横浜流星の生い立ち|家族・学歴と空手世界一から俳優になるまで

横浜流星の生い立ちと家族・学歴、空手世界一から俳優になるまでの歩みを紹介する、人物イラストと金色の枝葉を配した表紙

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
よこはまりゅうせい
カテゴリー
男性俳優
出身地
神奈川県
生年月日
1996年9月16日
芸能活動開始
2009年
俳優デビュー
2011年
デビューのきっかけ
スカウト

横浜流星さんは、中学3年生で極真空手の国際大会に優勝し、その後、俳優として大きな活躍を見せるようになった人物です。

1996年9月16日に神奈川県横浜市で生まれ、埼玉県で育ちました。

小学1年生から空手に打ち込む一方、小学6年生の夏に家族で訪れた原宿でスカウトされ、芸能界へ足を踏み入れています。

モデルやEBiDANでの活動を経験し、2011年にはテレビドラマにも出演しました。

高校時代には、大学進学、格闘技の道、俳優の仕事という選択肢の間で悩んだこともあったそうです。

そんな横浜さんの進路を考えるうえでは、大工の父親や明るい母親、幼いころから仲の良かった弟との関係も欠かせません。

今回は、そんな横浜流星さんの生い立ちや家族、学生時代から俳優になるまでの道のりをご紹介します。

横浜流星の生い立ち|横浜市で生まれ埼玉県で育った少年時代

横浜流星さんの生い立ちをたどると、子どものころから体を動かすことが好きだった少年の姿が見えてきます。

俳優になる前の横浜さんの生活で、大きな割合を占めていたのが空手でした。

ただし、最初から空手一筋だったわけではありません。

横浜市で誕生し埼玉県で育った幼少期

横浜流星さんは、1996年9月16日に神奈川県横浜市で生まれました。

名前の「横浜」は芸名ではなく、本名の名字です。

生まれた場所も横浜市ですが、子ども時代を過ごしたのは埼玉県でした。

2019年の『大學新聞』のインタビューでは、幼少期について振り返り、1歳年下の弟とよく遊んでいたことを明かしています。

また、小学生になると、さまざまなスポーツに触れるようになりました。

サッカーや野球、水泳なども経験しており、最初から特定の競技だけに取り組んでいたわけではなかったようです。

そのなかで、自分が続けたいと思ったものが空手でした。

小学1年生で空手を始めたきっかけ

横浜さんが空手を始めたのは、小学1年生のときです。

2019年の『anan』のインタビューでは、幼いころにいろいろなスポーツを経験し、そのうえで空手を選んだことを話しています。

空手がやりたい

出典:anan「『空手』世界チャンピオンから俳優へ 横浜流星が転向を決めたのは…」(2019年1月28日)

本人が興味を持って始めた習い事は、その後の少年時代に欠かせないものとなっていきます。

空手では、技を覚えるだけでなく、日々の練習を重ね、試合に出場して実力を試していきました。

やがて国際大会で優勝するほどになりますが、それは小学生のころから競技を続けてきた先にある出来事でした。

興味深いのは、空手に真剣に取り組んでいた時期と、芸能界での活動を始めた時期が重なっていることです。

空手の道を進むか、芸能活動を続けるかという問題は、もう少し成長してから横浜さんが向き合うことになります。

横浜流星の家族|大工の父親・明るい母親・1歳下の弟

横浜流星さんは、父親、母親、1歳年下の弟がいる4人家族で育ちました。

家族構成は、2012年に本人がEBiDANの公式ブログで紹介しています。

父親と母親については、後年のテレビ番組やインタビューでも、それぞれの性格や思い出を語っています。

父親は大工|「流星」という名前に込めた願い

横浜さんの父親は、大工の仕事をしている人です。

横浜さんは父親について、口数が少なく、昔ながらの職人気質を感じさせる人物だと話しています。

2019年の『大學新聞』のインタビューでは、子どものころ、父親と同じ大工の仕事に興味を持っていたことも明かしました。

俳優になる以前は格闘技の選手になることも考えていましたが、父親の仕事も憧れの対象だったのです。

さらに、「流星」という名前を付けたのも父親でした。

横浜さんは2012年8月18日のEBiDAN公式ブログで、名前に込められた意味を紹介しています。

自信を持てる事を持って輝いて欲しいらしいです!

