松下洸平の生い立ち|父親・母親・兄との家族関係と俳優になるまで

松下洸平の生い立ちと家族関係、俳優になるまでの道のりを紹介する人物イラストとタイトルを配したビジュアル

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
まつしたこうへい
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
1987年3月6日
芸能活動開始
2008年
俳優デビュー
2009年
デビューのきっかけ
他の芸能活動から転向

NHK連続テレビ小説『スカーレット』の十代田八郎役で広く知られるようになった松下洸平さん。

1987年3月6日生まれ、東京都出身の俳優ですが、芸能界で最初に目指したのは俳優ではなく歌手でした。

幼い頃から画家の母親のもとで油絵に親しみ、高校では美術を専攻していたものの、卒業後は音楽の専門学校へ進学しています。

そして、2008年に「洸平」名義で歌手デビューし、翌2009年のミュージカル出演をきっかけに俳優として活動を始めました。

美術、音楽、演技という異なる分野を経験してきた松下さんは、どのような子ども時代を過ごし、なぜ俳優の道へ進んだのでしょうか。

今回は、そんな松下洸平さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界へ入ったきっかけ、歌手活動から俳優デビューに至るまでの道のりをご紹介します。

松下洸平の生い立ち|八王子で絵に親しんだ幼少期

松下洸平さんは1987年3月6日に東京都で生まれ、八王子市で育ちました。

子どもの頃から絵を描くことが身近にありましたが、家の中で静かに過ごしているばかりではなく、外遊びにも夢中になる少年だったそうです。

画家の母の背中を見て育ち、幼い頃から油絵を描く

松下さんの母親は画家で、自宅には油絵の道具がありました。

幼い松下さんは、絵を描く母親の姿を日常的に見ながら、自分でも絵の具や筆に触れて遊んでいたといいます。

2021年12月に出演したTBS『A-Studio+』では、母親の油絵の道具を借りて落書きのように遊んでいたことを明かしました。

勉強はあまり好きではなく、鉛筆を持つよりも筆を持っている時間の方が長かったという話もしています。

油絵は特別な習い事というより、幼い頃から生活の中にある身近な表現方法だったのです。

母親が好きだった音楽も家庭の中で流れており、スティーヴィー・ワンダーやボーイズIIメンなどのソウルミュージックにも自然と親しんでいました。

小学生の頃には母親に連れられ、横浜アリーナでボーイズIIメンのコンサートを観た経験もあります。

舞台上のアーティストは小さくしか見えなかったそうですが、当時聴いた曲は長く記憶に残っていると振り返っています。

外遊びも好きだった好奇心旺盛な子ども時代

絵を描くことが好きだった一方で、家の近所の山へ遊びに行くような活発な一面もありました。

2023年5月30日公開の『VERY』のインタビューでは、幼少期の自分について、こんな言葉を残しています。

僕は、手のかかる子だったと思います。

出典:VERY「松下洸平さん『母も僕も“好き”を仕事にしているところは共通しています』」(2023年5月30日)

近所の山で転んで血だらけになって帰ってきたり、高い木に登ったものの下りられなくなり、助けを呼んだりしたこともあったそうです。

また、2021年の『A-Studio+』では、母親への取材を通じて、子どもの頃によく迷子になっていたという話も紹介されました。

大人になってからの落ち着いた姿とは少し違い、子どもの頃は興味を持ったことへすぐに向かっていくタイプだったようです。

松下洸平の家族|父親・母親・兄との関係

松下洸平さんの生い立ちを知るうえで欠かせないのが、画家として活動してきた母親の存在です。

本人のインタビューやテレビ番組では、母親の仕事や性格、兄との思い出など、育った家庭についてさまざまな話が紹介されています。

画家で元ボディビルダーの母親

松下さんの母親は、画家として活動するだけでなく、幼稚園教諭やボディビルダーとしての経験もある人物です。

特にボディビルについては、東京都の大会でチャンピオンになった経験があることが2021年12月の『A-Studio+』で紹介されました。

番組で笑福亭鶴瓶さんから母親のボディビル経験について話を振られた松下さんは、すでに競技を引退していることを説明しています。

さらに、子どもの頃は母親の出場する大会をよく観に行き、客席からボディビル特有の掛け声を送っていたことも明かしました。

画家として絵を描きながら、筋肉を鍛える競技にも本格的に取り組んでいた母親です。

松下さんは、自身が仕事で悩んでいた時期の母親の接し方についても語っています。

仕事が少なく、不安を抱えていたときも、母親はあえて多くを言わずに見守ってくれたそうです。

『VERY』のインタビューでは、親子の共通点について次のように話しました。

母も僕も、「自分の好きなことを仕事にしている」というところは共通しています。

出典:VERY「松下洸平さん『母も僕も“好き”を仕事にしているところは共通しています』」(2023年5月30日)

