吉田晴登の生い立ち|映画好きの家族と8歳の子役デビュー、俳優への転機

吉田晴登の生い立ちと8歳の子役デビュー、俳優への転機を紹介する、ボルドーとゴールドを基調とした肖像イラスト

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
よしだはると
カテゴリー
男性俳優
出身地
東京都
生年月日
2000年12月15日
デビューのきっかけ
芸能事務所への応募

俳優の吉田晴登さんは、2000年12月15日生まれ、東京都出身です。

2025年にはドラマ『なんで私が神説教』で宮沢圭太役を演じ、特撮ドラマ『ウルトラマンオメガ』では主人公の相棒となるホシミコウセイ役を務めました。

実は、小学3年生のとき、自分で子役事務所を探して芸能界に入ったという経歴の持ち主です。

幼い頃から家族と映画を観て育ち、小学生で時代劇への出演を見据えて乗馬を習い始めました。

その後、子役として数々の作品に出演しますが、成長するにつれて仕事が減り、長年所属した事務所を離れる時期も経験しています。

吉田晴登さんがどのような家庭で育ち、学生時代やフリーでの活動を経て俳優として再出発したのか、本人が語ったエピソードとともに紹介します。

吉田晴登の生い立ち|映画の世界に憧れた幼少期

吉田晴登さんは東京都で生まれ育ちました。

子どもの頃から映画に親しみ、特にヒーローやSFなど、現実とは違う世界を描いた作品に夢中になっていたそうです。

東京都で育ち、休日は家族と洋画を観ていた

吉田さんの幼少期には、休日になると家族で映画を観る習慣がありました。

2025年8月31日に公開されたSTREAMのインタビューでは、父親と母親も映画好きだったことを振り返っています。

よく観ていたのは洋画で、ヒーローものやSFなど、日常では体験できない出来事を描く作品が中心でした。

映画の登場人物が暮らす世界や、壮大な物語に強く惹かれていたといいます。

2026年のReal Soundのインタビューでも、当時は細かなストーリーを理解するより、映像のスケールや世界観にワクワクしていたと話しています。

小学生になる前から、現実には存在しないような世界を映画の中で何度も見ていたのでしょう。

やがて吉田さんは、映画に登場する人物を見るだけでなく、自分もその世界に入りたいと思うようになりました。

吉田晴登さんのプロフィール
生年月日:2000年12月15日
出身地:東京都
身長:178cm
特技:乗馬、殺陣、所作
趣味:将棋、タロットカード、アクション、カラオケ、ギター、古着巡り

海賊になりたかった少年が俳優を目指すまで

幼い頃の吉田さんには、少し変わった夢がありました。

それは、本物の海賊になることです。

2026年2月22日のReal Soundのインタビューでは、子どもの頃に海賊になりたいと本気で思っていた時期があったと話しています。

成長するにつれ、映画に出てくるような海賊にはなれないと気づきました。

それでも、海賊のような人物になってみたいという気持ちは消えなかったそうです。

そこで思い浮かんだのが、俳優という仕事でした。

俳優になれば、映画の中で海賊を演じることができる。

そんな発想から、演じる仕事に興味を持つようになりました。

吉田さんはその後、誰かの人生に影響を与えられるような役者になりたいと考えるようになります。

映画を観ていた少年が、自分も誰かの記憶に残る作品を作る側になりたいと思い始めたのです。

吉田晴登の家族|父親・母親と幼少期の家庭環境

吉田晴登さんの俳優への興味には、父親と母親の影響もありました。

本人のインタビューでは、映画好きの両親との思い出や、芸能界に入りたいと伝えたときの家族の反応が語られています。

父親はかつてカメラマンとして芸能界に関わっていた

吉田さんの父親には、過去にカメラマンとして映像業界に関わっていた時期がありました。

このことを吉田さんが詳しく知ったのは、成長してからだったそうです。

父親がどのような作品に携わっていたのか、どの程度の期間カメラマンとして働いていたのかまでは、具体的に語られていません。

ただ、父親も映画に親しんでいたことが、家庭での過ごし方に影響していたようです。

吉田さんは、父親が自分の果たせなかった夢を息子に託していたのかもしれないと振り返っています。

もっとも、これは父親から直接聞いた言葉ではなく、吉田さん自身が後になって感じたことです。

父親が芸能界入りを強く勧めたわけではなく、吉田さんの希望を受け入れる立場だったといいます。

母親と父親が応援した8歳の芸能界入り

吉田さんが俳優になりたいと考えたとき、両親はその気持ちを否定しませんでした。

2026年のReal Soundのインタビューでは、芸能界に入りたいと伝えたときの両親の反応について、次のように話しています。

両親も「やりたいなら、やりなさい」とすんなり肯定してくれました。

出典:Real Sound「『パン恋』同性カップル役で話題 吉田晴登が明かす、ドラマ出演秘話と役者としての転換点」(2026年2月22日)