出典:EBiDAN公式ブログ「横浜流星☆彡」(2012年8月18日)

自信を持てるものを見つけ、それを大切にして輝いてほしいという願いが込められていたようです。

名前を考えていたころに流れ星を見たという話も家族から聞いており、後年のテレビ番組でもそのエピソードに触れています。

ただ、横浜さん自身は流れ星の話が本当なのか少し疑っている様子も見せていました。

父親への思いは、俳優になってからも変わっていないようです。

2023年の『LEON』のインタビューでは、父親を自分の理想とする男性像として語っています。

少年時代に憧れた父親の働く姿は、芸能界という別の職業を選んだ後も、横浜さんの記憶に残っていました。

明るい母親と幼少期の家庭での思い出

横浜さんは母親について、明るい性格の人だと紹介しています。

口数の少ない父親とは対照的で、家族のなかでも母親の明るさが印象に残っているようです。

2022年に出演した『ボクらの時代』では、父親と母親の性格の違いや、自分が子どもだったころの家庭での様子を振り返っています。

幼いころの横浜さんは、家でいつもおとなしく過ごすタイプではなく、母親から叱られることもあったそうです。

本人が語る家族の話からは、明るい母親と寡黙な父親という、性格の異なる両親に囲まれて育った様子がうかがえます。

また、両親は横浜さんの進路について、本人の希望を尊重していたこともわかっています。

空手を続けることも、芸能界で仕事をすることも、本人の意思が大切にされていました。

高校卒業後の進路で悩んだ際にも、両親との会話が大きな役割を果たすことになります。

1歳下の弟と一緒に過ごした子ども時代

横浜さんには、1歳年下の弟がいます。

2019年の『大學新聞』のインタビューでは、弟との関係について、次のように話していました。

弟が大好きで、幼少期はいつも一緒に遊んでいました。

出典:大學新聞「俳優・横浜流星さんインタビュー」(2019年5月10日)

弟が好きだった横浜さんには、一緒に遊ぶなかで失敗してしまった思い出もあります。

2019年1月、映画『愛唄 -約束のナクヒト-』の親子試写会では、自身の幼少期の写真を披露しました。

その際、母親が洗濯をしている間に弟を外へ連れ出して迷子になったことや、家で遊びに夢中になり、弟と一緒に窓ガラスを割ってしまったことを振り返っています。

当時の写真と横浜さん自身の言葉は、MANTAN TVが公開した試写会の映像でも見ることができます。

幼いころから弟と一緒に過ごし、さまざまなスポーツを経験し、空手に夢中になっていったのが横浜さんの子ども時代でした。

そして、小学6年生の夏には家族で出かけた先で、芸能界につながる出来事が起こります。

小学6年生で原宿スカウト|モデル・EBiDANとしての活動

横浜流星さんが芸能界に入ったきっかけは、小学6年生のときに受けたスカウトでした。

俳優を目指して自分からオーディションを受けに行ったわけではありません。

家族で東京へ出かけた日の出来事が、横浜さんの生活に新しい活動を加えることになりました。

家族で訪れた原宿でスカウトされた小学6年生の夏

横浜さんは小学6年生の夏、家族と一緒に原宿を訪れました。

本人の2012年のEBiDAN公式ブログによると、このときは家族で初めて原宿へ行ったそうです。

そこで芸能事務所から声をかけられました。

横浜さんは当時、空手に取り組んでいましたが、芸能界にも興味を持っていたため、活動を始めることになりました。

原宿でのスカウトは、俳優デビューではなく、芸能界への入口となった出来事です。

このあと、横浜さんはモデルやEBiDANでの活動を経験し、少しずつ演技の仕事にも関わっていきます。

空手を辞めて芸能界に移ったのではなく、両方に取り組む時期が続いていたことも特徴的です。

家族での何気ない外出から始まった仕事は、中学生になってからも続いていきました。

『ニコ☆プチ』『nicola』のモデル活動

芸能活動の初期には、テレビCMや雑誌のモデルなどの仕事を経験しました。

そのなかで、女子小中学生向けファッション誌『ニコ☆プチ』や『nicola』にも関わっています。

『nicola』では男性モデル、いわゆる「メンモ」として活動していました。

2012年5月の本人ブログには、撮影についての率直な感想が残されています。

ニコラの撮影は表情など作るのが難しいですが

出典:EBiDAN公式ブログ「横浜流星でーーす(^^)」(2012年5月1日)

