松本怜生の生い立ち|家族や小松高校での野球人生、大学から俳優への道

松本怜生の生い立ちを描いた人物イラスト。野球の縫い目と舞台照明を背景に、家族や小松高校での野球人生、大学から俳優への道を紹介するデザイン この個性は気に入りましたか?

PROFILE

人物プロフィール

ふりがな
まつもとれお
カテゴリー
男性俳優
出身地
愛媛県
生年月日
2000年4月27日
芸能活動開始
2021年
俳優デビュー
2021年
デビューのきっかけ
SNS・インターネット

松本怜生(まつもと・れお)さんは、NHK連続テレビ小説『おむすび』や大河ドラマ『豊臣兄弟!』などに出演してきた俳優です。

2000年4月27日生まれで、出身地は愛媛県西条市です。

子どものころは甲子園を目指す野球少年でしたが、高校時代に2度の大けがを経験しました。

入院中に映画やドラマを見たことが俳優を志すきっかけとなり、大阪の大学へ進学した後、TikTokで自ら芸能界入りのチャンスをつくりました。

父親・母親・姉との家族関係や小松高校での学生生活、大学時代の行動、初めて演技の仕事を経験したころからの出来事を、順に紹介します。

松本怜生の生い立ち|愛媛県西条市で育った野球少年

松本怜生さんは、愛媛県西条市で18年間を過ごしました。

瀬戸内海と石鎚山系に囲まれた西条市は、松本さんにとって子どものころの思い出が詰まった故郷です。

幼いころから生活の中心にあったのは、俳優の仕事ではなく野球でした。

6歳で野球を始め、甲子園を目指した子ども時代

松本さんが野球を始めたのは、6歳のときです。

父親からバットを買ってもらい、リトルリーグに入りました。

2026年の東京新聞のインタビューでは、家族はもともとバスケットボールに親しんでいたものの、父親の意向もあって自分は野球を始めたと振り返っています。

小学校から高校まで野球を続け、目標にしていたのは甲子園への出場でした。

所属事務所MR8の公式プロフィールでも、野球は松本さんの特技として紹介されています。

ただ、野球に打ち込んでいたころの松本さんは、後に俳優になるとは考えていませんでした。

18年間を過ごした西条市と幼少期の思い出

松本さんは高校卒業まで西条市で暮らし、その後、大阪へ進学しました。

地元については、2025年4月号の『広報さいじょう』で、俳優として活動するようになってからの思いも語っています。

胸を張ってふるさとと言える場所

出典:西条市『広報さいじょう』2025年4月号

2025年には、初めての写真集『Re:Ø』の撮影でも故郷を訪れました。

西条市の公式Xアカウントでは、帰郷した松本さんへの取材を紹介しています。

西条市で野球に打ち込み、進学を機に地元を離れた松本さんは、俳優として経験を積んだ後、写真集の撮影と地元広報の取材を通して再び故郷を訪れています。

松本怜生の家族|父親・母親・3歳上の姉との関係

松本怜生さんの家族は、父親・母親・3歳年上の姉・本人の4人家族です。

2026年4月に東京新聞の家族をテーマにしたインタビューで、松本さん自身が家族構成と子どものころの思い出を詳しく語りました。

野球を続けられた背景にも、父親と母親の具体的な支えがありました。

父親にもらったバットと野球を支えた日々

松本さんに初めて野球のバットを買ってくれたのは父親でした。

小学生のころに所属していた野球クラブでは、保護者がコーチを務めていました。

父親も息子の野球に関わっていて、夜勤の仕事を終えた後、そのまま試合に足を運んでくれることもあったそうです。

松本さんは当時、父親がどれほど時間を割いてくれているのか十分には意識していなかったと振り返っています。

大人になってからは、両親への感謝を言葉にするようになりました。

父親はその後、松本さんが俳優を目指すと打ち明けた際には強く反対しますが、俳優として活動を始めてからの関係にも変化がありました。

母親が洗い続けたユニフォームと家族の思い出

母親は、毎日のように泥だらけになる野球のユニフォームを洗ってくれていました。

もともと肌が弱く、洗濯で手が切れてしまうこともあったそうです。

それでも母親は、松本さんが野球を続ける間、洗濯を引き受けていました。

東京新聞のインタビューで松本さんは、子どものころには分からなかった両親のありがたさを、後になって感じるようになったと話しています。

母親との関係で忘れられない出来事として語っているのが、高校最後の大会を控えた時期のけがです。

母親も観戦していた試合中に膝の靱帯を切り、松本さんは自力で立ち上がれなくなりました。

病院へ向かう車の中で、運転していた母親が泣いている姿を見たときには、松本さん自身も涙が止まらなかったといいます。

長年一緒に目指してきた甲子園への道が、親子にとってどれほど大きなものだったのかが伝わる出来事です。

3歳上の姉との関係と家族から受けた影響

松本さんには、3歳年上の姉がいます。

2026年のインタビューでは、姉について、自分にとって大切な存在だと語っています。

姉は長女として期待されることもあった一方、松本さんは弟として比較的自由に進路を選ばせてもらっていたそうです。

それでも、姉から不満をぶつけられた記憶はなく、自分の選択を応援してもらってきたと話しています。

怜生は怜生だから

出典:東京新聞・東京すくすく「俳優 松本怜生さん 夢だった大河出演」(2026年4月6日)