母親自身も、自分の好きなことを仕事にする難しさを経験しているからこそ、言葉にしなくても通じ合える部分があると感じているそうです。

2025年4月の『THE CHANGE』では、母親の健康を気遣い、食生活について助言したり、体によさそうなものを贈ったりしていることも明かしました。

子どもの頃にさまざまな体験をさせてくれた母親と、大人になっても会話を重ねている様子が伝わってきます。

2歳上の兄と母親に囲まれた家庭生活

松下さんには、2歳年上の兄が1人います。

兄は芸能活動をしている人物ではなく、名前や職業などの詳しいプロフィールは、松下さんの公的な経歴資料には掲載されていません。

家族との思い出としては、幼い頃に母親や兄と一緒に海外へ出かけた経験も語られています。

2025年5月31日に放送された日本テレビ『アナザースカイ』では、ニューヨークのハーレム地区にあるレストランを再訪し、家族で食事をした頃の記憶を振り返りました。

母親は旅先で気に入った料理を、帰国してから自宅でも作ってくれたといいます。

また、松下さんは2023年の『VERY』で、家族に対して心配事や伝えたいことをなるべく言葉にするよう心がけていると話しています。

家族の間でも考え方が違うことはあるものの、気持ちをため込まずに話すことを大切にしているそうです。

父親について本人の言葉から分かること

松下さんの父親については、母親と比べると具体的なエピソードが限られています。

公式プロフィールには父親の職業や経歴についての記載がなく、本人が公のインタビューで詳しく説明した情報も多くありません。

ネット上には母子家庭で育ったことや両親の離婚について書かれた記事もありますが、離婚時期や理由、父親との関係を具体的に裏付ける本人の説明は限られています。

そのため、父親の職業や家庭の事情を推測で補うことはできません。

一方、松下さんは2025年4月20日公開の双葉社『THE CHANGE』で、幼少期の家庭が経済的にあまり裕福ではなかったことを自ら語っています。

子どもながらに家庭の状況を理解し、自分の置かれた環境を少し離れたところから考えるようになったそうです。

その経験を振り返るなかで、次のようにも話しています。

僕は今でもこの家に生まれて本当に幸せだなと思っている

出典:双葉社 THE CHANGE「松下洸平『僕の性格を形成しているもののほとんどは、幼少期にある』今でも欠かさない母とのコミュニケーション」(2025年4月20日)

家庭に経済的な余裕がなかった時期についても、自分自身はあまり苦労したとは感じていない一方で、親は大変だったのではないかと振り返っています。

家族との日々をどのように受け止めてきたのかが、本人の言葉から伝わる話です。

松下洸平の中学時代|ダンスとニューヨークでの経験

中学生になると、松下さんは絵を描くことに加えて、ダンスにも本格的に興味を持つようになりました。

母親が日頃から聴いていた洋楽に加え、テレビで見たダンスパフォーマンスもきっかけとなっています。

中学生でダンスを始め、ストリートカルチャーに親しむ

松下さんがダンスを始めたのは、中学1年生の頃でした。

テレビでSMAPやTRFが歌い踊る姿を見て、自分もダンスをやってみたいと思ったそうです。

母親に相談するとヒップホップというダンスがあることを教えられ、レッスンを受けるようになりました。

レッスンでは当時流行していたR&Bなどの音楽に合わせて踊ることが多く、音楽を聴く楽しさもさらに広がっていきました。

2022年の『THE FIRST TIMES』のインタビューでは、小学生までは親が好きな音楽を一緒に聴いていたものの、中学生になると自分からソウルやR&B、ヒップホップを探して聴くようになったと話しています。