空手の試合とは異なり、カメラの前で表情を作ることに難しさを感じていたようです。

同じブログでは、撮影を通じてさまざまな経験をさせてもらっていることにも触れています。

このころの横浜さんにとって、芸能界はまだ経験を積んでいる途中の場所でした。

モデルとして写真に撮られること、カメラの前で自分を見せることに少しずつ慣れていった時期だったのでしょう。

一方で、空手の練習や学校生活も続いていました。

EBiDAN時代と空手・芸能活動の両立

横浜さんは、スターダストプロモーションの若手男性タレントによるEBiDANの活動にも参加していました。

EBiDANの公式ブログには、当時の横浜さんが自分の言葉で書いた記事が複数残っています。

家族のこと、学校や仕事のこと、モデル撮影についての感想などが書かれており、10代の横浜さんの様子を知ることができます。

2012年5月には、ZONEの楽曲『treasure of the heart ~キミとボクの奇跡~』のミュージックビデオに関わったこともブログで紹介していました。

この映像の監督は三木孝浩さんです。

テレビドラマや映画だけでなく、音楽に関わる映像作品への出演も、初期の仕事の一つとなっていました。

ただし、モデルやEBiDANでの活動を、そのまま俳優デビューと考えることはできません。

芸能界で活動を始めた時期と、演技の仕事を始めた時期は、分けて見る必要があります。

その一方、空手では中学生のうちに大きな結果を残していました。

芸能活動を始めてからも、競技への取り組みが途切れたわけではなかったのです。

横浜流星の学歴と学生時代|中学で空手世界一、高校では仕事と学校を両立

横浜流星さんの学生時代には、空手の国際大会優勝という大きな出来事がありました。

一方で、学校では行事を楽しみ、先生から叱られることもあったと本人が語っています。

競技で結果を残した少年と、学校生活を楽しむ生徒という二つの顔があったようです。

中学3年生で極真空手の国際大会優勝

横浜さんが空手で世界一になったのは、2011年のことです。

極真会館が公表している第7回国際青少年空手道選手権大会の結果には、13・14歳男子55kg以下の部の優勝者として横浜流星さんの名前が記録されています。

当時の横浜さんは中学3年生でした。

2011年、第7回国際青少年空手道選手権大会の13・14歳男子55kg以下の部で優勝。

「空手世界一」という紹介は、この大会の年齢・体重別部門での優勝実績に基づいています。

全階級を通じた総合優勝という意味ではなく、該当部門の国際大会優勝です。

本人のインタビューによると、中学生のころは特に空手へ力を注いでいました。

小学生のときに始めた習い事が、国内外から選手が集まる大会で結果を残すまでになったのです。

横浜さんは、空手を競技として続けていくことも進路の選択肢に考えていました。

芸能界の仕事がなければ、格闘技に関わる道へ進んでいた可能性についても、後年のインタビューで話しています。

それほど、少年時代の横浜さんにとって空手は大きな存在でした。

同時に、スカウトを受けて始めた芸能活動にも仕事が増えていきました。

中学時代の国際大会優勝は、二つの活動を並行していた時期に残した実績でもあります。

高校時代は学校行事が好きな活発な生徒だった

高校生になってからも、横浜さんは芸能活動を続けていました。

一方、学校では体育祭や文化祭といった行事が好きだったそうです。

2019年の『大學新聞』のインタビューでは、高校時代の自分を「やんちゃ」だったと振り返っています。

先生からは同じことで繰り返し怒られた記憶もあります。

出典:大學新聞「俳優・横浜流星さんインタビュー」(2019年5月10日)

