PROFILE
人物プロフィール
『仮面ライダーキバ』や『恋空』などで主演を務め、映画や舞台でも活躍する俳優の瀬戸康史さん。
1988年5月18日に生まれ、福岡県の旧稲築町(現在の嘉麻市)で育ちました。
実は、子どもの頃の夢は俳優ではなく、動物の命を救う獣医になることでした。
中学生になると獣医を目指して勉強に励み、地元の進学校へ進みましたが、高校2年生の頃に思いがけない出来事が起こります。
母親が応募したオーディションに合格し、17歳で故郷を離れて芸能界へ入ることになったのです。
今回は、そんな瀬戸康史さんの生い立ちや家族、学生時代、芸能界入りのきっかけ、俳優として最初の仕事から大きな転機までをご紹介します。
瀬戸康史の生い立ち|福岡県稲築町で過ごした幼少期
瀬戸康史さんが子ども時代を過ごしたのは、福岡県のほぼ中央に位置する旧稲築町です。
2006年に周辺の町と合併して嘉麻市となった地域で、田園や山々に囲まれながら育ちました。
田んぼや山で遊んだ子ども時代
幼い頃の瀬戸さんにとって、身近な遊び場は田んぼや山でした。
2022年のマイナビニュースのインタビューでも、故郷での遊びといえば田んぼや山だったと振り返っています。
自然の中で虫や動物に触れる機会もあり、生き物への関心が強い子どもでした。
その動物好きが伝わるのが、2019年3月の「大哺乳類展2」の取材会で明かしたエピソードです。
祖母の家の近くで遊んでいた際、捨てられた5匹ほどの黒猫を見つけたことがありました。
かわいそうに思って猫たちを連れて帰り、家で育てることにしたそうです。
「すごく迷惑がられました」
出典:デイリースポーツ「瀬戸康史『獣医になりたかった』 捨て猫5匹育てた幼少時代」(2019年3月20日)
猫たちには、毛色にちなんで「ゴマ」や「ノリ」といった名前を付けていました。
動物を助けたいという気持ちは、子どもの頃から行動にも表れていたようです。
一方で、外遊びだけではなく、絵を描いたり音楽に親しんだりすることも好きでした。
保育園では発表会で芝居や和太鼓を経験し、家庭でもドラムを買ってもらったことがあったといいます。
ただし、この頃から俳優を目指していたわけではありません。
動物好きで獣医に憧れるまで
小学生の頃、瀬戸さんはテレビの動物番組に親しみ、ムツゴロウさんが運営する「ムツゴロウ動物王国」で働きたいと考えていました。
当時は獣医という職業について、まだ詳しく知らなかったそうです。
その夢が変わったのは、テレビで1本のドキュメンタリー番組を見たことがきっかけでした。
事故で足を失った犬が、獣医師の治療や支援によって再び歩けるようになるまでを追った内容だったといいます。
瀬戸さんは犬の治療に取り組む獣医師の姿に心を動かされ、自分も動物を助ける仕事がしたいと考えるようになりました。
中学生になる頃には、将来の目標を獣医に定めていたのです。
小学校の卒業文集にも、ムツゴロウ動物王国で働きたいという夢を書いていました。
その後は動物と関わるだけでなく、専門的な知識を身に付けて命を救う仕事を思い描き、進学先を考えるようになります。
瀬戸康史の家族|両親と妹2人に囲まれた暮らし
瀬戸康史さんが育ったのは、父親・母親・本人・妹2人の5人家族です。
3人きょうだいの長男で、1歳下の妹は俳優の瀬戸さおりさん、さらにその下にも妹がいます。
共働きの両親と祖母の家で過ごした兄妹3人
瀬戸家では両親が共働きだったため、兄妹3人が祖母の家で過ごすこともありました。
2024年4月の東京新聞のインタビューで、妹の瀬戸さおりさんは子ども時代の兄について語っています。
「兄が親代わりでした」
出典:東京新聞・東京すくすく「俳優 瀬戸さおりさん 兄の瀬戸康史に『やめなさい』と言われた役者の道 踏み出せた理由は」(2024年4月15日)
