木幡竜の生い立ち|横浜高校からプロボクサー、俳優へ転身するまで

木幡竜の生い立ちとプロボクサーから俳優への転身を、ボクシンググローブ、開いた本、金色の枝で象徴したイラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
こはたりゅう
カテゴリー
男性俳優
出身地
神奈川県
生年月日
1976年9月12日
芸能活動開始
2004年
俳優デビュー
2004年
デビューのきっかけ
紹介・推薦

木幡竜(こはた・りゅう)さんは、ドラマ『アバランチ』で綾野剛さんと激しいアクションを繰り広げ、中国映画界でも活躍してきた俳優です。

2026年には日曜劇場『VIVANT』第2シーズンで李茗沢(リ・ミンヅァ)役を演じ、その存在を知った人も多いのではないでしょうか。

実は、木幡さんは横浜高校から中央大学へ進んだ元プロボクサーで、俳優になる前には広告代理店で働いた経験もあります。

ボクシングを始めたのは中学2年生のころで、その背景には友人を助けられなかった出来事がありました。

プロのリングを離れた後、以前から好きだった映画の世界へ進み、30歳前後で受けたオーディションをきっかけに中国へ渡っています。

今回は、そんな木幡竜さんの生い立ちや家族、学生時代、俳優になったきっかけ、中国映画界での転機などをご紹介します。

木幡竜の生い立ち|横浜で育ち、中学2年でボクシングを始める

木幡竜さんは、1976年9月12日、神奈川県横浜市に生まれました。

現在は俳優として知られていますが、子どものころに強く関心を持っていたのは、身体を鍛えることと映画でした。

そのうち、ボクシングに本格的に向き合うきっかけとなったのが、中学生のときに目の前で起きた出来事です。

友人を助けられなかった出来事から強さを求めた少年時代

中学生のころ、木幡さんは友人が不良たちに絡まれ、暴力を受ける場面に遭遇しました。

その場でやめるように声を上げたものの、友人を助けることはできなかったそうです。

木幡さんは2022年のCREAのインタビューで、子どものころの夢を尋ねられ、次のように答えています。

強くなりたかったです。

出典:CREA「映画『生きててよかった』で 45歳にして初主演を飾った 逆輸入俳優・木幡 竜」(2022年5月14日)

強くなりたいという気持ちは、単に格闘技への憧れから生まれたものではありませんでした。

友人が傷つけられるのを見ながら、自分には助ける力がなかった。

その経験が、身体を鍛える競技に取り組む理由の一つになったのです。

キックボクサーだった先生の勧めで始めたボクシング

木幡さんがボクシングを始めたのは、中学2年生のときでした。

きっかけには、非常勤講師として学校に来ていた先生の存在もありました。

その先生はキックボクシングを経験した人物で、木幡さんにボクシングを勧めたといいます。

友人の出来事を通じて強さを求めていた木幡さんは、先生の勧めもあって実際に競技を始めました。

やがてボクシングは一時的な習い事ではなく、高校、大学、さらにプロの世界まで続ける競技になっていきます。

ただし、このころから最初に俳優を目指していたわけではなく、競技を続けるうちにオリンピック出場という目標も持つようになりました。

木幡竜の家族|父親・母親・兄弟姉妹と育った家庭環境

木幡竜さんの家族については、母親が映画好きだったという本人の発言が残されています。

2021年のシネマトゥデイのインタビューでは、小学生のころから母親の影響で日本映画を見続けていたことを明かしました。

幼いころに親しんでいた作品として挙げているのは、溝口健二監督や成瀬巳喜男監督の映画、そして『男はつらいよ』シリーズなどです。

いずれも木幡さんが俳優になるよりずっと前に親しんでいた作品で、家庭での映画体験が本人の記憶に残っていたことがうかがえます。

大人になってからも日本映画への思いは変わらず、中国映画界で活動していた2021年の取材でも、次のように語っています。

僕は日本映画が大好きで、俳優になりたいと思いました。

出典:シネマトゥデイ「『アバランチ』悪役で話題の木幡竜、波乱万丈の人生語る 綾野剛と久々の共演」(2021年12月20日)