ボーイズIIメンなどの音楽を聴き続ける一方で、ダンススクールにも通い、音楽と身体を使った表現の両方に親しんでいました。

学校生活については、出身中学校を特定する情報が一部にありますが、学校名そのものを確かめる十分な本人資料は限られています。

少なくとも、中学時代からダンスに熱中していたことは本人の複数のインタビューで確認できます。

母と訪れたニューヨークでダンスを学ぶ

中学時代の大きな経験の一つが、母親と訪れたアメリカ・ニューヨークでの滞在です。

2024年12月のJ-WAVE『Expedia MY FIELD NOTE』では、中学1年生のとき、母親と2人で約1か月ニューヨークに滞在したことを明かしています。

母親は以前からニューヨークが好きで、1人で訪れることもあるほどだったそうです。

その母親から誘われ、一緒に現地へ向かいました。

滞在中は現地のダンススクールへ通い、本場のヒップホップに触れています。

レッスンが終わると先生のところまで行き、分からなかった振り付けをつたない英語で質問していたといいます。

言葉が十分に通じなくても、気になったことを自分から聞きに行くほどダンスに夢中だったようです。

2025年の『アナザースカイ』では、少年時代にニューヨークを複数回訪れた経験も紹介されました。

そのうち家族で訪れたハーレムのレストラン「シルヴィアズ・レストラン」では、母親が好んで食べたコーンブレッドを覚えていました。

母親は帰国後、その店に電話をかけて料理について尋ね、自宅でも同じ味を再現してくれたそうです。

松下さんは2025年の再訪時にその味を確かめ、家で食べていた料理がニューヨークのレストランの味だったことを改めて実感しています。

母親との約1か月の滞在や家族での旅行を通じて、松下さんはニューヨークのダンス、音楽、美術に触れました。後年の『アナザースカイ』では、その街を題材に自ら絵も描いています。