両親が仕事をしている間、妹たちが寂しくならないように一緒に遊んでくれたそうです。
ただ、いつも仲良く遊んでいたわけではありません。
2026年2月の『STORY』のインタビューでは、瀬戸さん自身が子どもの頃の兄妹げんかを振り返っています。
学校から帰ると洗濯物を取り込み、畳むなどの家事を手伝っていましたが、妹2人はなかなか手伝ってくれなかったといいます。
注意すると妹たちはふざけながら逃げ回り、兄1人対妹2人という構図になることもありました。
長男として家事を手伝いながら、ときには妹たちとけんかもする、そんな日常を過ごしていたのです。
妹のさおりさんも幼い頃は兄とずっと遊んでいたと話しており、上京後に久しぶりに再会した際には、以前との雰囲気の違いに戸惑ったことがあったそうです。
なお、妹の瀬戸さおりさんは後に自身も俳優の道へ進み、舞台などで活動するようになりました。
兄妹の小さな思い出
瀬戸さおりさんは、美容師として働いた後に俳優を志し、兄へ電話で相談したことがあります。瀬戸康史さんは最初、簡単な仕事ではないと止めましたが、妹が本気だと分かると背中を押しました。
兄妹はそれぞれ俳優になってからも、お互いの舞台を観に行くことがありました。
2016年11月19日には、さおりさんが兄の出演舞台『遠野物語 奇ッ怪 其ノ参』を観劇し、兄妹で撮った写真を自身のXに投稿しています。
その後、瀬戸さんも妹の投稿に対し、互いの仕事を頑張ろうという言葉を返していました。
母親が抱いていた夢と妹・瀬戸さおりの証言
瀬戸さんの人生に大きく関わったのが、母親の存在です。
母親自身、若い頃にはピアニストを目指していましたが、その夢を諦めた経験があったといいます。
2022年のENCOUNTの取材で、瀬戸さんは母親が自分に表現者としての道を託していたのかもしれないと振り返りました。
幼稚園の頃から音楽に触れる機会を与えてくれたのも、母親でした。
また、幼い頃には福岡県内のテレビ番組やCMなどのオーディションへ母親に連れて行かれた経験もあったそうです。
その一方、本人が強く望んでいたのは芸能活動ではなく、獣医になるための進学でした。
父親については、瀬戸さおりさんが、何かやりたいことがあればまず挑戦してみるようにと背中を押してくれる人だったと話しています。
家族それぞれが、子どもたちの進路について異なる考えを持つこともあったようです。
母親が抱いていた表現の仕事への思いは、後に長男の進路を大きく変えるきっかけとなりました。
瀬戸康史の学歴・学生時代|獣医を志した中学・高校生活
子どもの頃に獣医になるという夢を持った瀬戸康史さんは、中学時代からその実現を意識して勉強していました。
芸能界入りが決まるまでは、進学して獣医学を学ぶことを考えていたのです。
稲築中学校での生活と獣医を目指した勉強
瀬戸さんの出身中学校は、福岡県嘉麻市立稲築中学校です。
在学当時は稲築町立の学校で、2023年3月に閉校し、同年4月から地域の学校再編によって新たな義務教育学校へと移行しました。
2023年の嘉麻市広報誌では、母校から卒業式に向けたビデオメッセージを依頼されたことを本人が語っています。
中学生の頃は獣医になるために勉強に励み、進学先の高校選びにも力を入れました。
2024年1月の『ボクらの時代』では、勉強を頑張って地元の地区で最もレベルが高いと考えられていた高校に合格したと振り返っています。
学校生活では勉強ばかりしていたわけではなく、地元のスポーツプラザでサッカーを楽しんだ思い出もあります。
中学生の頃に通っていた本屋の近くには、よくコーヒーゼリーを食べた小さな店もありました。
