましたが、芸能活動では「伊原六花」の名前を使用しています。

当時の名前と芸能活動での名前が違うため、バブリーダンスの映像を見ていた人のなかには、後に女優として出演する伊原さんと同一人物だと知って驚いた人もいたかもしれません。

本人は後年のインタビューで、芸能事務所から声をかけられるまでは、すぐに芸能界で仕事をするという道を考えていなかったと話しています。

子どものころからミュージカルやダンスを続け、舞台に立つことは好きでした。

それでも、プロの仕事として芸能界に入るとなれば、学校での活動とは環境が大きく変わります。

伊原さんにとって、事務所からの誘いは、それまで考えていた進路を見直すきっかけになりました。

大学進学を考えていた高校生が上京を決める

高校卒業後、伊原さんは当初、大学への進学も考えていました。

ダンスを続けたり、人に教える仕事をしたりすることも、進路の候補にあったそうです。

そんななかで芸能界への誘いを受け、家族とも相談しながら新しい道を選びました。

両親は、まずは挑戦してみたらどうかと背中を押してくれたといいます。

大学進学を考えていた高校生は、芸能界で女優の仕事に挑戦することを決めました。

2018年3月には登美丘高校を卒業します。

卒業に際しては、一緒にバブリーダンスを踊った同期の部員たちとコーチのakaneさんが、伊原さんのためにサプライズを用意しました。

仲間たちは応援の気持ちを込めたダンスを披露し、女優として歩き始める伊原さんにエールを送りました。

高校で一緒に練習してきた仲間たちに送り出され、伊原さんは新しい生活へと進みます。

幼いころから続けてきた表現活動は、学校や地域の舞台を離れ、仕事として取り組むものに変わりました。

伊原六花の女優デビュー|2018年『チア☆ダン』でテレビドラマ初出演

2018年に高校を卒業した伊原六花さんは、芸能活動を本格的に始めました。

そして同じ年、TBSの連続ドラマ『チア☆ダン』に出演します。

この作品が、伊原さんにとって初めてのテレビドラマ出演となりました。

高校卒業後の新生活と初期の芸能活動

高校卒業後の伊原さんは、大阪を離れ、東京で芸能活動に取り組むようになりました。

2018年には広告のイメージキャラクターにも起用され、女優としての仕事と並行して、さまざまな活動が始まります。

高校時代には、ダンス部の仲間やコーチと毎日のように顔を合わせて練習をしていました。

一方、芸能界に入ってからは、作品ごとに異なる出演者やスタッフと出会い、その現場で一つの作品を作ることになります。

幼少期から舞台で演技を経験していても、テレビドラマの撮影には、また違った難しさがありました。

舞台では物語の始まりから終わりまで続けて演じるのに対し、映像作品では場面ごとに撮影が進むこともあります。

2024年のBunkamuraのインタビューでも、舞台での演技と、カメラを間近に向けられる映像の仕事では緊張の感じ方が異なると話しています。

そうした環境の違いに触れながら、伊原さんは俳優としての仕事を覚えていきました。

麻生芙美役で挑んだ初めての連続ドラマ

2018年7月に放送が始まった『チア☆ダン』で、伊原さんが演じたのは麻生芙美という高校生です。

芙美は、ダンスに対して自分の考えを持ちながらも、一歩を踏み出すことに迷う場面がある人物でした。

TBSの公式インタビューでは、伊原さんが出演決定時の気持ちを語っています。

初めてのドラマ出演なので、まずは役をいただけたことがうれしかったです。

出典:TBS『チア☆ダン』公式サイト「麻生芙美役 伊原六花さん&梶山カンナ役 足立佳奈さん インタビュー」(2018年)