松下洸平の高校時代|美術科で学び、歌手への道を選ぶ

中学卒業後、松下さんは美術系の高校へ進学しました。

幼い頃から続けてきた絵画に加え、学校ではダンスにも取り組み、高校3年生までは美術大学への進学を考えていました。

美術科で油絵を専攻し、ダンス部も立ち上げる

高校では美術を学び、特に油絵を専攻していました。

松下さんは2024年10月に放送された日本テレビ『メシドラ』で、母親が画家だったことから、自然と美術の道へ進むものだと思っていたと振り返っています。

一方、ダンスも続けたいと考え、同級生とともに高校でダンス部を立ち上げました。

ところが、2021年12月の『A-Studio+』では、部長を務めた期間がわずか1か月ほどだったという意外なエピソードが紹介されています。

番組が取材した同級生によって明かされた話で、松下さん自身も当時の映像を見ながら高校生活を振り返っていました。

高校時代には、ヒップホップファッションを好み、髪をコーンロウに編んだり、スケートボードに乗ったりしていた時期もあったそうです。

美術を学ぶ学校生活と、ストリートダンスに熱中する時間の両方があったことが分かります。

それでも卒業後の進路については、美術大学への進学を考えていました。

『天使にラブ・ソングを2』で美大志望から進路変更

高校3年生のとき、松下さんの進路を大きく変える映画との出会いがありました。

それが、ウーピー・ゴールドバーグ主演の映画『天使にラブ・ソングを2』です。

作品の中で高校生たちがゴスペルを歌う姿を見て、自分も歌ってみたいと思うようになりました。

ダンスを通じてR&Bやソウルミュージックを聴いていたものの、それまで本格的に人前で歌った経験も、楽器を演奏した経験もなかったといいます。

それでも、高校3年生の夏頃、美術大学を目指す進路から歌手を目指す進路へ変更することを決めました。

2023年7月18日公開のENCOUNTのインタビューでは、美術大学の学科試験に対する苦手意識も、進路を考え直す一因だったと明かしています。

母親も、息子の松下さんが美術の道へ進むものだと考えていたため、この突然の決断には驚いたそうです。

2021年の『A-Studio+』では、歌手になると母親に宣言したあと、しばらく口をきいてもらえなかったという話も披露しました。

ただ、母親は最終的に本人の希望を受け入れ、音楽の学校へ進むことを認めています。

小さい頃から続けていた美術を学び続けるのではなく、まったく違う分野に進む選択でした。

高校卒業後、松下さんは大学ではなく音楽の専門学校へ進みます。

松下洸平の芸能界入り|音楽専門学校から歌手デビューへ

美術から音楽へ進路を変えた松下さんは、専門学校で歌や作詞作曲を学ぶことになりました。

この時点では俳優を目指していたわけではなく、歌手として活動することが本人の目標でした。

大学ではなく音楽専門学校へ進み、作詞作曲を始める

高校卒業後に進学したのは、尚美ミュージックカレッジ専門学校のヴォーカル学科です。

同校も松下さんをヴォーカル学科の卒業生として紹介しています。

それまで聴くことや踊ることが中心だった音楽を、自分で歌い、作る側として学び始めました。

松下さんの公式プロフィールによれば、専門学校への進学後に初めて自分で詞と曲を書くようになっています。

2023年のENCOUNTのインタビューでは、在学した2年間で周囲の人に恵まれ、自分のやりたいことが少しずつ見えてきたと振り返りました。

意外なのは、この頃から楽器を自在に弾けたわけではないことです。

2021年のSPICEのインタビューでは、最初の歌手デビュー時にはギターもピアノも弾けず、鼻歌を使って曲を作っていたことを明かしています。

ギターを覚えたのは24歳頃、ピアノを本格的に学ぶきっかけはさらに後年の舞台出演だったそうです。

専門学校で音楽を学んだ松下さんは、その後、歌手としてデビューする機会を得ました。

オーディションを経て2008年に「洸平」名義でCDデビュー

専門学校を卒業した松下さんは、音楽活動を続けながらデビューの機会をつかみました。

そして2008年11月、「洸平」名義でシングル「STAND UP!」をリリースし、CDデビューしました。

当時は21歳で、俳優としてのデビューよりも1年前の出来事です。

自分の曲がCDになり、店頭に並ぶようになったことがうれしかったと、後年のインタビューで語っています。

スタイリストやヘアメイクがついてくれることなど、プロとして活動する環境そのものにも新鮮な驚きがあったそうです。

ただし、CDを発売できたからといって、すぐに大勢の人に歌を聴いてもらえるようになったわけではありませんでした。

絵を描きながら歌う活動とアパレルショップでの仕事

歌手デビュー当時の松下さんには、ほかのシンガーソングライターとは少し違う特徴がありました。

それは、歌いながら絵を描く「ペインティング・シンガーソングライター」として活動していたことです。

このアイデアはプロデューサーから提案されたもので、松下さん自身も歌と絵の両方が好きだったことから挑戦しました。

ステージには大きなキャンバスを用意し、歌の間奏になるとマイクを置いて絵を描くというパフォーマンスを行っていたそうです。

幼少期から続けてきた美術が、歌手としての活動にも取り入れられていました。

また、芸能活動を始める前には、アパレルショップで販売の仕事をしていた経験もあります。

その職場で出会った店長の言葉は、歌手デビュー後の松下さんの記憶に残ることになります。

念願だった音楽の仕事を始めても、期待していたような結果が出るとは限りませんでした。

松下洸平が俳優になったきっかけ|ミュージカル『GLORY DAYS』

歌手として活動を始めた松下さんが俳優へ進んだきっかけは、ミュージカルのオーディションでした。

当初から俳優を目指していたわけではなく、音楽活動が思うように進まなかった時期に訪れた仕事だったといいます。

歌手活動で客席が埋まらなかった日々

CDデビューを果たしたものの、松下さんの音楽活動は順調なことばかりではありませんでした。

2021年12月の『A-Studio+』では、デビューに関連したイベントで約100席を用意してもらったにもかかわらず、客席にいた観客が1人だけだった経験を明かしています。