2020年の『ふくおかナビ』のインタビューでは、その店の味を懐かしそうに語っています。
勉強して進学を目指す日々の中にも、友人や地元の店と過ごした思い出が残っていたのです。
進学校へ進み、高校2年生で変わった進路
中学校を卒業すると、地元の進学校へ進みました。
出身高校については福岡県立嘉穂高校という情報も見られますが、本人が学校名まで明言した一次資料による裏付けは限られています。
一方、地区の進学校に合格して通っていたことは、本人が複数の番組やインタビューで語っている事実です。
高校時代は友人たちとカラオケへ行くことも楽しみの一つでした。
毎週土曜日に集まり、友達同士でパートを分けて歌ったり、ハモったりしていたといいます。
KICK THE CAN CREWやケツメイシ、HYなどをよく歌っていたそうです。
当時通っていたカラオケ店は高校生でも長時間楽しめるほど料金が安く、友人たちとの身近な遊び場になっていました。
そんな高校生活を送っていた2年生の頃、母親が芸能事務所のオーディションへ応募します。
獣医になるために進学した高校から、まったく想像していなかった芸能界へ進路が変わったのです。
妹の瀬戸さおりさんは、兄が高校を2年で辞めて東京へ行くと聞き、とても驚いたと振り返っています。
高校卒業後の大学進学という道ではなく、17歳で俳優の仕事に向き合う生活が始まりました。
瀬戸康史が芸能界入りしたきっかけ|母の応募でD-BOYSへ
2005年、瀬戸康史さんはワタナベエンターテインメントの若手俳優集団「D-BOYS」のオーディションを受けました。
ただ、最初から芸能人になりたくて応募したわけではありません。
2005年のオーディションで準グランプリを受賞
応募書類を送ったのは母親でした。
本人は芸能界にほとんど興味がなく、当初はオーディションに合格するとも思っていなかったそうです。
2022年6月の『徹子の部屋』では、一次審査の後、東京で行われる二次審査に興味がなく、参加しなかったことも明かしています。
それでも審査を通過し、最終審査へ進むことになりました。
最終オーディションには一人芝居やダンスなどで自分を表現する参加者がいたといいます。
そんな中、瀬戸さんが披露したのは歌でした。
「僕は、福山雅治さんの『ひまわり』を歌いました。」
出典:ENCOUNT「俳優生活17年の瀬戸康史、オーディション合格のコツ伝授『かっこつけないこと』」(2022年8月6日)
本人は強い野心を持って臨んだわけではありませんでしたが、第2回D-BOYSオーディションで準グランプリを受賞しました。
2005年12月にはD-BOYSのメンバーとなり、芸能界での活動を開始します。
芸能界の仕事について、2025年の「ほぼ日」のインタビューでも当時の心境を明かしています。
「いえ、芸能界に進もうなんて考えもしなかったです。」
出典:ほぼ日「舞台の人。04 瀬戸康史さん 第1回『自由』がすごく怖かった」(2025年3月3日)
合格したことで、獣医を目指していた高校生の生活は一変しました。
17歳で上京し、ホームシックを抱えた新人時代
17歳で故郷を離れ、東京での生活を始めた瀬戸さん。
福岡空港では両親と妹2人が見送ってくれました。
後になって妹から、見送る際に母親が泣いていたことを聞いたといいます。
東京では家族や地元の友人と離れ、慣れない土地で仕事を覚えていく毎日が始まりました。
上京後しばらくはホームシックが続き、家族に電話をすることもあったそうです。
本当は寂しさや不満を伝えたいのに、心配をかけたくなくて強がってしまいました。
「電話を切ってから泣くという日々が続いていました。」
出典:ふくおかナビ「【嘉麻市】瀬戸康史スペシャルインタビュー」(2020年4月16日)
