PROFILE
人物プロフィール
2026年のTBS日曜劇場『VIVANT』第2シーズンで、中国の諜報組織「シンシー」の工作員・周浩然(シュウ・ハオラン)を演じた俳優のリンリンさん。
眉毛のないスキンヘッド姿で登場し、冷徹な役柄を演じたことで、その正体や経歴に関心が集まりました。
実はリンリンさんは、宮崎県で学生時代を過ごし、東京の理系大学へ進学した後、中国でも俳優として活動してきた人物です。
日本で演技を学び、中国で経験を重ね、再び日本の大作ドラマで存在感を示すまでには、いくつもの転機がありました。
宮崎での少年時代や家族、芸能界入りのきっかけ、中国での主演経験から『VIVANT』出演まで、リンリンさんの歩みをたどります。
リンリンの生い立ち|宮崎で育った少年時代
リンリンさんは、1982年11月2日生まれの俳優です。
日本ではカタカナの「リンリン」、中国では胡宁林(フー・ニンリン)という名前で活動してきました。
日本語と中国語を使い分け、両国の映像作品に出演していることも、リンリンさんの特徴です。
宮崎で過ごした子ども時代
リンリンさんは、本人の公式Instagramで宮崎県出身と紹介しています。
出身校として挙げられているのは、宮崎県小林市の小林南小学校と小林中学校です。
小中学校時代を宮崎県内で過ごし、その後も県内の高校へ進学しました。
ただし、出生地については中国の人物資料と過去のドキュメンタリー番組の紹介で記述が異なっています。そのため、宮崎県出身という情報を、そのまま出生地と同一視することはできません。
幼少期の具体的な思い出として本人が明かしているのが、戦隊ヒーローへの憧れです。
2026年9月、リンリンさんは自身のInstagramに子どものころの写真を投稿し、幼いころは戦隊ヒーローのレッドになりたいと思っていたことを振り返りました。
投稿には『VIVANT』で演じた周浩然の姿も登場しており、子どものころに憧れたヒーローと、大人になって演じた悪役をユーモアを交えて結びつけています。
『VIVANT』の険しい表情からリンリンさんを知った人にとっては、幼少期の写真と本人の言葉から、作品とは違った一面を感じられる投稿です。
小学校・中学校で続けたバスケットボール
リンリンさんの学生時代を語るうえで、もう一つ外せないのがバスケットボールです。
公開されている経歴では、小学校から高校までバスケットボール部に所属していたと紹介されています。
中学校時代には市の選抜メンバーに選ばれたという記録もあり、長い期間にわたって競技に取り組んでいました。
身長180センチというプロフィールも公開されていますが、経験したポジションや大会での具体的な成績までは明らかになっていません。
小林市で過ごした学校生活には、学業だけでなく、バスケットボールに打ち込んだ時間もありました。
リンリンの家族|日中にルーツを持つ家庭環境
リンリンさんの生い立ちには、日本と中国の両方が関わっています。
2018年、中国の映像制作会社「和之夢」が制作したドキュメンタリー番組『我住在这里的理由』では、リンリンさんの家族の暮らしが紹介されました。
番組制作元の説明によると、リンリンさんは日本と中国にルーツを持つ人物で、幼いころに家族と中国へ移った経験があります。
一方、中国の人物百科には南京で生まれて4歳ごろ日本へ移ったという異なる記述があり、出生地や幼少期の移動順序を一つに確定することは難しい状況です。
リンリンさんの出生地については「日本生まれ」と「中国・南京生まれ」の異なる記述があります。宮崎県出身であることと、出生地・国籍は分けて考える必要があります。
父親と母親のどちらが日本または中国にルーツを持つのか、兄弟姉妹が何人いるのかについても、確実な情報は限られています。
ただ、成人後には日本語と中国語を使って俳優活動を行っており、本人のプロフィールでも両言語をネイティブレベルで使用できることが紹介されています。
妻・李亜容との出会いと結婚
リンリンさん自身が家庭を持つようになってからの暮らしは、2018年のドキュメンタリー『我住在这里的理由』第134回に記録されています。
この回の中心人物として取り上げられたのが、中国でモデルや司会者として活動していた妻の李亜容(リー・ヤーロン)さんです。