幼い子どもが芸能界に入りたいと話せば、両親が応募先を探したり、習い事として始めさせたりするケースもあります。

しかし、吉田さんの場合は本人が先に行動を起こしています。

母親も父親も、子どもが自分で見つけた目標を応援してくれたのでした。

なお、家族3人で映画を観ていたという本人の発言はありますが、それだけで一人っ子と断定することはできません。

兄弟姉妹の有無や詳しい家族構成については、本人の発言などで確かな情報が示されている範囲が限られています。

小学3年生で子役事務所へ|吉田晴登の芸能界入り

吉田晴登さんが芸能界に入ったのは、小学3年生のときでした。

8歳という年齢で自ら事務所を探し、子役として活動を始めています。

自分で事務所を探して応募した8歳の決断

子役としての活動は、両親の勧めによって始まったものではありません。

吉田さんは映画に出演したいという気持ちから、小学3年生のときに自分で子役事務所を探して応募しました。

この頃から俳優になるという目標があり、ほかの職業を目指すことはあまり考えていなかったといいます。

小学生の頃は、役を通して普段の自分とは違う人物になれることに、演技の面白さを感じていました。

2025年のSTREAMのインタビューでも、子役時代の演技について語っています。

自分じゃない何かになれる

出典:STREAM「吉田晴登 『小さい頃に憧れていたヒーローものに出演する夢が叶った『ウルトラマンオメガ』』 INTERVIEW」(2025年8月31日)

また、幼い頃から撮影現場で年上の俳優やスタッフと接する機会があったため、大人と話すことに苦手意識はなかったそうです。

現場では礼儀作法も学び、学校では周囲の同級生より少し大人びていたのではないかと本人は振り返っています。

ただし、8歳で子役事務所に所属したことと、最初のドラマや映画に出演した時期は区別する必要があります。

幼少期の芸能活動については複数の記録があり、特定の作品を安易に唯一のデビュー作と決めることはできません。

小学4年生から始めた乗馬と映画『蜩ノ記』の思い出

吉田さんは小学4年生になると、乗馬を習い始めました。

きっかけは、将来NHKの大河ドラマなどの時代劇に出演したいと考えたことでした。

時代劇に出るなら、馬に乗れたほうがいい。

そう考えて小学生のうちから練習を始めたそうです。

その経験を生かす機会となったのが、2014年公開の映画『蜩ノ記』でした。

吉田さんは小学校6年生から中学校1年生にかけて撮影に参加し、役所広司さんが演じた戸田秋谷の息子・郁太郎役を務めています。

撮影前に小泉堯史監督へ乗馬ができることを伝えたところ、実際に馬に乗るシーンが追加されたといいます。

一方で、大ベテランの俳優たちに囲まれた現場では、強い緊張を感じることもありました。

役所広司さん、青木崇高さんとの撮影では、プロデューサーや取材関係者も集まる中で何度もセリフを間違えてしまい、撮り直しが続いたそうです。

小学生だった吉田さんにとって、大人ばかりの現場で重要な役を演じるのは簡単なことではありませんでした。

それでも『蜩ノ記』への出演を通して、乗馬に加えて殺陣や時代劇の所作も学びました。

2014年にはNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』にも市松役で出演しています。

子役として活動を続けた後、2016年には映画『疾風ロンド』で佐藤翔太役を演じました。

当時の所属先であるクラージュキッズの公式Xには、映画公開に合わせて吉田さんの出演を紹介した投稿も残っています。

幼少期に始めた乗馬は、その後も特技として磨き続け、乗馬ライセンス3級を取得しています。

吉田晴登の学生時代|中学・高校生活と子役の仕事

小学生の頃から芸能活動をしていた吉田晴登さんは、中学・高校時代も俳優の仕事と学校生活を並行していました。

ただ、成長するにつれて子役としての仕事は少しずつ減り、オーディションでも思うような結果を得られない時期が訪れます。

子役の仕事が減り始めた中学生時代

小学生の頃は、年上の俳優たちと撮影現場で過ごすことも珍しくありませんでした。

しかし、中学校の後半頃になると、出演できる仕事が徐々に減っていったそうです。

子役として活動していた頃には、何度もオーディションを受けていました。

最終選考まで進んでも、最後の段階で役をつかめない経験が重なったといいます。

吉田さんは2025年のSTREAMのインタビューで、オーディションで顔を合わせる同世代の俳優がいたことや、最終選考で落ちて悔しい思いをしたことを振り返っています。