地元にいた頃とは違い、東京では周囲に遠慮して消極的になっていた時期もありました。
しかし、あるドラマの仕事をきっかけにスタッフだけの飲み会へ参加したところ、人と話す楽しさを改めて感じたそうです。
それを機に、東京での人付き合いに対する気持ちも少しずつ変わっていきました。
家族への感謝も、仕事を続ける理由の一つになっていきます。
『徹子の部屋』では、17歳の長男を東京へ送り出した両親の覚悟を感じ、家族を楽しませたい、育ててもらった恩返しをしたいという思いを語っていました。
瀬戸康史の俳優デビュー|ドラマと『テニミュ』での初期経験
D-BOYSに加入した後、瀬戸康史さんはドラマや舞台への出演を経験していきます。
芸能界に入った時点では演技への強い希望を持っていなかったものの、実際の現場で役を演じる仕事が始まりました。
『ロケットボーイズ』でドラマ初出演
2006年、テレビ東京のドラマ『ロケットボーイズ』でテレビドラマに初出演しました。
同作では神野誠役を演じています。
高校生たちが小型人工衛星の開発に挑む物語で、瀬戸さんにとって映像の演技を経験する初期の仕事となりました。
ただ、学校で演技を専門的に学んでから仕事を始めたわけではありません。
撮影や稽古の現場では、思ったように表現できず、注意されることもありました。
演技ができない自分に戸惑いながら、実際の仕事を通じて少しずつ経験を積んでいったのです。
2005年の芸能界入りと、2006年のテレビドラマ初出演は別の出来事として整理できます。
『テニスの王子様』で菊丸英二役に挑戦
2006年には、ミュージカル『テニスの王子様』にも出演しました。
演じたのは、青春学園中等部のテニス部員・菊丸英二です。
漫画を原作としたミュージカルで、歌やダンスを交えながら役を演じるという、映像作品とは異なる経験を重ねました。
瀬戸さんは後年、舞台の稽古について、何もない空間で自由に動かなければならないことに苦手意識を持っていたと振り返っています。
立ち位置の目印や具体的なセットがない状態で、どのように体を動かして芝居をすればよいのか分からなかったそうです。
その感覚を「ほぼ日」のインタビューでは次のように語りました。
「その『自由』がすごく怖かったです。」
出典:ほぼ日「舞台の人。04 瀬戸康史さん 第1回『自由』がすごく怖かった」(2025年3月3日)
当初は稽古に行くのが嫌になることもあったといいます。
その一方、所属事務所が手掛けるD-BOYSの舞台シリーズ「Dステ」にも参加する機会を得ました。
青山劇場やシアターコクーンといった大きな劇場で、舞台を経験できる環境がありました。
当時は映像作品への出演の方が知名度につながるのではないかと考えていましたが、後になって舞台で芝居の基礎を学べたことへの感謝を語っています。
2007年にはドラマ『ハッピィ★ボーイズ』で瀬川恭一役を演じるなど、出演の機会も増えていきました。
瀬戸康史の若い頃|『仮面ライダーキバ』『恋空』で主演
2008年、瀬戸康史さんは20歳を迎える年に、2つのテレビドラマで主演を務めました。
『仮面ライダーキバ』と『恋空』です。
2008年『仮面ライダーキバ』の紅渡役
2008年1月に放送が始まった『仮面ライダーキバ』で、瀬戸さんは主人公の紅渡(くれない・わたる)を演じました。
『仮面ライダーキバ』は、2008年の現代と1986年の過去を行き来しながら物語が進む作品です。
紅渡はバイオリンに関わる青年で、人との交流が得意ではない性格を持つ人物として描かれました。
瀬戸さんはその主人公を演じ、約1年間にわたるテレビシリーズに出演しました。
17歳で芸能界に入ってから、およそ3年後のことでした。