二人が出会ったのは2011年、中国のバンド「カフェイン楽隊」のミュージックビデオ『時光』の撮影でした。
二人とも撮影に参加しており、その現場が出会いのきっかけになったと、番組制作元の和之夢は紹介しています。
李亜容さんは中国でモデルや司会者として仕事を重ねていましたが、その後リンリンさんと結婚し、日本へ生活の拠点を移すことになります。
2017年5月には子どもが生まれ、夫婦は子どもの教育や将来の生活を考え、日本で暮らすことを選びました。
2018年のドキュメンタリーは、当時の夫妻が仕事や育児に向き合いながら暮らしていた様子を伝えています。
その後、2026年10月17日に公開されたTBS公式のインタビューでは、リンリンさんが『VIVANT』出演を妻だけに伝え、子どもたちには秘密にしていたことを明かしました。
撮影後、スキンヘッドなど大きく変わった姿で帰宅した際には、上の子が笑い、二番目の子は泣き、末っ子は妻の後ろに隠れたと振り返っています。
2018年のドキュメンタリーから年月が流れ、2026年には3人の子どもの父親として家族との時間を過ごしている様子もうかがえます。
俳優として活動するリンリンさんの歩みには、育った家庭だけでなく、妻や子どもたちとの暮らしも重なっていました。
リンリンの学生時代|宮崎西高校から東京農工大学へ
宮崎県で学校生活を送ったリンリンさんは、中学校卒業後、宮崎県立宮崎西高等学校へ進学しました。
その後、東京農工大学で生命工学を学びながら、演技の勉強も始めることになります。
理系の進路を歩んでいた学生が、いつ俳優を目指すようになったのでしょうか。
宮崎西高校理数科で学び、俳優を志す
リンリンさんの出身高校として紹介されているのは、宮崎県立宮崎西高等学校の理数科です。
宮崎西高校では理系科目を中心に学び、バスケットボールも続けていました。
公開されている経歴によると、当初は医師になることを目指していたそうです。
ところが、高校3年生のころに進路への考え方が変わり、俳優を志すようになったと紹介されています。
医師を目指していた理系の高校生が、卒業を前に俳優という別の職業へ関心を向けたことになります。
俳優を目指すようになった直接の出来事や、特定の映画・ドラマから影響を受けたのかについては、本人による詳しい証言が確認できていません。
ただ、高校時代に進路を変えようとしたという経歴は、その後の行動を理解する重要な手がかりです。
高校卒業前に芸能事務所へ連絡した経緯
芸能界への最初の具体的な行動として紹介されているのが、芸能事務所へのデモテープ送付です。
高校卒業を控えた時期にデモテープを送り、芸能事務所「スカイコーポレーション」への所属が決まったという経歴が伝えられています。
スカウトを待つのではなく、自分から芸能事務所へ働きかけたという点が特徴的です。
ただし、送付したデモテープの内容や審査の流れ、所属が決まった正確な年月までは確認できていません。
また、事務所への所属と俳優としてのデビューは別の出来事です。所属が決まった時点で、映像作品への出演が始まったとまでは断定できません。
リンリンさんは高校卒業前から芸能界を目指し、大学進学後も演技の道を追い続けました。
東京農工大学で生命工学と演技を学ぶ
高校卒業後、リンリンさんは宮崎を離れて上京し、東京農工大学工学部生命工学科へ進学しました。
東京農工大学は農学と工学を専門とする国立大学で、生命工学科では生物や化学などに関わる専門分野を扱います。
リンリンさんも大学では生命工学を学んでいたと紹介されています。
一方、大学での学業と並行して、演技の勉強にも取り組むようになりました。
高校時代に俳優を志した後も、すぐに大学進学をやめたわけではありませんでした。
理系の学問を学びながら、将来の仕事として演技を考える生活を続けていたのです。
大学時代に通っていた具体的な演技教室や、最初に受けたレッスンの内容については、詳しい記録が限られています。
それでも、大学進学後に演技の勉強を始め、その後、実際の映像作品に出演するようになったことは、リンリンさんの進路をたどるうえで重要な流れです。
高校での進路変更から、東京の大学で学業と演技を並行する時期を経て、リンリンさんは俳優として活動する道へ進んでいきました。