多くの人が集まっていることを想像してステージへ出ると、女子高校生が1人だけ座っていたそうです。

2023年のENCOUNTのインタビューでは、デビューしたばかりの頃は、自分の曲が売れていないという現実を十分に理解できていなかったとも振り返りました。

その後、思うような結果が出ないことに気づき、歌手活動を辞めようと考えるようになります。

一度はアパレルショップの仕事に戻ろうとも思ったそうです。

しかし、以前の店長が自分を励まして送り出してくれたことを思い出し、簡単には戻ると言えなかったといいます。

そんなとき、ミュージカルのオーディションを受ける話が舞い込んできました。

オーディションを受け、2009年に初舞台へ

松下さんが挑戦したのは、ブロードウェイミュージカル『GLORY DAYS』のオーディションでした。

それまで演技を本格的に経験したことはなかったものの、挑戦した結果、出演者に選ばれます。

そして2009年、ミュージカル『GLORY DAYS』で初舞台を踏み、俳優としての活動を始めました。

音楽の世界ではすでにデビューしていましたが、演技の仕事については初めての経験でした。

ENCOUNTのインタビューでは、当初はまともに演技ができない状態だったと本人が振り返っています。

稽古や舞台を通じて、歌手として1人で活動していた頃とは違う時間を経験することになりました。

2021年のSPICEのインタビューでは、初舞台で感じたことを次のように語っています。

満席のお客様がいるってことが嬉しかったんですよね。

出典:SPICE「松下洸平はどんなアーティストを目指すのか? “2度目のデビュー”を前に聞く、音楽への想い」(2021年8月5日)

それまで自分のライブではなかなか客席が埋まらなかっただけに、自分だけを目当てにした観客でなくても、多くの人の前で表現できることがうれしかったそうです。

初めての演技で知った舞台の面白さ

松下さんは、ミュージカルへの出演を通じて、歌だけではなく芝居そのものに面白さを感じるようになりました。

2021年のSPICEのインタビューでは、仲間と一緒に舞台を作る時間が楽しかったと振り返っています。

自分で曲を作り、1人でステージに立つことの多かった歌手活動とは異なり、舞台では出演者やスタッフと一緒に一つの作品を完成させます。

演技が初めてだった松下さんにとって、その共同作業は新しい経験でした。

2010年には芸能事務所キューブへ移り、活動名も「洸平」から本名の「松下洸平」に変更しています。

音楽活動をいったん休止し、舞台やミュージカルを中心に俳優として仕事を重ねていくことになりました。

ただ、作詞作曲を辞めたわけではなく、その後も自分の気持ちを曲にすることは続けていたそうです。

芸能界に入ったのは2008年の歌手デビュー、俳優として歩み始めたのは2009年の初舞台という、異なる二つの出来事でした。

松下洸平の新人俳優時代|舞台と映像の仕事を重ねる

俳優として活動を始めた松下さんは、舞台作品を中心に経験を積んでいきました。

後に朝ドラで広く知られるようになるまでには、約10年にわたる舞台での活動がありました。

舞台で経験を積みながら映像作品にも出演

初舞台の後は、2010年の『ALTAR BOYZ』や『さくら色 オカンの嫁入り』など、舞台やミュージカルへの出演を重ねました。

2011年にはミュージカル『スリル・ミー』に出演し、俳優としての活動の幅を広げています。

この作品にはその後も複数回出演し、2018年の公演では演劇賞を受賞することになります。

映像作品にも活動の場を広げ、2012年にはNHK BSプレミアムのドラマ『てふてふ荘へようこそ』などに出演しました。

その後も舞台を中心に活動しながら、ドラマや映画への出演を続けていきます。

特に舞台では、台本を読み込み、稽古を重ね、客席の反応を直接感じながら役を演じる経験を積んでいきました。

2020年のインタビューでは、俳優としての約10年間を振り返り、音楽から芝居へ活動を移したことについて、やりたいという気持ちが強かったため迷いはなかったと話しています。

また、音楽についても年に一度ほどライブを開くなど、完全に離れることなく活動を続けていました。

2019年に朝ドラ出演を果たすまでの道のりを、本人の過去の写真などとともに紹介した公式映像も公開されています。

朝ドラのオーディションに挑み続けた時期

舞台で仕事を重ねながら、松下さんはNHK連続テレビ小説への出演も目指していました。

しかし、オーディションには何度も挑戦したものの、なかなか合格できませんでした。

書類選考や一次審査で落ちたこともあり、朝ドラとは縁がないのかもしれないと感じていたそうです。

2019年12月の『週刊女性PRIME』のインタビューでは、舞台でさまざまな人に支えられながら仕事を続けてきたことや、落選を重ねる中で考え方が変わっていったことを語っています。