『仮面ライダーキバ』の主演は、若い頃の瀬戸康史さんを代表する仕事の一つとなりました。
初期のドラマやミュージカルで経験を積んだ後、テレビシリーズの主人公として作品を担う立場になったのです。
同年『恋空』でヒロ役を演じる
2008年8月には、TBS系ドラマ『恋空』が放送されました。
瀬戸さんは、水沢エレナさん演じる田原美嘉と恋に落ちる桜井弘樹(ヒロ)を演じています。
原作小説や映画でも知られる作品で、高校生たちの恋愛や別れを描いた物語でした。
『仮面ライダーキバ』とは役柄も作品の雰囲気も異なり、同じ年に違った人物を主演として演じることになりました。
この『恋空』は、後に妹の瀬戸さおりさんが俳優を志すきっかけの一つにもなっています。
さおりさんは兄が出演した『恋空』を見て、初めて俳優という仕事に魅力を感じたそうです。
さらに福岡で行われた兄のミュージカル『テニスの王子様』も観劇し、普段の兄とは異なる人物として舞台に立つ姿に衝撃を受けました。
兄自身が始めた俳優の仕事が、妹の進路にも影響を与えることになったのです。
瀬戸康史が演技と向き合い直した舞台での転機
『仮面ライダーキバ』や『恋空』で主演を務めた後も、瀬戸康史さんはドラマ、映画、舞台への出演を続けました。
しかし、主演を経験したからといって、すぐに自分の演技に自信を持てるようになったわけではありませんでした。
受け身の芝居から作品づくりに関わるようになるまで
芸能界入り当初、瀬戸さんは俳優を一生の仕事にしようと決めていたわけではありません。
2016年の『GINZA』のインタビューでは、20歳を過ぎた頃に、俳優を一生の仕事として続けようと決めたと語っています。
それまでは周囲の俳優と自分を比較して焦りを感じることもありました。
芝居では、どうすれば自分が目立てるかを考えてしまう時期もあったそうです。
映像作品への出演を重ねる一方、舞台では役の動きや表現を自分で考えなければならず、苦手意識も簡単にはなくなりませんでした。
ただ、俳優として経験を積む中で、演じる仕事そのものへの興味は次第に強くなっていきます。
2026年1月のWEBザテレビジョンのインタビューでは、23〜24歳頃に芝居を楽しいと感じるようになったと振り返っています。
そして2015年、演技に対する考え方を大きく変える舞台に出演しました。
2015年『マーキュリー・ファー』で白井晃と出会う
2015年、瀬戸さんは舞台『マーキュリー・ファー Mercury Fur』に出演しました。
イギリスの劇作家フィリップ・リドリーによる作品を、演出家の白井晃さんが日本初演した舞台です。
瀬戸さんは高橋一生さんと兄弟役を演じました。
稽古は瀬戸さんにとって簡単なものではありませんでした。
演じ始めると白井さんから違うと指摘され、何度もやり直すことがあったといいます。
自分の表現が思うように通じず、苦しい時間を過ごしました。
しかし、その経験によって、それまで抱えていた見栄や失敗することへの恥ずかしさが薄れていったそうです。
2025年の「ほぼ日」のインタビューでは、当時をこう振り返っています。
「そこからです、生まれ変わったというか、お芝居を『好きだな』と思えるようになったのは。」
出典:ほぼ日「舞台の人。04 瀬戸康史さん 第1回『自由』がすごく怖かった」(2025年3月3日)
もっとも、本人は人間の気持ちが一瞬で切り替わるわけではないとも話しています。
舞台の経験を重ねながら、芝居に対する考え方が少しずつ変わっていったのでしょう。
『マーキュリー・ファー』での白井晃さんとの出会いは、本人が繰り返し語っている俳優人生の転機です。
白井さんに対する感謝は、その後のインタビューでもたびたび口にしています。