リンリンの俳優活動の始まり|日本から中国へ渡るまで
俳優としてのリンリンさんの経歴は、中国の作品から始まったわけではありません。
中国へ渡る前に、日本のテレビドラマに出演した記録があります。
その後、中国で演技を学び、胡宁林という名前で映画やドラマに出演するようになりました。
日本での初期活動と『課長島耕作2』への出演
リンリンさんの日本での初期出演作として確認できるのが、2008年10月1日に日本テレビ系で放送されたドラマ『課長島耕作 特別編 香港の誘惑』です。
出演記録では「香港ワンダラー社員」という役で紹介されています。
『課長島耕作』は弘兼憲史さんの漫画を原作とする作品で、会社員の島耕作を主人公にした物語です。
2008年の特別編は香港を舞台にしたストーリーで、リンリンさんの出演も確認されています。
この出演記録は、リンリンさんが中国へ渡る前から日本の映像作品に参加していたことを示しています。
ただし、これが俳優として生涯最初の仕事だったと断定できる資料は確認できていません。
そのため、『課長島耕作 特別編 香港の誘惑』は、確認できる初期出演作の一つとして捉えるのが正確です。
翌2009年には、テレビドラマ『かりゆし先生ちばる!』への出演も中国側の作品記録に残っています。
日本で出演経験を重ねていたリンリンさんですが、その後、活動の場を大きく変えることになります。
中国へ渡り、北京電影学院で演技を学ぶ
リンリンさんは20代後半のころ、日本で所属していた芸能事務所を離れ、中国へ渡ったと紹介されています。
中国で入った学校として挙げられているのが、北京電影学院です。
北京電影学院は、映画や演技、映像制作などを専門的に学ぶ中国の教育機関です。
リンリンさんについては、同校の表演系表演進修科で演技を学んだという経歴が伝えられています。
東京農工大学で生命工学を学びながら演技の勉強を始めた時期とは異なり、中国では演技を専門とする学校で学ぶ段階へ進んだことになります。
一方、北京電影学院については、修了したとする中国側の資料と、映画出演の決定に伴い2010年に中退したとする日本側の記述があります。
在籍して演技を学んだという経歴は確認できますが、卒業・修了したとまでは断定できません。
また、中国へ渡った理由についても、本人が一つのきっかけを明確に説明した発言は限られています。
日本での俳優活動を経て、中国の演技教育を受け、現地の映画やテレビドラマへ出演するようになったことが、確認できる大きな流れです。
日本で芸能活動を始めたリンリンさんは、中国で学び、俳優としての出演経験を重ねていきました。
胡宁林名義で中国の映画・ドラマに出演
中国での俳優活動では、リンリンというカタカナ名ではなく、胡宁林という中国語表記を使用しています。
中国の出演記録には、2011年の映画『大魔術師』が挙げられています。
同作では黒鷹会の一員を演じたと記録されており、中国映画の現場で出演経験を積んでいたことが分かります。
2012年には、日本のNHKドラマ『開拓者たち』で八路軍士官を演じたという記録もあります。
日本と中国のどちらか一方だけで活動していたわけではなく、両国の作品への出演が経歴に残っているのです。
中国ではその後もテレビドラマに出演し、2013年の『義勇義勇』では山崎、2014年の『冒牌英雄』では小林という人物を演じています。
2015年の『生死血符』では竹下、2016年の『宜昌保衛戦』では佐川という役で出演した記録があります。
役名を見ても、日本に関係する人物を演じる機会があったことが分かります。
ただし、日中両国の言語を使えることがそれぞれの配役の直接の決定理由だったかどうかは、制作側の証言がないため断定できません。
また、2013年の映画『天機・富春山居図』では、映像への出演とは別に、登場人物の山本の声を担当したという記録があります。
映像への出演と声の仕事を分けて確認すると、中国での活動が実写作品への出演だけに限られていなかったことも分かります。
中国で積み重ねたこうした経験は、その後の主演作品にもつながっていきました。
リンリンの転機|中国での俳優経験から日本の大作へ