一方、学校では周囲に同じ仕事をしている子どもがあまりいなかったため、同級生に対して強いライバル意識を持つことはなかったそうです。

2016年にはドラマ『相棒』シーズン15、2017年には『犯罪症候群』などにも出演し、俳優活動を続けていました。

ただ、成長するにつれて、それまでと同じようには役を得られなくなっていきました。

子どもの役を演じる時期から、大人の俳優として役を獲得する時期へと移っていたのです。

高校の同級生・濱田龍臣との交流と陸上の経験

高校時代には、同じく子役出身の俳優・濱田龍臣さんと同じ学校に通っていました。

濱田さんとは同じクラスではありませんでしたが、共通して遊んでいたスマートフォンゲームをきっかけに親しくなったそうです。

濱田さんは高校在学中の2017年に『ウルトラマンジード』で主人公を演じており、吉田さんより先にウルトラマンシリーズの主要キャストを経験していました。

吉田さん自身も、2025年のインタビューで濱田さんをウルトラマンシリーズの先輩として紹介しています。

学校生活については、2025年8月5日のEmo!miuのインタビューで、クラスの中心人物というわけではなかったものの、さまざまな同級生と仲良くしていたと語っています。

でも陰にも陽にも、どっちにも転ずることができましたね。

出典:Emo!miu「【吉田晴登インタビュー】お芝居に向き合うのは1人。辛いことも多いけれど続けていたらいずれ報われる時が来るかもしれない。」(2025年8月5日)

本人は、学生時代の自分をクラスのバランサーだったと表現しています。

また、学生時代には陸上競技に取り組んだ経験もありました。

その経験は、後に『ウルトラマンオメガ』で陸上経験者の役を演じる際にも役立っています。

高校在学中の2018年には、ドラマ『中学聖日記』第1話へ3年1組のクラスメイト役として出演しました。

当時のクラージュキッズの公式Xには、出演を知らせる投稿が残っています。

なお、出身高校については濱田龍臣さんと同じ学校だったことが本人の発言で確認できますが、学校名そのものを吉田さんが明言した情報は限られています。

大学や専門学校への進学歴についても、本人の発言で確実に確認できる情報は限られており、学歴を推測で補うことはできません。

子役事務所を退所|フリーで活動した約3年間

子どもの頃から同じ仕事を続けてきた吉田晴登さんですが、高校卒業前後から20代前半にかけて、俳優としての活動を見直すことになります。

長く所属した子役事務所を離れ、自分で仕事と向き合わなければならない時期を経験しました。

10年以上所属した事務所を離れた理由

吉田さんは2023年3月25日のSteenzのインタビューで、コロナ禍に子役時代から10年以上所属していた事務所を退社したと話しています。

また、2026年のReal Soundのインタビューでは、高校生活の終わり頃に子役事務所を辞めたと振り返っています。

退所時期についてはインタビューによって表現が異なるため、正確な退所年月を一つに断定することはできません。

ただ、それまで子役として活動を続けていた吉田さんが、仕事の減少と事務所からの独立を経験したことは共通しています。

子役事務所に所属していた頃は、与えられた仕事に取り組むという受け身の意識があったそうです。

仕事が少なくなった時期には、自分が俳優としてどう活動していくべきか、考える機会も増えました。

長年慣れ親しんだ環境を離れることは、仕事の進め方を変えることでもありました。

事務所に所属していたときには意識していなかった部分まで、自分で考えながら行動する必要が出てきたのです。

当時の吉田さんは、仕事が一時的にゼロになった経験もあったと話しています。

Steenzのインタビューでは、フリーになった当時の状況を次のように表現しました。

フリーになって、右も左もわからないままやって行かなければならない状況になって……。

出典:Steenz「吉田晴登インタビュー!『18歳、つむぎます 私の卒業 -第4期-』公開記念」(2023年3月25日)