自分をよく見せようとするよりも、役と真剣に向き合い、納得できる芝居をすることを大切にするようになりました。

そして2019年、連続テレビ小説『スカーレット』のオーディションで十代田八郎役に選ばれます。

この役を得たのは、長く舞台俳優として活動してきた後のことでした。

松下洸平の転機|舞台での受賞から『スカーレット』へ

松下さんの俳優としての経歴では、2018年の舞台での評価と、2019年の朝ドラ出演が大きな転機となりました。

歌手として芸能界入りし、ミュージカルで演技を始めてから、約10年が経過していました。

『母と暮せば』『スリル・ミー』で演劇賞を受賞

2018年、松下さんはこまつ座の舞台『母と暮せば』とミュージカル『スリル・ミー』に出演しました。

『母と暮せば』では、長崎の原爆で亡くなった青年・浩二を演じています。

これらの舞台での演技が評価され、第73回文化庁芸術祭の演劇部門新人賞、第26回読売演劇大賞の杉村春子賞・優秀男優賞を受賞しました。

2018年の公演を対象とする受賞で、読売演劇大賞の授賞は翌2019年です。

こまつ座も2018年12月27日、舞台『母と暮せば』での演技による文化庁芸術祭新人賞の受賞を公式Xで発表しています。

俳優として舞台に立ち続けてきた松下さんにとって、演技が大きく評価された出来事でした。

2018年9月には『母と暮せば』の公演に向き合う中で、自分自身の幼少期や母親のことを思い返していたことも、本人のSNSで語っています。

画家の母親のもとで育った少年が、美術と音楽を経て俳優になり、舞台で評価されるまでには、さまざまな仕事との出会いがありました。

2019年『スカーレット』の十代田八郎役に抜擢

2019年、松下さんはNHK連続テレビ小説『スカーレット』に出演しました。

演じたのは、戸田恵梨香さん演じるヒロイン・川原喜美子と出会い、後に夫となる陶芸家・十代田八郎です。

舞台で経験を積んできた松下さんが、全国的に知られるきっかけとなった役でした。

2020年5月の『T JAPAN』のインタビューでは、オーディションのときの心境について、次のように語っています。

10年間、舞台を経験してきた自分を信じて

出典:T JAPAN「おだやかな炎のように―― 松下洸平インタビュー」(2020年5月28日)

求められるものを考えすぎず、気負わずにオーディションへ向かったことが、本人の記憶に残っているそうです。

母親が朝ドラのファンだったこともあり、役が決まったときには特に喜んでくれたと話しています。

NHKアーカイブスも、放送当時に八郎役の松下さんを紹介する公式投稿を公開しました。

『スカーレット』の出演後、松下さんの名前は舞台を見ていた人たちだけでなく、テレビドラマの視聴者にも広く知られるようになりました。

2021年のSPICEのインタビューでは、朝ドラ出演前には約3,000人だったInstagramのフォロワーが、最終回の頃には約27万人になっていたと本人が振り返っています。

また、2020年の『ごごナマ』では、朝ドラへの挑戦を諦めずに続けた理由や、八郎役との出会いについて涙ながらに語る場面もありました。

歌手としてデビューした2008年から数えると、11年後の大きな転機でした。

『最愛』の宮崎大輝役へと広がった映像での活躍

『スカーレット』で注目を集めた後、松下さんはテレビドラマで重要な役を演じる機会を増やしていきました。

2020年には『#リモラブ〜普通の恋は邪道〜』で青林風一役を演じ、翌2021年にはTBSドラマ『最愛』に出演しました。

『最愛』で演じたのは、吉高由里子さん演じる主人公・真田梨央と深い関わりを持つ刑事・宮崎大輝です。

物語の中心人物の一人として、事件の真相を追いながら、過去の出来事や梨央との関係に向き合う役でした。

TBSドラマ『最愛』の公式Xには、撮影を終えた松下さんと吉高由里子さんの様子を紹介する投稿も残っています。

同じ2021年には、シングル「つよがり」を発売し、松下洸平名義で音楽活動のメジャー再デビューも果たしました。

2008年に歌手として活動を始め、2009年の『GLORY DAYS』で俳優になり、2019年の『スカーレット』を経て、音楽のメジャーリリースにも再び取り組んだのです。

幼い頃から親しんできた絵や音楽に加え、舞台で出会った演技も、松下さんの仕事の一つとなりました。