中国へ渡ったリンリンさんは、映画やテレビドラマへの出演を続ける中で、主演を務める作品にも参加するようになりました。
一方、私生活では結婚して子どもが生まれ、家族とともに日本へ生活の拠点を移す時期も経験しています。
中国での仕事と日本での暮らしが重なった後、日本の大河ドラマや連続ドラマにも出演するようになりました。
中国作品『忍者通告』などで主演を経験
リンリンさんの中国での出演歴の中でも、特に分かりやすい転機となる作品が映画『忍者通告』です。
中国では2018年に公開された作品で、リンリンさんは主人公の夏五環(シア・ウーホアン)を演じました。
夏五環は映画監督になる夢を持ちながら、日本で結婚式の撮影を仕事にしている人物です。
ある出来事をきっかけに忍者組織と関わり、女性忍者の柚子とともに、忍者たちの宣伝映像を撮影することになります。
映画制作と忍者を組み合わせたコメディー作品で、リンリンさんは物語の中心となる役を担当しました。
公開当時の中国の映画記事でも、リンリンさんが主演の夏五環を演じたことが明記されています。
それまでの中国ドラマでの出演に加え、映画の主演として作品全体を引っ張る役を経験したことは、俳優としてのキャリアをたどるうえで重要な出来事です。
2018年には、ネット映画シリーズ『我在東京打妖怪』にも主演したと記録されています。
こうして中国で主演経験を重ねたリンリンさんですが、日本へ生活の拠点を移した後は、俳優としての仕事が順調に続いたわけではありませんでした。
家族と日本へ戻り、俳優の仕事を探した時期
2018年、中国のドキュメンタリー番組『我住在这里的理由』第134回で、妻の李亜容さんと家族の日本での暮らしが取り上げられました。
番組を制作した「和之夢」の記録によると、夫妻は中国で生活した後、子どもの教育などを考えて日本へ移り、当初は宮崎で暮らしました。
その後、仕事を求めて東京へ移った家族の生活も紹介されています。
当時、リンリンさんは日本で安定した俳優の仕事を得ることが難しく、妻がモデルの仕事に出かける間は子どもの世話をしたり、妻の仕事に同行して意思疎通を助けたりしていました。
李亜容さんは中国でモデルや司会者として働いていましたが、日本へ移ったことで、言葉や仕事の環境が大きく変わりました。
日本語が十分に話せない妻をリンリンさんが支え、妻もモデルとして仕事を続けながら、家族で新しい生活を築こうとしていたのです。
中国ではすでに映画やドラマへ出演していましたが、日本へ生活の場を移した後も、同じように俳優の仕事を続けられたわけではありませんでした。
2018年のドキュメンタリーに残された記録は、俳優として出演歴を積み重ねてきたリンリンさんが、家族とともに新しい環境へ適応しようとしていた時期を伝えています。
中国で主演を経験した後、日本で改めて仕事を探しながら家族と暮らす時期があったことも、リンリンさんの経歴における大切な一部分です。
その後もリンリンさんは俳優としての活動を続け、日本の大河ドラマや連続ドラマへの出演につなげていきました。
『光る君へ』『東京サラダボウル』への出演
中国での俳優活動と日本での生活を経験したリンリンさんは、その後、日本のテレビドラマでも役を演じるようになりました。
2024年には、NHK大河ドラマ『光る君へ』へ出演しています。
『光る君へ』は、吉高由里子さんが演じる紫式部を主人公に、平安時代の人々を描いた作品です。
リンリンさんが演じたのは、宋の商人羌世昌(チャン・シーチャン)です。
第22回「越前の出会い」と第23回に出演した記録があり、日本の歴史ドラマで中国に関わる人物を演じたことになります。
若いころに理系大学へ進学し、その後、中国へ渡って俳優活動を続けてきたリンリンさんにとって、NHK大河ドラマへの出演は日本での重要な仕事の一つとなりました。
さらに、2025年にはNHKのドラマ『東京サラダボウル』に出演し、宋睿という人物を演じています。
『東京サラダボウル』は、東京に暮らす外国人と、その人々に関わる警察官や通訳人たちを描いた作品です。
リンリンさんの出演歴を時系列で見ると、中国での俳優活動から、日本の大河ドラマや連続ドラマへと出演の場が広がっていったことが分かります。