一方、父親の仕事や人柄、兄弟姉妹の人数など、詳しい家族構成を判断できる本人発言は限られています。

家族について具体的に分かっているのは、少なくとも母親の映画好きという一面が、木幡さんの幼少期の映画体験に関わっていたということです。

木幡竜の学歴と学生時代|横浜高校から中央大学へ

中学校で始めたボクシングを、木幡さんは高校進学後も続けました。

進学先は神奈川県の横浜高校で、その後は中央大学へ進んでいます。

どちらの学校でもボクシング部に所属し、競技成績を残すだけでなく、チームの中心的な立場も経験しました。

横浜高校ボクシング部の主将として全国大会へ

横浜高校で木幡さんが所属したのは、ボクシング部でした。

同校はボクシングの強豪として知られ、のちに木幡さんが所属することになる大橋ボクシングジムの大橋秀行会長も卒業生です。

木幡さんは高校時代、部の主将を務めました。

2022年の本人インタビューでは、インターハイと国体で3位に入った経験も語っています。

中学2年生で競技を始めてから、高校では全国大会で上位に入るまでになっていたのです。

その一方で、木幡さんは子どものころから日本映画も好きでしたが、この段階では映画の仕事より競技を優先していました。

中央大学で五輪出場を目指した学生時代

横浜高校を卒業した木幡さんは、中央大学へ進学します。

大学でもボクシング部に所属し、副主将を務めました。

このころに目指していた大きな目標が、オリンピックへの出場です。

本人はENCOUNTのインタビューで、シドニーオリンピックを目指して競技を続けていたことを語っています。

大学時代には国内3位の成績を残したものの、オリンピック代表には選ばれませんでした。

五輪出場の目標は実現しませんでしたが、木幡さんはそこで競技を終えず、プロのリングへ進むことを選びました。

大学で競技を続けた経験は、アマチュアとしての最後の挑戦ではなく、プロボクサーとして活動する前段階になりました。

木幡竜のプロボクサー時代|大橋ジムでの挑戦と引退

大学卒業後、木幡さんは大橋ボクシングジムからプロボクサーとして活動を始めました。

当時は俳優ではなく、リングに立つことが仕事だった時代です。

プロでの経験は長期間には及びませんでしたが、引退に至るまでの判断について、木幡さんは後年のインタビューで具体的に語っています。

五輪出場の夢からプロへの転向

木幡さんがプロになったのは20代前半のころでした。

競技を続ける場所となった大橋ジムの会長は、横浜高校ボクシング部の先輩でもある大橋秀行さんです。

五輪を目指していたころとは違い、プロでは日本タイトルの獲得という目標を立てました。

CREAのインタビューでは、負けずに日本チャンピオンになることを目標にしていたと説明しています。

プロとしてはA級ボクサーに昇格した経歴があり、2024年の大橋ジムへのトレーナー就任を伝えたボクシング専門媒体でも、その競技歴が紹介されました。

それでも、試合を続けるかどうかについては、木幡さん自身が定めた目標が大きな判断材料になりました。

プロ2戦目の引き分けを経てリングを離れる

本人がプロ時代の区切りとして挙げているのは、2戦目の試合です。

その試合は勝利ではなく、引き分けという結果でした。

木幡さんは、目標にしていた勝ち方やその後の競技人生を考え、プロボクサーを引退することを決めました。

なお、本人への取材には「プロ2戦で負けなし」という説明もありますが、2戦目が引き分けだったことと矛盾するものではありません。

負けてはいないものの、2試合とも勝ったわけではない、という意味です。

引退の決意を伝えたとき、大橋会長はその判断に反対したといいます。

ENCOUNTの取材では、木幡さんの引退を止めようとした大橋会長とのやり取りにも触れられています。

しかし、木幡さんはボクシングを続けるのではなく、別の仕事へ進むことを選択しました。

引退後、すぐに俳優として仕事を始めたわけではありません。

まず経験したのは、広告代理店で働く会社員としての生活でした。

木幡竜が俳優になったきっかけ|広告代理店勤務から演技の世界へ

ボクシングを引退した木幡さんは、広告代理店に就職しました。

会社員として働いた期間は約2年間で、その後、以前から関心のあった映画の世界へ向かいます。

俳優になるまでには、少年時代から親しんできた映画と、実際に見た俳優の演技、そして知人からの誘いが関わっていました。

映画『息子』で見た永瀬正敏の演技

木幡さんが俳優という仕事に関心を持つうえで印象に残ったのが、山田洋次監督の映画『息子』でした。

1991年に公開された作品で、木幡さんは出演していた永瀬正敏さんの演技を、俳優を目指すうえで影響を受けたものとして挙げています。

映画を見ること自体は幼少期から身近でしたが、この作品では俳優の演技が強く記憶に残ったようです。

ボクシングに取り組んでいたころも映画への関心は消えておらず、プロ引退後には自分が映画に出演することを考えるようになりました。

ただし、俳優への転身を決めたからといって、すぐに仕事が決まるわけではありません。

会社員を経て知人の誘いで芸能事務所へ

広告代理店で働いていた木幡さんに、俳優の世界へ進む具体的な機会が訪れました。

それは、知り合いの俳優から芸能事務所へ誘われたことでした。

本人の話では、知人の誘いを受けて事務所に入り、演技の仕事を始めています。

このとき、元ボクサーという経歴だけで売り出そうとしていたわけではなかったそうです。

ENCOUNTのインタビューでは、そのころの気持ちを次のように語っています。

ボクサー崩れの俳優というのがイヤだったんです。

出典:ENCOUNT「横浜高ボクシング部→広告代理店勤務→俳優 ド迫力アクションを生んだ異例の転身」(2022年5月8日)