舞台やアルバイトを経験し、自分で仕事をつかむように

事務所を離れた後、吉田さんは約3年間にわたってフリーで活動していたと振り返っています。

その間も俳優を辞めたわけではなく、舞台などの仕事を続けていました。

所属事務所の出演記録には、2021年の舞台『すこたん』、2022年の『痩せた背中』などが残っています。

仕事が少ない時期には、生活のためにアルバイトも経験しました。

2025年7月の日刊スポーツの取材では、朝にスーパーで品出しを行い、夜はコンビニでレジ打ちをしていた時期があったと紹介されています。

子役の頃から俳優の仕事を続けてきた吉田さんにとって、出演機会が減った時期は、これまでとは違う生活を送る時間でもありました。

一方で、舞台に出演したり、ほかの俳優から助言を受けたりする中で、自分から動くことの大切さを学んでいきました。

2026年のReal Soundのインタビューでは、子役時代に共演した人物との縁が、新しい事務所の社長との出会いにつながったとも話しています。

長年所属した事務所を離れた経験を通して、吉田さんの仕事への向き合い方は変わっていきました。

それまでは仕事を与えてもらう感覚が強かったものの、次第に自分の課題を見つめ、役を獲得するために何が必要かを考えるようになったそうです。

吉田さんは、フリーになってから改めて俳優という仕事を極めたいと思ったとも語っています。

その気持ちを持って挑んだ作品が、2023年公開の映画『18歳、つむぎます 私の卒業 -第4期-』でした。

『18歳、つむぎます』での再出発|俳優として学び直した日々

2023年、吉田晴登さんは映画『18歳、つむぎます 私の卒業 -第4期-』に出演しました。

この作品では長期間にわたるオーディションやワークショップを経験し、それまでとは違う方法で役作りに取り組んでいます。

新しい事務所との出会いと自分自身を見つめ直す経験

『18歳、つむぎます』は、若手俳優の発掘と育成を目的とした「私の卒業」プロジェクトの第4期作品です。

広島県福山市を舞台に、高校卒業を控えた若者たちが将来について悩みながら成長する姿を描いています。

吉田さんは、怪我によって野球を続けることが難しくなった高校生・藤井大成役を務めました。

野球に打ち込んできたものの、思い描いていた進路を諦めざるを得なくなった人物です。

吉田さんはこの役に、自分が仕事を失い、将来への不安を抱えていた時期を重ねていたといいます。

作品の選考では、書類審査から長期間にわたるオーディションが実施されました。

その過程で、同世代の参加者たちと演技について話し合い、演技トレーナーから指導を受ける機会がありました。

特に印象に残ったのが、一人の登場人物について、生まれ育った環境から現在に至るまでの人生を考える作業だったそうです。

参加者同士で意見を出し合い、登場人物の過去や考え方を細かく組み立てていきました。

この経験以降、吉田さんは役を演じる際にキャラクターシートを作るようになったと話しています。

子役時代から多くの撮影現場に参加してきましたが、役の背景をここまで詳しく考える作業は、それまであまり経験していなかったそうです。

2023年3月には、BOOSTAR ENTERTAINMENTが吉田晴登さんの所属と『18歳、つむぎます』への出演を発表しています。

本人も、このプロジェクトを通じて新しい縁が生まれ、俳優として活動する機会が広がったと振り返っています。

当時の「私の卒業」プロジェクト公式Xでは、メインキャストの決定と撮影中の写真が紹介されました。

このプロジェクトでは、小林虎之介さんをはじめ、後に別の作品で活躍する俳優たちとも出会いました。

小林さんとは週に1回の演技ワークショップでも一緒になり、互いの活動を知る仲間になったそうです。

藤井大成役をつかむために取り組んだ役作り

藤井大成役を目指す参加者の中には、実際に野球を経験していた人もいました。

吉田さん自身には野球経験がなかったため、そのままでは役を獲得することが難しいと感じたそうです。

そこで、演技だけでなく、外見や身体の動きから人物を作り込むことにしました。

ジムに通ってトレーニングを行い、約1か月で体重を10キロ増やしたといいます。

また、野球の動画を繰り返し観て、選手の動きや姿勢を研究しました。

さらに、役の藤井大成は怪我の影響で松葉杖を使って生活しています。

吉田さんは自分で松葉杖を購入し、普段の生活でも使ってみることで、怪我をした人物の動きを確かめていました。