このころまでに、日本語と中国語を使って活動する俳優として、さまざまな設定の人物を演じる経験を重ねていました。
2024年の『光る君へ』、2025年の『東京サラダボウル』への出演を経て、次に大きな注目を集めたのが『VIVANT』でした。
『VIVANT』の周浩然役で注目を集める
2026年、リンリンさんはTBS日曜劇場『VIVANT』第2シーズンに出演しました。
演じたのは、中国の秘密諜報組織「シンシー」に所属する工作員、周浩然(シュウ・ハオラン)です。
周浩然は、眉毛のないスキンヘッドと険しい表情が印象的な人物として登場しました。
『光る君へ』で演じた宋の商人とは、外見も役柄も大きく異なります。
『VIVANT』第2シーズンでは、周浩然が別班員たちに関わる場面を通して、リンリンさんの演技が視聴者の間で話題になりました。
特に2026年10月4日に放送された第19話では、別班員の和田貢に対する残酷な行為を演じ、役柄に対する強い反応が寄せられました。
リンリンさんは同月、自身のInstagramで寄せられた感想に触れ、次のようにコメントしています。
役者冥利に尽きるよ 全部ひっくるめて、ありがとう
出典:リンリン公式Instagram(2026年10月6日の投稿)
悪役として嫌われるほど強い反応を受けたことに対し、俳優本人が感謝を述べた言葉です。
2026年10月17日に公開されたTBS公式インタビューでは、『VIVANT』出演へ至る経緯も明らかになりました。
リンリンさんは、俳優業だけでなく、会社員としての仕事も続けているといいます。
仕事で仙台に滞在していた際、株式会社LANTERNの担当者から、海外で1~2か月撮影する可能性のある作品について連絡を受けました。
その時点では作品名も出演者も知らされていませんでしたが、リンリンさんは『VIVANT』ではないかと直感したそうです。
その後、LANTERNを通じてオーディションを受け、周浩然役への出演が決まりました。
『VIVANT』のプロデューサーである飯田和孝さんも、リンリンさんがオーディションで語った思いや覚悟が印象に残っていることを、自身のXで明かしています。
中国で映画やドラマへの出演経験を積み、日本でも活動を続けてきたリンリンさんにとって、このオーディションは新たな大役につながる機会となりました。
約6キロ増量し、スキンヘッドで挑んだ役作り
周浩然の印象的な姿は、役作りのために準備されたものでした。
2026年10月17日のTBS公式インタビューによると、リンリンさんは役に合わせて約6キロ増量し、髪を剃って撮影に臨みました。
軍服を着たときに体格が十分な迫力を持つよう、体づくりにも取り組んだといいます。
また、周浩然という人物について、単純な悪役にはしたくなかったと説明しています。
シンシーにはシンシーなりの目的や正義があり、その組織のために行動する人物として周を捉えていたそうです。
その一方で、別班を応援している視聴者には、しっかり腹立たしく感じてもらえる役にしたいとも考えていました。
結果として、周浩然の冷酷な行動には多くの視聴者から強い反応が寄せられました。
リンリンさんは、共演した堺雅人さんが撮影現場で気さくに話しかけ、演技の提案にも応えてくれたことを振り返っています。
ただ、カメラが回れば敵同士。堺さんへの尊敬の気持ちとは別に、乃木憂助と真正面から対峙することを意識していたと語りました。
俳優として培ってきた経験に加え、体格や外見まで変える準備を重ねたことが、周浩然という印象的な役につながったのです。
宮崎の理系高校から東京農工大学へ進み、中国で演技を学び、映画の主演を経験したリンリンさん。その歩みが、日本の大作ドラマでの重要な役へとつながりました。
日本ではリンリン、中国では胡宁林という名前で活動し、仕事と家族との生活を大切にしながら俳優活動を続けてきたリンリンさん。
中国で主演を務めた『忍者通告』、日本の大河ドラマ『光る君へ』、そして『VIVANT』の周浩然役は、それぞれ異なる時期に生まれた俳優としての仕事です。
『VIVANT』で見せた強烈な悪役の姿の背景には、日本と中国を行き来しながら積み重ねてきた俳優としての経験と、長年続けてきた演技への思いがありました。
