空手で国際大会優勝を経験し、モデルや演技の仕事をしていた横浜さんですが、学校生活では同年代の生徒と同じように行事を楽しんでいました。

当時お世話になった先生と、その後も交流があることをインタビューで明かしています。

学歴については、高校時代の具体的な思い出だけでなく、卒業後にどの道へ進むかという問題も重要です。

横浜さんは大学への進学も考えていましたが、最終的には進学せず、俳優の仕事を選んでいます。

その決断には、高校時代に経験した演技の仕事が関わっていました。

横浜流星が俳優になったきっかけ|ドラマ初出演から進路の決断まで

横浜流星さんは、小学6年生で芸能界に入りましたが、最初から俳優として活動を始めたわけではありません。

モデルなどの仕事を経験したのち、テレビドラマへの出演が始まります。

そして高校時代、長期間にわたって同じ役を演じた作品が、進路を考えるきっかけになりました。

2011年『仮面ライダーフォーゼ』でドラマデビュー

横浜さんのテレビドラマ出演歴をたどると、2011年の『仮面ライダーフォーゼ』に行き着きます。

同作では井石二郎役を演じました。

これは、モデルなどの芸能活動とは別に確認できる、初期の演技の仕事です。

ただし、芸能界に入ったのは小学6年生のときなので、2011年を芸能活動そのものの開始年とするのは正確ではありません。

小学6年生で芸能界入りし、モデルなどの活動を経て、2011年にテレビドラマへ出演したという順序です。

その後も、テレビドラマや映像作品への出演を重ねていきました。

2013年には『リアル鬼ごっこ THE ORIGIN』にも出演しています。

一つの役を演じる経験を少しずつ積んでいた時期でした。

そして2014年、横浜さんにとって大きな仕事となる特撮ドラマへの出演が始まります。

『烈車戦隊トッキュウジャー』で感じた芝居の楽しさ

2014年、横浜さんはスーパー戦隊シリーズ『烈車戦隊トッキュウジャー』に出演しました。

演じたのは、ヒカリ/トッキュウ4号役です。

それまでのゲスト出演などとは違い、長い期間にわたって同じ役を演じる仕事になりました。

作品の撮影を通じて、共演者やスタッフと長く関わりながら役を作っていく経験を積んでいきます。

2014年10月のORICON NEWSのインタビューでは、撮影現場を経験するうちに演技への興味が強くなっていったことを話しています。

空手で培った体の動きは、アクションの場面でも役立つ経験になりました。

ただし、横浜さんが興味を持ったのは体を動かす仕事だけではありません。

役柄を演じることそのものに楽しさを感じるようになったのです。

高校生活のなかでこの作品に出演したことは、卒業後の進路にも関わっていきました。

『トッキュウジャー』での経験は、横浜さんが俳優という仕事を自分の進む道として考える重要なきっかけになりました。

大学・格闘技・俳優の三択から芝居を選んだ理由

高校卒業後の進路を考える時期、横浜さんには大きく分けて三つの選択肢がありました。

大学へ進学すること、空手などの格闘技に関わる道を進むこと、そして俳優の仕事を続けることです。

2019年の『anan』のインタビューでは、この進路選択について詳しく振り返っています。

空手は小学生のころから続け、国際大会優勝という実績まで残した競技でした。

一方、芸能界には偶然のスカウトから入り、モデルやドラマ出演を通じて仕事の面白さを知っていきました。

どちらも実際に経験してきたものだったため、横浜さんにとって簡単な選択ではなかったのでしょう。

悩んだ末、両親にも進路について相談しました。

そのときに伝えられた言葉を、横浜さんは次のように紹介しています。

人生は一度きりなんだから、流星の好きなように生きなさい

出典:anan「『空手』世界チャンピオンから俳優へ 横浜流星が転向を決めたのは…」(2019年1月28日)