2026年のインタビューでも、白井さんと出会わなければ俳優を辞めていたかもしれないと思うほどの出来事だったと振り返りました。
2017年『関数ドミノ』で文化庁芸術祭新人賞
2017年には舞台『関数ドミノ』に出演しました。
前川知大さんによる戯曲で、偶然や因果関係をめぐる物語を描いた作品です。
瀬戸さんは同作の演技で、平成29年度(第72回)文化庁芸術祭の演劇部門新人賞を受賞しました。
2006年に演技を始めてから、舞台にも継続的に出演してきた瀬戸さんにとって、一つの大きな実績となりました。
所属事務所の公式プロフィールにも、この受賞歴が記載されています。
初めて舞台に立った頃は何もない空間で自由に動くことが怖かったと話していた瀬戸さん。
その後も舞台から離れずに活動を続け、演劇の賞を受けるまでになりました。
瀬戸康史の歩み|『愛なのに』の受賞と嘉麻市との共同企画
舞台だけでなく、映画でも瀬戸康史さんの仕事は評価されるようになりました。
一方、俳優として活動を続ける中でも、福岡県嘉麻市への思いは変わらず持ち続けていました。
主演映画『愛なのに』でヨコハマ映画祭主演男優賞
2022年公開の映画『愛なのに』で、瀬戸さんは主人公の多田浩司を演じました。
城定秀夫監督、今泉力哉さん脚本による作品で、古本屋を営む男性を中心とした恋愛模様が描かれています。
瀬戸さんはこの作品で、第44回ヨコハマ映画祭の主演男優賞を受賞しました。
授賞式は2023年2月5日に神奈川県横浜市の関内ホールで開かれました。
映画祭での主演男優賞受賞は、瀬戸さんにとって初めてのことでした。
17歳で母親の応募をきっかけに芸能界へ入り、最初は自分から俳優を目指したわけではなかった少年が、主演映画で演技を評価されるようになったのです。
その間には、舞台の稽古で戸惑った新人時代や、白井晃さんとの出会いなど、さまざまな経験がありました。
2023年、故郷で「SETO×KAMAプロジェクト」を始動
2023年2月、瀬戸さんは故郷の嘉麻市とともに「SETO×KAMAプロジェクト」を始めました。
嘉麻市の魅力を発信し、地域を盛り上げるための共同企画です。
瀬戸さん自身がプロジェクトリーダーとなり、地元を紹介するPR動画にも出演しました。
このプロジェクトを始めるきっかけの一つになったのが、母校の稲築中学校との再会でした。
学校の閉校を前に、校長先生から卒業式で流すビデオメッセージをお願いしたいという手紙が届いたそうです。
瀬戸さんは映像を送るだけでなく、自分が嘉麻市へ行くことを提案しました。
その縁が、地域と一緒に新たな活動を始めることへと発展しました。
プロジェクトでは、瀬戸さんが考案したオリジナルキャラクター「カマシカちゃん」も誕生しました。
昔から好きだったイラスト制作を生かし、鹿をモチーフにしたキャラクターのデザインを担当しています。
さらに、妹の瀬戸さおりさんがカマシカちゃんの声を担当し、兄妹で故郷の活動に関わることにもなりました。
同年に公開された公式PR動画『瀬戸康史とカマシカちゃんのゆた嘉麻くらし』では、本人が故郷の魅力を紹介しています。
地元での思い出は、俳優になってからも本人の中に残り続けていました。
2020年のインタビューでは、帰省すると昔よく通っていた店やサッカーをしていた場所を思い出すと話しています。
2023年の嘉麻市広報誌でも、昔から知っている町並みだけでなく、変わっていく故郷の姿について語りました。
長く離れて暮らしたからこそ、街の変化を感じることもあったようです。
幼い頃は田んぼや山で遊び、獣医を目指して勉強していた瀬戸康史さん。
17歳で故郷を離れて俳優の道へ進み、2023年には自らの表現活動を通じて、生まれ育った嘉麻市と再び仕事をすることになりました。