ボクシングの経験があるからといって、最初からアクション俳優として活動できたわけではありませんでした。

日本ではアクション映画そのものが多くなかったこともあり、当初は格闘技と直接関係のない役も演じていたといいます。

日本での俳優デビューと『陰日向に咲く』まで

木幡さんが俳優活動を始めたのは、2000年代前半です。

活動開始年は資料によって2003年、2004年と表記が分かれていますが、出演記録では2004年の映画『ゴジラ FINAL WARS』やテレビドラマなど、初期の仕事を確認できます。

その後、2006年の映画『DEATH NOTE デスノート』などにも出演しました。

本人が初期の俳優生活を振り返って挙げている重要な作品は、2008年の映画『陰日向に咲く』です。

CREAの取材では、この作品で初めてしっかりとした役を得られたという趣旨の話をしています。

映画への憧れから芸能事務所に入ったものの、役者として仕事を重ね、手応えのある役に出会うまでには時間がかかりました。

そのころ、木幡さんは日本国内だけでなく、海外の映画にも目を向ける機会を得ます。

中国映画のオーディションに参加したことが、活動の場所を大きく広げるきっかけとなりました。

木幡竜の中国映画進出|『南京!南京!』で開いた新しい道

木幡さんが中国映画へ進出する直接のきっかけとなったのは、陸川(ルー・チュアン)監督の映画『南京!南京!』でした。

撮影は2008年ごろに行われ、作品は2009年に中国で公開されています。

日本での俳優活動から数年を経て、木幡さんは言葉も撮影環境も異なる場所で仕事をすることになりました。

中国映画のオーディションに合格し単身渡航

30歳前後のころ、木幡さんは『南京!南京!』のオーディションを受けました。

作品では日本人将校の伊田修役を演じ、中国映画への出演を果たしています。

撮影決定までには延期などもあり、本人にとってはようやく決まった仕事だったそうです。

ただし、中国に渡った当初は、中国語を十分に話せる状態ではありませんでした。

日刊ゲンダイの本人インタビューでは、友人たちが集めてくれた約16万円を手に中国へ向かったことも語られています。

日本で俳優の仕事を始めていたとはいえ、海外で生活しながら仕事を続けていける保証があったわけではありません。

それでも木幡さんは中国に滞在し、現地で俳優として活動するための準備を進めました。

『南京!南京!』の出演後には、その作品のプロデューサーだった韓三平(ハン・サンピン)さんから声をかけられ、別の中国映画への出演につながっています。

中国語を学びながら挑んだ映画撮影

中国での俳優生活では、言葉を覚えることが大きな課題になりました。

木幡さんは北京科技大学で中国語を学び、現地の人々との交流も通じて語学力を身につけていきました。

ただ、勉強を続けていても、撮影現場で中国語を話すことは簡単ではなかったようです。

本人の回想には、約500人が参加する大規模な撮影現場で、中国語のセリフが出てこなくなったという出来事もあります。

周囲の人々が待っている中で言葉が出ず、撮影が止まってしまったというのです。

木幡さんはそうした経験を重ねながら中国語を学び、やがて日本人だけでなく、中国人の役も演じるようになりました。

中国での活動が広がったのは、アクションができるという理由だけではありません。

現地の言葉で演技できるようになったことも、任される役の幅を広げる一因になりました。

木幡さんは、中国映画界での活動を通じて中国語を習得しました。所属先のプロフィールでも中国語が特技として紹介されています。

『レジェンド・オブ・フィスト』で広がったアクションの仕事

中国映画での活動を広げるうえで、もう一つ重要だったのが『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』への出演です。