この言葉は、姉が松本さんを応援するときに伝えてくれたものです。

後に松本さんが大学を中退して俳優を目指す決断をした際も、姉は母親とともに背中を押してくれました。

松本さんは父親について、出演作の感想を母親経由で伝えてくると話しています。褒める言葉と一緒に、実家から野菜が必要かと尋ねてくれることもあるそうです。

松本怜生の学歴|小中学校から小松高校での野球生活

松本怜生さんの出身高校は、愛媛県立小松高等学校です。

高校名は、西条市の公式広報でも紹介されています。

小学校・中学校時代から続けた野球は、小松高校でも松本さんの生活の中心にありました。

小学校・中学校時代も野球中心の生活

松本さんは小学生でリトルリーグに入り、その後も高校卒業まで野球を続けました。

小学校と中学校の具体的な学校名については確かな情報が限られていますが、野球を長く続けていたことは本人のインタビューから分かっています。

将来の目標も、芸能界入りではなく甲子園でした。

小さいころから続けてきた競技だけに、高校時代にけがをした後も、簡単には野球を諦められなかったそうです。

小松高校で2度の大けが、甲子園への道が閉ざされる

小松高校では、甲子園への出場を目標に練習を重ねていました。

しかし、高校時代に膝の靱帯を2度損傷する大けがを経験します。

最初のけがの後は、長いリハビリを続けました。

再び野球ができるようになったものの、高校最後の夏の大会を約2か月後に控えた時期に、再度けがをしてしまいます。

甲子園を目指してきた野球生活は、最後の大会を前に大きな転機を迎えました。

2024年のFASTのインタビューでも、松本さんは、けがをした当時はそれまでの努力を否定されたように感じていたことを振り返っています。

野球だけを続けてきた松本さんにとって、次に何を目指すのかを考えることは簡単ではありませんでした。

入院中に映画と出会い、俳優を志した

けがで入院していた間、松本さんは映画やドラマを見るようになりました。

それまで野球に費やしていた時間とは違い、病室で映像作品を見ながら過ごす日々でした。

さまざまな作品に触れるうちに、画面の中で役を演じる人たちへの興味が生まれます。

俳優になりたいと考え始めたのは、この入院生活がきっかけでした。

ただし、その時点では誰にも夢を話せなかったそうです。

同世代にはすでに芸能活動を始めている人もいて、野球しかしてこなかった自分が俳優になれるとは思えなかったと振り返っています。

地元で就職し、家庭を築くという将来像も身近にあったため、進路を大きく変えたいと両親に伝える勇気はありませんでした。

それでも、俳優への興味は消えず、高校卒業後には地元を離れる選択をしました。

松本怜生の大学時代|大阪への進学とTikTokから芸能界入りするまで

高校を卒業した松本怜生さんは、大阪の大学へ進学しました。

その後、大学在学中にTikTokを始め、芸能事務所から声をかけられるようになります。

俳優として活動する道を選んだ松本さんは、大学を中退し、21歳で上京しました。

俳優になる夢を胸に大阪の大学へ進学

松本さんが大阪の大学を選んだ理由には、芸能界への憧れがありました。

2024年のFASTのインタビューによると、当時は俳優になりたいと両親へ正直に伝える自信がなかったそうです。

そこで、勉強したいという理由を伝え、大阪への進学を認めてもらいました。

進学先の大学名については、本人の発言から確実に分かるのは大阪の大学に通っていたという点までです。

大学では一人暮らしを始め、地元にいたころとは違う生活を経験しました。

2025年のインタビューでは、一人暮らしを始めたころ、部屋の照明が切れて管理会社に交換を頼んでしまったという失敗談も披露しています。

俳優を目指す気持ちはありましたが、大学へ進学してすぐに芸能事務所へ入れたわけではありませんでした。

松本さんは、自分の存在を知ってもらうための方法を考え始めます。

友人との約束から始めたTikTokで知名度を高める

松本さんがTikTokを始めたのは、大学1年生のころでした。

きっかけは大学の友人から持ちかけられた、1か月でフォロワーを1万人に増やせたらプレゼントを買ってあげるという約束です。

ただ、松本さんにとってTikTokは、友人との約束を果たすためだけのものではありませんでした。

自分の知名度を上げ、芸能事務所からスカウトされることを目標に発信を続けていました。

2025年のWEBザテレビジョンのインタビューでは、俳優を目指す方法を模索する中でSNSによる自己発信を選んだ経緯を語っています。

大学から帰宅すると、自然光が残っている間に撮影できるよう急いで動画を撮っていたそうです。

動画では棒付きのキャンディを使うこともあり、タピオカ店でアルバイトをしていたころには、ファンからキャンディを差し入れてもらうようになりました。

一時期は、キャンディが約1,000本になったというエピソードも明かしています。

大学時代の松本さんは、アルバイトをしながらTikTok用の動画を撮っていました。自然光を使った撮影にこだわり、日が暮れる前に帰宅して撮影することもあったそうです。

投稿を続けるうちにフォロワーが増え、複数の芸能事務所から声がかかるようになりました。

松本さんは、その中から所属先を選び、本格的に芸能界へ進むことを決めます。

大学中退と上京を決意、父の反対と母・姉の後押し

事務所から声をかけられた松本さんは、大学を中退し、東京で俳優を目指す決断をしました。

長く続けた野球に続き、今度は大学生活を離れて新しい道へ進む選択でした。

ところが、父親はこの決断に強く反対しました。

野球で積み重ねてきたものをどうするのかという父親の言葉に、松本さんは自分の考えを否定されたように感じたと語っています。

そのとき、母親は松本さんの夢を応援する言葉をかけてくれました。

夢を追う姿を楽しみにするね

出典:東京新聞・東京すくすく「俳優 松本怜生さん 夢だった大河出演」(2026年4月6日)