ダンスに熱い気持ちを持つ芙美には、自分と似ている部分もあると感じていたそうです。

また、伊原さんはダンスの経験者でしたが、チアダンスは初めてでした。

チアダンスでは、さまざまな種類のダンスを一曲のなかで踊り分け、チーム全体の動きもそろえる必要があります。

そのため、基礎的な動きから練習したと明かしています。

共演した足立佳奈さんは、伊原さんがダンス練習の際に仲間を引っ張り、練習後にもアドバイスをしてくれたと話していました。

高校時代にキャプテンを経験した伊原さんの姿が、初めてのドラマ撮影でも見られたようです。

『チア☆ダン』への出演によって、伊原さんはテレビドラマの俳優として第一歩を踏み出しました。

バブリーダンスで注目された経験を持ちながら、今度はドラマの登場人物として踊り、言葉を使って感情を表現する仕事が始まったのです。

伊原六花の転機|初主演から『ブギウギ』、主演俳優への歩み

『チア☆ダン』でのデビュー後、伊原六花さんは連続ドラマ、映画、舞台へと活動の場を広げていきました。

高校時代のダンスだけでなく、子どものころに親しんだミュージカルや演技の経験も生かしながら、さまざまな役に挑戦しています。

2019年『明治東亰恋伽』で連続ドラマ・映画初主演

2019年には、ドラマ・映画『明治東亰恋伽』で綾月芽衣役を演じました。

原作は、明治時代を舞台にした恋愛ファンタジー作品です。

伊原さんは、現代から明治時代へと迷い込む主人公を演じました。

この作品では、連続ドラマと映画で初めて主演を務めました。

『チア☆ダン』でのテレビドラマ初出演から、約1年後のことです。

同じ2019年には、NHK連続テレビ小説『なつぞら』にも出演しました。

その後も主演の機会が増え、2020年にはドラマ『どんぶり委員長』で主演を務めています。

2018年のデビューから数年の間に、単独の作品を中心となって担う役も経験していきました。

舞台『友達』で向き合った演技の難しさ

映像作品に出演する一方で、伊原さんは舞台の仕事にも取り組みました。

2021年には、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』でジュリエット役を演じています。

子どものころから親しんできた歌や踊り、演技を組み合わせる舞台への出演でした。

そして同じ2021年、安部公房の戯曲を加藤拓也さんが演出した舞台『友達』に出演します。

この作品は、伊原さんが後に大きな学びを得た舞台として挙げているものです。

2024年のBunkamuraのインタビューでは、共演者たちが演劇作品や作家、演出家について自然に話していることに驚いたと振り返っています。

自分は出演する作品に一生懸命取り組んでいたものの、演劇の世界には知らないことがまだたくさんあると感じたそうです。

その経験をきっかけに、ただ作品を観るだけでなく、作家や演出家、作品が生まれた背景などについても調べるようになりました。

本人は、知識を深めることで、俳優としての表現や仕事がさらに面白くなると語っています。

『友達』は、伊原さんが演劇への向き合い方を見つめ直す転機になった作品でした。

小学生のころ、ミュージカルを観て自分も舞台に立ちたいと思った伊原さんが、俳優として舞台に戻り、今度は演劇そのものを深く学ぶようになったのです。

『ブギウギ』出演と『肝臓を奪われた妻』主演

2023年度後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』では、秋山美月役を演じました。

秋山美月は、劇中の梅丸少女歌劇団に所属するダンサーです。

伊原さんは、高校時代までに磨いてきたダンスを生かしながら、この役を演じました。

高校ダンス部のキャプテンとして知られた2017年から、6年後のことでした。

そして2024年には、日本テレビ系ドラマ『肝臓を奪われた妻』で主演を務めています。

演じたのは、夫との結婚生活によって人生を大きく変えられ、復讐へと向かう主人公・北山優香です。

ダンスを題材にした役とは異なり、登場人物の怒りや悲しみ、複雑な感情を表現することが求められる作品でした。

2025年には『パラレル夫婦 死んだ“僕と妻”の真実』で伊野尾慧さんとダブル主演を務め、同年の『恋愛禁止』でも主演を担っています。

出演作品が増えるなかで、伊原さんは役を演じる準備についても、自分なりの考えを持つようになりました。

2024年のBunkamuraのインタビューでは、台本を繰り返し読み、役の背景や考え方について十分に向き合ってから現場に入ることを大切にしていると語っています。

幼いころに姉を追いかけて始めたバレエ、小学生時代のミュージカル、高校でのバブリーダンス、そして映像作品での演技。

それぞれの時期に、新しい表現や人との出会いがありました。

伊原六花さんが女優として歩み始めるまでには、芸能界入り以前から長く続いていた舞台とダンスの時間があったのです。