この作品では、ドニー・イェンさんと共演し、木幡さんは日本人の強敵・力石猛を演じました。

もともとプロボクサーだったものの、映画で本格的なアクションに取り組むことは、リングでの試合とは違う経験でした。

撮影には武術指導として谷垣健治さんも参加しており、木幡さんは映画でアクションを見せる方法について学んだと語っています。

実際の試合で相手を倒すための動きと、カメラを通して迫力ある動きを見せることは同じではありません。

映画では立ち位置、カメラの角度、相手役との距離、動きのタイミングなどを合わせる必要があります。

木幡さんはドニー・イェンさんとの仕事を通じて、そうした映画特有のアクションに取り組みました。

この出演を機に、木幡さんは中国映画界でアクションを任される俳優としても活動を広げていきました。

その後は中国の映画やテレビドラマにも出演を重ね、2014年には中国映画『半島行動』で主演も経験しています。

日本で俳優になった木幡さんは、中国で演技とアクションの経験を積み、再び日本の映像作品でも注目されるようになります。

木幡竜の転機|『アバランチ』から『生きててよかった』初主演へ

中国映画界で仕事を続けた木幡さんは、日本でも映画『サムライマラソン』やドラマ『アバランチ』などに出演しました。

特に『アバランチ』で演じた貝原役は、それまで木幡さんを知らなかった視聴者にも名前が広がるきっかけとなりました。

さらに2022年には、自身のボクサー経験に深く関係する作品で日本映画初主演を果たしています。

綾野剛との縁から『アバランチ』に出演

木幡さんと綾野剛さんには、『アバランチ』以前から共演経験がありました。

2018年末から2019年初めにかけて中国で撮影された映画『破陣子』で、二人は共演しています。

木幡さんは、その作品を通じて綾野さんや所属事務所の関係者との交流が生まれ、『アバランチ』へ声をかけてもらったと振り返っています。

2021年放送の『アバランチ』で演じたのは、秘密組織「極東リサーチ」の一員である貝原です。

綾野さんが演じる主人公・羽生と激しい格闘を繰り広げる人物で、表情を大きく変えずに相手と向き合う不気味な存在として登場しました。

このアクションシーンでは、事前に動きを確認するだけでなく、現場でも綾野さんと意見を交わしながら動きを組み立てたそうです。

中国で学んだ、アクションにも芝居としての意味を持たせる考え方が、日本の連続ドラマの撮影でも生かされました。

中国映画の撮影現場で積んだ経験を、日本のテレビドラマで披露する機会となったのです。

ボクサーの経験を映画にしたいという思い

木幡さんには、自分の経験に近いボクサーの人生を映画にしたいという思いもありました。

競技を続けてきた選手は、引退後にそれまでとは違う生活を送ることになります。

木幡さん自身もプロボクサーを引退し、会社員を経験した後に俳優になりました。

その経験から関心を持ったのが、ボクサーがリングを離れた後、どのように生きていくのかという問題でした。

映画『生きててよかった』は、そうした木幡さんの問題意識を出発点の一つとして企画が進められた作品です。

監督を務めたのは鈴木太一さんで、アクション監督には園村健介さんが参加しました。

作品の企画・構成には長い時間が費やされ、木幡さん自身も制作に関わっています。

本人は映画公式サイトに掲載されたコメントで、次のように語っています。

この映画はいろんな意味で僕自身の人生が詰まったものになったと思います。

出典:映画『生きててよかった』公式サイト・木幡竜コメント(2022年公開作品)

映画の主人公と木幡さん本人は同じ人物ではありませんが、ボクシングを引退した後の生き方という題材には、本人の経験が重なっています。

2022年、45歳で日本映画初主演を果たす

2022年5月13日、映画『生きててよかった』が公開されました。

木幡さんにとって、日本映画で初めて主演を務めた作品です。

公開時の年齢は45歳で、演じたのはドクターストップによって引退し、リングを離れてからの生活に苦しむ元ボクサー・楠木創太でした。

競技経験を持つ木幡さんにとっても、映画の格闘シーンを撮影するためには改めて身体を作り、アクションの準備をする必要がありました。

約10キロの減量を行い、身体を絞った状態で撮影に臨んだことも当時の取材で明かしています。

中国映画で学んだアクションの撮影方法も取り入れ、スタントマンとの動きの確認やリハーサルを重ねました。

シネマトゥデイが公開した次の映像では、木幡さん本人が出演し、映画のアクションをどのように準備したのかを語っています。

中学2年でボクシングを始め、プロを引退した木幡さんは、45歳で元ボクサー役として日本映画初主演を果たしました。

作品公開後には、プロボクサーとしての経験と中国映画界で身につけたアクションの両方について、さまざまなインタビューで語っています。

映画『生きててよかった』は、木幡さんが俳優として演じるだけでなく、企画段階から関わった作品となりました。

木幡竜が大橋ボクシングジムのトレーナーへ|2024年に再びリングのそばに

2024年5月25日、大橋ボクシングジムは、木幡竜さんが新たにトレーナーへ就任することを発表しました。

このときは俳優としての活動名ではなく、本名の木幡竜一という名前でも紹介されています。

現役時代に所属していたジムへ、今度は選手を指導する立場で戻ることになったのです。

大橋秀行会長は就任発表に際して、新たなトレーナーが加わったことを歓迎しました。

2026年10月の大橋会長への取材では、木幡さんが選手の指導を行い、試合ではセコンドにも入っていることが紹介されています。

プロボクサーとしてリングに立った経験だけでなく、映画の撮影現場で長く身体を使ってきた木幡さんが、実際の選手育成にも携わるようになりました。

中学時代に始めたボクシングは、プロ引退と俳優への転身を経た後も、トレーナーという形で木幡さんの仕事の一つになっています。