母親は父親にも、一緒に息子の挑戦を見守ろうと声をかけました。

姉も松本さんの選択を応援してくれたそうです。

松本さんは21歳で上京し、芸能活動を始めました。

高校の入院中に俳優を志してから、実際に芸能界へ入るまでには約3年かかったと本人は振り返っています。

大学時代に続けたSNSでの発信が、最初の仕事へ向かう入口になりました。

松本怜生の芸能界入り|初期活動からテレビドラマ初出演へ

松本怜生さんの芸能活動は、テレビドラマへの出演より前から始まっています。

2021年には朗読劇の舞台に立ち、2022年には恋愛リアリティー番組やテレビドラマへ出演しました。

2021年の朗読劇出演と初期の芸能活動

2021年4月、松本さんは朗読劇『でかける時はいつも』に出演しました。

当時の所属先だったアローズエンタテインメントの出演記録にも、この朗読劇が掲載されています。

このように、松本さんには2022年のテレビドラマ初出演より前に、舞台で演技を経験した記録があります。

芸能界入り、初舞台、テレビドラマ初出演は、それぞれ区別して見る必要があります。

朗読劇への出演を経て、松本さんはさらに多くの人に知られる機会を得ることになります。

『彼とオオカミちゃんには騙されない』で注目を集める

2022年、松本さんはABEMAの恋愛リアリティー番組『彼とオオカミちゃんには騙されない』に出演しました。

番組では「レオ」の名前で参加し、TikTokを通して松本さんを知っていた人以外にも、その存在が広まりました。

番組への参加が発表されたころには、ORICON NEWSの公式YouTubeチャンネルで、松本さん本人によるメッセージ動画も公開されています。

動画には、芸能活動を始めて間もない21歳当時の松本さんの姿が残っています。

その後、松本さんは恋愛リアリティー番組への出演だけでなく、俳優としてドラマの撮影現場にも立つようになりました。

『不幸くんはキスするしかない!』でテレビドラマ初出演

2022年、松本さんはMBSのドラマ『不幸くんはキスするしかない!』に宮下先輩役で出演しました。

これがテレビドラマへの初出演作品として紹介されています。

同じ年には『パパとムスメの7日間』にも出演し、俳優として経験を重ねました。

高校の入院中に画面の向こうの俳優たちを見ていた松本さんが、自分自身も映像作品に出演するようになったのです。

しかし、ドラマに出演できるようになった後も、演技の仕事に対する考え方は変わっていきました。

松本怜生の俳優人生の転機|『サワコ』から朝ドラ『おむすび』へ

テレビドラマへ出演し始めた2022年、松本さんは『サワコ~それは、果てなき復讐』で藪池優一役を演じました。

その後、2023年には野球を題材にしたドラマや時代劇にも出演し、2024年度後期にはNHK連続テレビ小説『おむすび』で朝ドラ初出演を果たします。

『サワコ』で経験した俳優としての分岐点

2022年の『サワコ~それは、果てなき復讐』で、松本さんは藪池優一役を演じました。

本人も同作を俳優人生の分岐点と受け止めており、2022年のマイナビニュースのインタビューで、作品に向き合った経験を語っています。

演技の仕事を始めたばかりの時期に、俳優としての考え方を変える作品と出会いました。

番組への出演は、松本さん自身の公式Xでも報告されています。

テレビドラマへの出演が始まった年に、自分でも転機と感じる役を経験した松本さんは、その後も作品ごとに違う役柄へ挑戦していきます。

『下剋上球児』への出演を経て朝ドラ初出演

2023年には、TBSの日曜劇場『下剋上球児』の第6話に椎野陽大役で出演しました。