両親は進む道を指定せず、本人の意思に任せたのです。

横浜さんは、若いうちに挑戦できることをしようと考え、俳優の道を選びました。

空手の国際大会優勝を経験した少年が、高校卒業後の進路として自分で選んだのが、俳優の仕事でした。

そこには、小学6年生のスカウトから続いた芸能活動と、『トッキュウジャー』で得た演技の経験がありました。

俳優を選ぶまでの道のりをたどると、空手から突然芸能界へ転身したというより、両方を経験したうえで進路を決めたことがわかります。

こうして横浜さんは、大学進学や格闘技の道ではなく、芝居に向き合う生活を選びました。

横浜流星の転機|『初めて恋をした日に読む話』から映画・大河主演へ

俳優の道を選んだあとも、横浜流星さんは少しずつ出演経験を積んでいきました。

『トッキュウジャー』への出演後、映画やドラマでさまざまな役を演じるようになります。

その積み重ねが広く知られるきっかけとなったのが、2019年のテレビドラマでした。

2018年の主演作を経て2019年にブレイク

2018年、横浜さんは映画『兄友』で単独初主演を務めました。

同年には『虹色デイズ』や『青の帰り道』にも出演しています。

映画のなかで異なる役を演じる経験が増えていった時期でした。

そして2019年、TBS系ドラマ『初めて恋をした日に読む話』に出演します。

横浜さんが演じたのは、ピンク色の髪が印象的な高校生・由利匡平です。

深田恭子さん演じる春見順子と関わりながら、東京大学合格を目指す役柄でした。

この作品への出演によって、横浜さんの名前は広く知られるようになりました。

2019年には、東京ドラマアウォードの助演男優賞も受賞しています。

『初めて恋をした日に読む話』は、俳優としての知名度を大きく高めた転機となりました。

ただし、横浜さんの俳優としての歩みは、このドラマから始まったわけではありません。

小学生で芸能界に入り、10代でモデルや特撮ドラマを経験し、映画でも主演を務めてきた先に、2019年の注目がありました。

その後は、映画でも重要な役を任される機会が増えていきます。

『正体』で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞

横浜さんの映画俳優としての歩みを語るうえで、藤井道人監督との仕事は欠かせません。

2018年の映画『青の帰り道』への出演をきっかけに、二人はその後も作品づくりを続けてきました。

2021年には、藤井監督が手がけた『DIVOC-12』の短編『名もなき一篇・アンナ』で横浜さんが主演しています。

この作品では、撮影の合間に藤井監督が横浜さんへ質問するインタビュー映像も公開されました。

俳優として何を大切にしているかと尋ねられた横浜さんは、役のことを誰よりも考えるという思いを話しています。

そして2024年、藤井監督の映画『正体』で主演を務めました。

演じたのは、死刑判決を受けた事件の容疑者・鏑木慶一です。

逃亡を続ける鏑木は、身を隠す場所や仕事を変えながら、さまざまな人と出会っていきます。

映画の公式Xでは、横浜さんが演じる鏑木の異なる姿を写した場面写真も紹介されました。

横浜さんは、この役を演じるにあたり、藤井監督と作品について長い時間をかけて話し合っていたことも明かしています。

そして2025年3月14日、第48回日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞を受賞しました。

映画『正体』での演技が評価され、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞したことは、横浜さんの俳優人生における大きな到達点となりました。

10代のころに俳優という進路を選び、特撮ドラマから経験を積み重ねてきた横浜さんが、映画の主演俳優として大きな賞を受け取ったのです。

『べらぼう』『国宝』で取り組んだ新たな役づくり

2025年には、NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で主演を務めました。

演じたのは、江戸時代に出版文化を発展させた蔦屋重三郎です。

時代劇のなかで実在の人物を長期間にわたって演じる仕事となりました。

同じ2025年には、映画『国宝』にも出演しています。

『国宝』で横浜さんが演じたのは、歌舞伎役者の大垣俊介です。

歌舞伎の世界を描く作品であり、出演者には踊りや所作の稽古が求められました。

横浜さんは吉沢亮さんとともに、約1年半にわたって歌舞伎の稽古に取り組んでいます。

空手の経験があるため、決められた形を繰り返して身に付けること自体には馴染みがあったものの、歌舞伎の動きはまったく同じではありません。

特に、女性を演じる女方の所作や、しなやかな体の使い方には苦労したことをインタビューで語っています。

子どものころに取り組んでいた空手と、俳優になってから挑戦した歌舞伎では、求められる表現が異なりました。

それでも、長い時間をかけて体に動きを覚えさせるという点では、横浜さんが少年時代から経験してきた稽古と重なる部分もあります。

小学1年生で空手を始め、中学3年生で国際大会に優勝し、モデルや特撮ドラマを経て俳優を選んだ横浜さん。

2019年のブレイクから映画『正体』での受賞、『べらぼう』や『国宝』での役づくりまで、その歩みには、それぞれの時期に新しい仕事へ向き合ってきた具体的な経験が積み重なっています。

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