これらの準備を、ほかの参加者に詳しく伝えることはなかったそうです。

そして、メインキャストの発表で藤井大成役に自分の名前が呼ばれたとき、すぐに返事ができないほど感極まったと振り返っています。

2023年のSteenzのインタビューでは、この作品を経験したことで、役者という仕事の奥深さを改めて感じたと語っています。

子役時代から演技を続けてきた吉田さんにとって、『18歳、つむぎます』は新しい方法で役に向き合う機会になりました。

その後、2023年には『晩酌の流儀2』や『女子高生、僧になる。』などのドラマにも出演しています。

2024年には『25時、赤坂で』などに出演し、舞台や映画でも活動を続けました。

一度は仕事が減った時期を経験しながらも、役作りの方法を見直し、再び映像作品への出演機会を広げていったのです。

『ウルトラマンオメガ』への抜擢|幼い頃の憧れを形にした転機

2025年、吉田晴登さんは『なんで私が神説教』に出演した後、『ウルトラマンオメガ』で主要キャストを務めました。

特に『ウルトラマンオメガ』は、幼い頃からヒーロー作品に親しんできた吉田さんにとって、長年の憧れに近づいた作品となりました。

『なんで私が神説教』で演じた宮沢圭太

2025年4月期の日本テレビ系ドラマ『なんで私が神説教』では、宮沢圭太役を演じました。

宮沢は、学校生活の中で人に言えない悩みを抱える高校生です。

第3話では、広瀬アリスさんが演じる教師・麗美静が、退学の危機にある宮沢を救おうとする場面が描かれました。

吉田さんはこの場面で涙を流しながら感情を表現し、視聴者から感想が寄せられたと話しています。

同じ2025年には、映画『6人ぼっち』にも飯島祐太郎役で出演しました。

吉田さんは、学生役を演じる際には制服を着たときの説得力を意識し、食生活や外見にも気を配っていたそうです。

『18歳、つむぎます』で役の背景を詳しく考える経験をした後も、作品ごとに人物の生活や感情を想像しながら演じていました。

そして、2025年7月から放送された『ウルトラマンオメガ』では、近藤頌利さんが演じるオオキダソラトの相棒・ホシミコウセイ役を務めています。

コウセイは、記憶を失った宇宙人ソラトと出会い、怪獣との戦いに巻き込まれていく青年です。

陸上競技を経験した人物という設定もあり、吉田さんは役作りのために元陸上選手の為末大さんから約2時間の指導を受けました。

また、怪獣を目の前にした人物の反応を想像するため、福井県の恐竜博物館にも足を運んだそうです。

巨大な恐竜の模型を実際に見ながら、怪獣と遭遇したときに身体がどう反応するのかを考えました。

吉田さんは2025年7月5日、自身の公式Xで『ウルトラマンオメガ』の合格を知らされた瞬間の映像について紹介しています。

そこには、役を得ることが俳優にとってどれほど特別な出来事なのかという、本人の思いもつづられていました。

オーディション合格を知らされ、涙が止まらなかった瞬間

『ウルトラマンオメガ』のホシミコウセイ役は、オーディションを通して決まりました。

吉田さんは過去にも、最終選考まで残りながら役を得られなかったことが何度もありました。

今回のオーディションにも、強い思いを持って臨んでいたそうです。

そして、出演決定を知らされた日の出来事は、映像として記録されています。

事務所から別の作品の読み合わせがあると呼び出された吉田さんは、渡された台本を読み進めていました。

すると、台本の2ページ目に、ホシミコウセイ役への決定を知らせる文章が書かれていたのです。

突然の知らせに戸惑いながらも、徐々に合格したことを実感し、マネージャーから祝福されると涙が止まらなくなりました。

2025年7月にORICON NEWSが公開した映像には、その瞬間の吉田さんの様子が収められています。

2025年8月のEmo!miuのインタビューでは、合格が決まった際、長年積み重ねてきたものが少し報われたように感じたと話しています。

同時に、歴史あるウルトラマンシリーズへ出演することへの責任も感じたそうです。

吉田さんは、小学生の頃から時代劇への出演を見据えて乗馬を習い、子役として数々の現場に参加してきました。

仕事が減った時期には事務所を離れ、舞台やアルバイトを経験しながら俳優活動を続けています。

その後、『18歳、つむぎます』で役作りを学び直し、2025年には幼い頃から親しんできたヒーロー作品で主要キャストを務めました。

映画の世界に入りたいと願っていた8歳の少年は、自分の意思で選んだ俳優の仕事を続け、ウルトラマンとともに戦う青年を演じることになったのです。