高校まで野球を続けていた松本さんにとって、野球を題材にしたドラマへの出演でもありました。

同じ年、NHK BS時代劇『あきない世傳 金と銀』では智蔵役を演じています。

松本さんは2025年のWEBザテレビジョンのインタビューで、俳優として成長を感じた作品として『あきない世傳 金と銀』を挙げました。

時代劇の言葉遣いや所作に向き合いながら、小芝風花さんや八嶋智人さんらと共演した経験について語っています。

その後、2024年度後期のNHK連続テレビ小説『おむすび』に出演しました。

演じたのは、主人公・米田結の先輩にあたる書道部員の風見亮介です。

松本さんは役に向き合うため、書道の練習にも取り組んだと話しています。

朝ドラへの出演が発表された際には、本人の公式Xでも風見亮介役を演じることを報告しました。

2022年のテレビドラマ初出演から約2年で、松本さんはNHKの連続テレビ小説にも出演するようになりました。

2023年の時代劇で演じた智蔵役の経験も、その後のキャリアを振り返るインタビューで本人が大切に挙げている作品です。

松本怜生の初主演と大河ドラマ初出演|俳優として広がった役柄

朝ドラ出演を経た松本怜生さんは、2025年に地上波ドラマで初主演を務めました。

さらに2026年には、かねてから目標にしていたNHK大河ドラマへの出演も果たしています。

2025年『シンデレラ クロゼット』で地上波ドラマ初主演

2025年、松本さんはTBSドラマストリーム『シンデレラ クロゼット』で、尾碕真花さんとともにダブル主演を務めました。

松本さんが演じたのは、女装が趣味の男性・神山光です。

地上波ドラマで初めて主演を務めた作品となり、俳優として新たな役柄に挑みました。

同作は、大学時代にTikTokで自分を知ってもらおうと発信を続けていた松本さんが、俳優として主演を務めるまでになった一つの到達点です。

ただ、松本さんが以前から目標にしていた仕事は、ほかにもありました。

2026年『豊臣兄弟!』石田三成役と父親との約束

2026年、松本さんはNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で石田三成役を演じました。

大河ドラマへの出演は自身の目標の一つで、2026年5月10日放送の第18回で初登場しています。

大河ドラマ初出演は、オーディションを経てつかんだ石田三成役でした。

出演が決まる前、松本さんは帰省した際に父親とオーディションのせりふを練習していました。

そのとき父親は、もし合格するなら石田三成役だろうと予想していたそうです。

受かるとしたら三成しかない

出典:東京新聞・東京すくすく「俳優 松本怜生さん 夢だった大河出演」(2026年4月6日)

オーディションの結果、父親が予想したとおり松本さんは石田三成役に選ばれました。

両親に電話で報告すると、母親は驚き、父親は自分の予想が当たったことを喜んだといいます。

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の公式Xでも、石田三成として登場した松本さんの姿が紹介されています。

かつて俳優になることに強く反対していた父親は、息子が大河ドラマのオーディションを受けるころには、一緒にせりふを練習するようになっていました。

6歳で父親からバットを買ってもらい、甲子園を目指していた松本さんは、高校時代のけがを機に俳優を志しました。

大阪の大学でTikTokを始め、家族の反対と応援を受けながら上京し、朗読劇やテレビドラマへの出演を重ねました。

そして2026年、父親と練習したせりふを携えて挑んだ大河ドラマのオーディションで、石田三成役を手にしたのです。